初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2007年03月06日(火)
漱石と鴎外と太宰と藤村の「著作権ビジネス」

「週刊SPA!2007.2/6号」(扶桑社)の「文壇アウトローズの世相放談・坪内祐三&福田和也『これでいいのだ!』」第226回より。


【坪内祐三:著作権ってさ、文芸・音楽・美術は作者が死んだあと50年間有効でしょ。それを今、日本文芸家協会が、三田誠広('77年に芥川賞を受賞した小説家)を中心に70年間に延長しようと運動してて、反対派とモメたりしてるんだよ。

福田和也:勇気あるよね〜。自分の作品が死後に残ると思ってるんだね。

坪内:思ってるんだね。

福田:三田さん、今、著作権を放棄してもなんの実害もないでしょ。

坪内:それがさ、著作権の保護期間を70年間に延ばすべきだって人たちの主張が、スゴイ奇妙な論理なんだよ。それこそ、金井恵美子も『一冊の本』で批判してたけど。なんかさ、「若くして著者が死んだときに、残された妻子の生活が……」って言うわけ。だけど、親が死んだときに子供が0歳だったとしても、死後50年で50歳だよ。50歳にもなって親父の著作権料で生活するなんて、そんなニート、オレは許さないよ。

(中略)

坪内:むしろオレは、著作権を死後30年までに減らせっていう運動をしたいね。ていうのもさ、今、著作権が死後50年まで有効になっちゃってるから、「全集」とか「アンソロジー」の編纂がやりにくいんだよ。遺族を探して交渉して印税を払って、となると、確実に売れる全集しか出版社が手を出さない。

福田:著作権なんて出版後5年で消えていいから、税金マケてくれ、とかね。

(中略)

坪内:だから……なぜなんだろう、なぜ文芸も保護期間を70年に延長したいんだろう。だって今現役で書いている人で、死後50年経って作品が残るって人はほとんどいないと思うよ。でも、読みたいと思っている人がかろうじて残ってるときに、「よし全集を作ろう」ってなっても、著作権が生きてるから簡単には作れない。そのうえ70年にしたら、権利が延びた20年の間に忘れられちゃうパターンもあるから。自分の作品を後世に残したいなら、どんどん著作権を減らしたほうがいいんだよ。そう思うと、誰のための延長論なんだろうね。

福田:不明ですよね。

坪内:日本の場合、伝統的に著作権の運用がイイカゲンだから。一番有名なのは尾崎紅葉ね。尾崎紅葉はいつも春陽堂って出版社で本を出してたんだけど、春陽堂って「印税」じゃなくて「買い取り」、つまり原稿料を1回払っておしまいのシステムだったの。『金色夜叉』みたいにスゲー売れた本でもほとんどお金になんなくて、それで明治36年に死んじゃうから、未亡人がホントにカツカツの貧窮生活になっちゃうのね。

福田:死後の円本(全集)の印税も入らないわけ?

坪内:そう。原稿の権利丸ごと買い取りだから、円本でも印税が入らない。

福田:それはヒドイね。

坪内:で、昭和18年に菊池寛が、「それはヒドイだろう」っていうんで、作家仲間から義援金を集めたんだよ。

福田:菊池寛が。

坪内:一方で賢いのが、当時から印税ってことをちゃんと考えてた森鴎外と夏目漱石と幸田露伴。この3人は、買い取りが常識だった当時でも印税制なんだよね。ただ露伴の場合は、売れないから買い取りより安くなっちゃった。漱石はね、増刷ごとに印税率を上げてるの。漱石はやっぱりそのへんもスゴイよ。

福田:印税を考えないで、自分で出版しちゃったのが島崎藤村ね。

坪内:藤村は、自分で出版社つくったんだんだよ。それで儲けるんだよね。『破戒』も自費出版でしょ。それから新潮社に高く売るんだね。それぐらいさ、当時の作家ってそれぞれインディーズでやってたんだよ。

福田:自分の了見と工夫でね。

坪内:うんうん。今の作家って、いろいろ守られてるうえで、さらに著作権50年を70年になんて、冗談じゃないって感じだよ。

福田:そういえば、村上春樹ってスゴイんだってね。海外出版物の著作権の管理って、当然、講談社がやってるんだと思ったら、早々に、講談社とまったく関係のない、海外のエージェントに任せてるんだって。だから、海外でどんなに春樹が売れても、講談社インターナショナルには、一文も入らないんだって。

