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2007年04月27日(金)
ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』の笑撃

『ダ・ヴィンチ』2007年4月号(メディアファクトリー)の「岡野宏文×豊崎由美 百年の誤読<舶来編>」の一部です。

(岡野宏文さんと豊崎由美さんが、20世紀の世界の「名作」100冊を現在あらためて読んでみて再評価するという企画の最終回。今読むと思わず笑ってしまう「名作」たちについて)

【テラワロス (^▽^)
1位『誰がために鐘は鳴る』(ヘミングウェイ)
2位『ナジャ』(アンドレ・ブルトン)
3位『ジャン・クリストフ』(ロマン・ローラン)
4位『ゴドーを待ちながら』(サミュエル・ベケット)
5位『収容所群島』(A・ソルジェニーツィン)

岡野宏文:ギザツラス編で入選しちゃったてるけど、僕は『ジャン・クリストフ』にはかなり笑わせてもらったなあ。

豊崎由美:いやいや、岡野さん、その話題は腐女子編に取っておきましょうよ。それより、岡野さんがギザツラス編でノミネートさせてたブルトンの『ナジャ』について語り明かしたいなあ。

岡野:げっ。どこが面白いのさ。僕は辛かっただけだけど。

豊崎:忘れたんですか? 白水uブックス145ページの笑撃を。散文では説明しがたいほど珍妙な物体のキャプションが<「あら、シメーヌよ!」>。その裏、146ページに至っては、チ○コ丸出しのアフリカ土産みたいな木像に<おまえが好きだ、おまえが好きだ」>ですもん(笑)。そうやって写真とキャプションだけを追っかければ、笑える上にあっという間に読み終えられる。

岡野:でも、ダントツにおかしかったのは、やっぱりヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』じゃない? だって、クライマックスの大砲の弾が飛んでくるシーンで<ひゅっ――ぐゎらっ――ぱーん!>だぜ。子供の作文じゃないんだからさ。

豊崎:いくらフレーズの繰り返しの技法が好きだからって、これもないよね。<そしていま、いま、いま。おお、いま、いま、いま、いまだけ、あらゆるものにましていま>(爆笑)。なんだろ、これ、原文どうなってんだろ。

岡野:その他、<胃潰瘍の手術をしている手術台からいきなりひっぱられ、血にまみれ半死半生の状態で監獄に運び込まれる>といった、陰惨な笑いが効いているソルジェニーツィンの『収容所群島』、いい意味で漫才のコントのようなおかしみをかもすベケットの『ゴドーを待ちながら』で5本決定かな。】

〜〜〜〜〜〜〜

 確か高校の頃、『誰がために鐘は鳴る』を読んだ記憶があるのです。ヘミングウェイと言えば20世紀の文学を語るのには欠かせない「文豪」のひとりなので、代表作の『老人と海』『日はまた昇る』『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』までは読んでいるはずです。もっとも、当時の僕にはヘミングウェイの良さがいまひとつ理解できず、まあ、有名な作品は押さえたからいいか、ということで、それ以来『老人と海』を1回読み返したような気がしなくもないかな、という程度の接点しかないのですけど。

 しかし、この岡野さんと豊崎さんが抜き出した「大砲の弾が飛んでくるシーン」と「そして、いま、いま、いま。」のところは、残念ながら覚えていないんですよね。後者など、筒井康隆さんの初期作品のクライマックスみたいで、当時はこういう表現が流行っていたのかもしれませんが、この文章って「世界的名作なんだから」と自分に言い聞かせておかないと、やっぱり笑ってしまいますよね。確かに「原文ではどうなってるんだこれ?」と気になるところではあります。おそらく、訳者もなんとかして原文の雰囲気を出そうと頑張ったのでしょうけど、あまりに原文に忠実に訳そうとして、かえってこんなふうになっちゃったのかもしれませんね。それにしても、こんな文章が出てきたら、どんな緊迫した場面や感動のシーンも台無しになりそう。

 世界の「歴史的名作」のなかには、「その時代の新しいこと」を追求するあまり、現代からみれば「単なるトンデモ文学」にみえてしまうものも、けっして少なくありません。アンドレ・ブルトンだって、『ナジャ』を「お笑い」として書いたわけではないでしょうし(この作品の場合は、挿絵(写真)とキャプションにも大きな問題がありそうですが)、ヘミングウェイもいままで何十万人という日本人が、この訳で読んできたわけですから、ちょっと前の日本人にとっては「斬新な訳」だったのかもしれませんし。

 まあ、こういうのもある意味翻訳文学の魅力のひとつではあるし、平板な文章に置き換えられたりするのも、それはそれで寂しい気もするんですけどね。