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2007年04月05日(木)
瀬戸内寂聴さんのところで出家しようとした映画監督

『en-taxi・SPRING 2007』(扶桑社)の記事「『東京タワー』をめぐる小説と映画の摩擦熱」より。

(映画『東京タワー』の監督:松岡錠司さんと原作者:リリー・フランキーさんとの対談記事の一部です)

【司会者:松岡監督はすごく穏やかな人だと映画の現場スタッフからも聞きますが。

松岡錠司:穏やかというより自虐ですよ。俺は一回都落ちしてるっていうか、自信を失って田舎に帰ってるんです。まだ20代の頃、親からいいかげんに就職しろと言われて、映画あきらめてまっとうになろうと決心しかけた時、東京から1本の電話がかかってきて、映画を撮らないかって言われた。35ミリの劇場用映画の監督っていうのが俺の夢で、それが1本撮れればもういいんで、一生に一度だからもう一回東京に行かせてくれって親に言って、『バタアシ金魚』を撮った。

リリー・フランキー:若かったんですよね、監督デビューが。

松岡:その後軽いノイローゼになったんです。映画を監督するということが一生に一度だと思ってた。だからずっと映画監督やるっている想像がまったくなかったんです。インタビューでは「次、何やるんですか?」って訊かれる。映画監督で食っていくっていうことがものすごく恐怖になって。「きらきらひかる」が終わって、もうネタが尽きた、自分の物語もつまらない、もう駄目だ、もう駄目だ……ってノイローゼになった。
 その時、映画監督の周防正行さんに電話したんですよ。彼は『ファンシイダンス』で寺の話やってるから瀬戸内寂聴に詳しいだろうなってことを、なんとなくビビッて感じた俺は、すぐ電話して「寂聴さんのところで出家したい」と言ったの。映画監督同士というのはビビッと感じるもので、周防さんは「寂庵に電話してください。話は通しておきますから」ってすぐ段取ってくれた。寂聴さんのところに電話すると、いついつに来てくださいってことになって、ああ、これで俺はもう出家するんだって思った。で、東京駅から新幹線に乗って、富士山が見える頃に……やっぱり出家は無理だなって分かった。

リリー:ええっ?

松岡:在家にしようと思った。

リリー:往生際が悪いなあ(笑)

松岡:月一回通うことにしようと。で、京都・嵯峨野の寂庵に着きました。通された部屋は奥の襖がパーンと閉まってて「ここでお待ちやす」とか言われて、襖の向こうからは、自分の配偶者が死んだとか、息子がもう駄目だとかいう話が聞こえてくる。その時にはもう、在家も無理かなぁみたいな(笑)。
 で、襖がバーンと開いて、出てきましたよ、寂聴さん。俺はもう「すみません、本当にすみません。本当に大したことじゃないんですけど、自分の将来というか才能というものに限界を感じまして」とか一応言ったんだけど、その後は何を言ったか、さっきリリーさんが最終回は記憶を失ってるって言ったのと同じで覚えていない。とにかく自分の弱みを長々と話したんです。
 俺の話をじっと聞いていた寂聴さんが言った言葉は「きわめて正常」(笑)。「ここまで自分の悩みをつぶさに話せるなんて、こんな正常なことがありますか」って言われて、「そうですよね。本当すみません」って帰ってきた。そんなことやってるんですよ、俺。駄目なんですよ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 4月14日公開の松岡錠司監督の『東京タワー』、映画版は製作費6億円、撮影期間は10週間だったそうです。まあ、ハリウッドの超大作では、製作費が100億円を超えるなんてものもけっこうあるのですけど、これだけの大きなプロジェクトを成功させなければならない「映画監督」というのは、本当にプレッシャーがかかる仕事なんでしょうね。この「松岡監督が出家しようと瀬戸内寂聴さんを訪ねた話」とうのは、今となっては笑い話に聞こえますが、それを実行したときの松岡監督は、かなり精神的に追い詰められた状態だったのでしょうし。それにしても、いきなり「話を通して」しまった周防正行監督の「人脈」にはちょっと驚いてしまいましたけど。

 松岡監督は1961年生まれで、ここで名前が挙がっている『バタアシ金魚』は、1990年の作品です。主演は筒井道隆さんと高岡早紀さん。30歳前の監督デビューというのは、確かに「若い」ですよね。デビュー作の成功で、いきなりスポットライトを浴びてしまったのは、当時の松岡監督にとっては、ものすごく意外であったようです。「映画監督」なんて、「なろうと思って努力すれば誰でもなれる」というような仕事じゃなさそうですし。

 実際は、「もう出家するしかない……」というくらいまで精神的に追い詰められていた松岡監督が(考えてみれば、なぜそこで「引退」「転職」や「自殺」ではなく、「出家」という発想になったのかは疑問ではあります)、瀬戸内寂聴さんの「寂庵」に向かってみると、道中で既に「在家」にしとこうかな……という気分になってきて、寂庵に着いて他の人の深刻な悩みを耳にしているうちに「在家も無理かな……」と考え始めます。そして、いざ寂聴さんに会って、さんざん自分の「弱さ」を語ったら、帰ってきた言葉は「きわめて正常」。松岡さんの悩みが極度に深刻なものではなかったというもあったのでしょうが、「他人の話を聞く」、そして「自分の話、悩みを聞いてもらう」ということそのものにも、ある種の「治療効果」があったのでしょうね。いや、この話、他人事として読むと、確かに「きわめて正常」な人生における袋小路の話なのですけど、僕も同じようなことで悩んで、「誰にも僕の気持ちなんてわからないんだ……」なんて落ち込んでいたりもするわけです。それが、ごく普通の人間というもので、「きわめて正常」なのでしょう。

 それにしても、瀬戸内寂聴さんは、いろんな意味で「商売上手」だなあ、という気がします。細木和子さんにしてもそうなんですけど、結局多くの人は、誰か頼れる人に「おまえは正常」「あなたは大丈夫」って言ってもらいたいのだよなあ。