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2007年05月27日(日)
「史上最弱の横綱」一代記

『日本アウトロー列伝』(宝島社文庫)の、「下足番になった横綱・男女ノ川登三(みなのがわ・とうぞう:第34代横綱)」の項より(著者は那由他一郎さん)

【横綱は強いもの。当たり前だ。ひと昔前の大鵬や北の湖を見ればわかる。現在の横綱朝青龍を見ても、その強さは憎らしいほどだ。
 ところが、戦前には弱い横綱がけっこういた。その筆頭が第34代横綱男女ノ川(みなのがわ)であろう。横綱に昇進する前の成績が6勝5敗(当時は1場所11日)、今の制度では絶対に昇進できないものだ。番付の昇進は成績よりも会社の人事異動みたいなもので、空席なら簡単に横綱にもなれた時代だった。
 男女ノ川には横綱時代の成績が、87勝55敗22休として残っている。現在の見方で考えると、9勝6敗をずっと続けていたということになる。同時期に69連勝の名横綱双葉山がいたが、男女の川は在位中にこの名横綱に1度も勝てなかったという情けない横綱だった。
 弱さでいうと、おそらくトップクラスの横綱ではなかったか、というのが世評の噂である。強い弱いはともかく、土俵の上よりも土俵外で話題を提供する横綱だったので、それなりの奇人変人として人気があった。

 マイカーの珍しい時代に自らダットサンを運転して場所入りしていた。燃料統制で運転が禁止されると、自転車で来るなど、相撲協会に反発する態度が目立っていた。趣味もビリヤード、映画とおよそ力士らしくないものだった。早稲田の聴講生として、マゲの上に角帽をかぶって、大学の講義も聴きにいっていた。
 192cm、155kgと並外れた巨体には女性もこわがって近づかない。彼のイチモツはビールビンぐらいと噂されたが、同郷だという遊郭の女性とねんごろになったことがある。たったの一度きりで、見事に流行り病にかかり、足腰が立たなくなったそうだ。

(中略)

 引退後の人生もおかしいやら哀しいやら、男女ノ川の一代記は尽きない。一代年寄・男女ノ川を認められたが、早々と相撲界には見切りをつけて、彼は戦後第1回目の衆議院議員選挙に出馬している。あんたの人気なら当選確実だ、とそそのかされてその気になってしまったのだ。
 当選どころか、軍事工場にかり出されただけの縁しかない東京2区(現在の三鷹あたり)で出て、結果は4337票で27位。定員11名に対して、134名が立つという激戦ではあったが、惨敗であった。
 この選挙でよせばいいのに、その後も地方選挙に何度か出て負け続け、すってんてんになった。それからは、私立探偵、小間物屋、料理屋、金融会社勤務と職を転々とするが、どれもいまくいかなかった。大体、192cmで私立探偵になって、人を尾行しようという考えはどこからきたのか。唯一、うなずけたのは、映画出演だろうか。
 ジョン・ウェイン主演の『黒船』でジョン・ウェインを投げ飛ばす役を演じている。ところが、既に足腰はガタガタ、相手は大きい。男女ノ川、相手をかかえることもできなかったそうだ。ロープで吊りあげて、ようやくOKという体たらくだった。元横綱の誇りも形なしだった。
 さて、男女ノ川劇場の終章は、東京都郊外の鳥料理店が舞台となる。1968(昭和43)年双葉山の死亡が伝えられた折り、男女ノ川が養老院にいるというニュースも同時に報道された。それを知った料亭の経営者が、彼を哀れに思い養老院を訪ねてきた。
 もうこのままでいい、と経営者の誘いも固辞したようだが、経営者の熱心な誘いで料亭で住み込みの下足番(玄関番)をやることになった。第34代横綱は、ここで67年の波乱に満ちた生涯を閉じることになる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 現在(2007年5月27日)までの歴代横綱は68名。近いうちに4年半ぶりの新横綱に昇進することが確実な白鵬関まで加えるたとしても69名。200年を超える大相撲の歴史を考えれば、非常に「狭き門」ではあるのですが、「横綱」に昇進するための条件というのは、時代によってけっこう差があったみたいです。まあ、「横綱の位が空いていれば、大関で勝ち越せば昇進できる」という時代であっても、歴史的にみれば「横綱のひとり」には違いありません。
 この第34代横綱・男女ノ川関は、1903年の生まれで、横綱在位は1936年から1942年。同世代の第35代横綱に、あの69連勝で有名な不世出の大横綱・双葉山がいたというのはなんだかすごく皮肉な話です。「史上最強」と「史上最弱」のふたりの「横綱」というのは、弱いほうにとってはすごく辛かったはずです。男女ノ川関の成績や行状を見てみると、正直、「今みたいに『横綱になるための条件(相撲の強さとか品格とか)』が厳しく問われる時代では、絶対に横綱にはなれなかっただろうなあ」という気がします。まあ、ここ数十年でも、横綱になったまではよかったのものの成績が伴わずにすぐに引退してしまった力士(旭富士や3代目若乃花)もいますし、こともあろうにおかみさんを殴って廃業してしまった双葉黒関なんていう凄い「横綱」もいますから、男女ノ川だけがとびぬけて「異常」ではないのでしょうけどね。
 それにしても、最近「負けるのが大晦日の風物詩」と化してしまった曙だって、少なくとも相撲取りとしては、はるかにこの男女ノ川よりは強そうではあります。そもそも、曙って、あのまま元横綱として相撲協会に残っていれば、人々の記憶には「貴乃花の強力なライバル」として語り継がれていたはずなのに。本人としては、「それでも闘いたかった」のかもしれませんが……
 
 しかし、この男女の川という人は、なんだかとても不思議な人ではありますね。ものすごく反体制的で、大学の聴講生になるなどの勉強家の面があるかと思えば、選挙に出馬するのはお約束だとしても、いきなり私立探偵をはじめてしまうなんて。著者も書かれていますが、いくらなんでも192cmの大男に探偵は難しいでしょうし、そんなこと、普通に考えればわかりそうなものです。でも、この「元横綱」は、あえてその無謀な挑戦を行っているのです。どこまで「本気」だったのだろうかと疑ってしまいます。

 この人は、体が大きかったり、力が強かったりしなければ、きっと、全然違う人生を歩んでいたのでしょう。もちろん「横綱」という頂点に立ったのだし、こうして歴史に名前を残しているのですから、その人生が100%不幸だったということもないとは思うのですけど。

 こういう「横綱」たちの後半生って、周囲としては「相撲取りとして頂点を極めたのだから、あとはそれに恥じないように生きてもらいたい」と考えてしまいがちなのですが、本人にとっては、「相撲をやめても、人生はまだまだ続く」のですから、そう簡単に「隠居」するわけにはいかないのでしょうね……