坪内:著作権で一番恩恵を受けたのはさ、太宰治の遺族だよね。

福田:それはそうだね。

坪内:太宰は生きてるあいだは全然、売れなかったんですよ。「せめて1000部売れたい」みたいな人ですよ。それが、亡くなって人気急上昇でしょ。太宰の長女の津島園子さんって今、代議士の奥さんで、早稲田の文学部卒業なんだけど、1960年代に真っ赤なスポーツカーで大学にね。なぜか遺族は、印税で真っ赤なスポーツカーを買うよね。澁澤龍彦の未亡人も真っ赤なポルシェかなんかでしょ。

福田:まあ、作家の遺族なんて、あんまりいいもんじゃないですよ。

坪内:三田誠広だって、息子がピアニストとして自立して、ってエッセイで書いてるわけじゃない? じゃあ遺族に死後70年間もお金を残す必要ないじゃない。

福田:というか、そこに照れがないのがコワイよね。なんか、「オレも死んだ後で少し売れるかしら」と……ちょっとぐらい思うけど……口に出すのは恥ずかしいよね。そんなことはさあ、言わないよ普通。少なくとも文章書いてるぐらいの人間なら。恥ずかしい。

坪内:死後50年だと忘れられてるけど、70年目に発見される、そういう作家だという自負心なんじゃない?

福田:50年といえばスタンダールですよね。生きてるあいだはまったく売れなかったから、死ぬときに「50年後、俺は発見される」と断言して。生前、バルザックやミュッセにはかなり評価されたけど、あとは評価されなかった。それが50年後に『赤と黒』が売れ出して。

坪内:むしろ、70年後に爆発的に売れそうな、西村賢太や中原昌也さんが言うなら、三田誠広より説得力あるよね。】

〜〜〜〜〜〜〜

 いやもう、三田誠広さんは酷い叩かれっぷりなのですが、('77年に芥川賞を受賞した小説家)なんて名前の後に説明が加えられる時点で、もし著作権が70年に延長されても、三田さんには「実益」はほとんど無いのではないかと思われます。もちろん、太宰治やカフカやスタンダールのように死後あらためて人気作家になる可能性はゼロではありませんが、そういう「奇跡」の可能性と作品そのものが「歴史的に生き残れる確率」を考えれば、50年でも長すぎるのではないかと僕も思うんですけどね。

 ただ、50年前の作品なんてほとんど読まないだろ、と思っていたら、つい先日読んだ井上靖さんの『風林火山』は1955年刊行だということに驚きました(井上さんが逝去されたのは1991年)。この作品が今回大河ドラマの原作となったことで、現著作権者の方々には、かなり金銭的に大きな見返りがあったのではないでしょうか。作品自体も「古さ」を感じさせない素晴らしい小説です。ジャンルによっても違うのでしょうが、読まれ続けている人気作家の場合、「50年」と「70年」では、けっこう大きな差が出ることもありそうです。
 まあ、三田さんの場合は「日本文藝著作権センター理事長」だそうなので、もしかしたら「立場上仕方なく」著作権延長を主張されているのかもしれませんけど。

 それにしても、このお二人の対談記事を読んでいて驚いたのは、歴史に残る作家たちの「著作権意識」についてでした。
 夏目漱石とか森鴎外クラスになると、「出版社との契約条件」も違っていたなんて。漱石や鴎外はヨーロッパへの留学経験がありますので、その影響が大きかったのかもしれませんが、それにしても、「買い取り」が主流だった時代に「印税契約」を結んでいたのがこの日本文学界の2大巨頭だったというのは、頷ける話であると同時に、巨匠というのはお金にもこだわりがあったのだな、ということを考えさせられます。幸田露伴の場合も、長い目で見れば「印税契約」はプラスになっているでしょうし。全盛期には漱石、鴎外も及ばないような人気作家であった尾崎紅葉が、「買い取り契約」しか結んでおらず、大ベストセラーを生んでもそんなに大きな収入にはつながらなかったというのは、彼の作品が後世あまり読まれていないこともあって、なんだか漱石・鴎外との「格の違い」みたいなものを感じさせられますし。
 自費出版で大儲けした島崎藤村なんて、まさに今の「ずっとインディーズのミュージシャン」を彷彿とさせられます。
 そういう点でいえば、村上春樹は、出版社の契約条件においても、現代の日本の作家のなかでは「別格の人」と言えるのでしょう。

 しかし、生前は多額の借金に追われていたという太宰さんは、まさか自分の作品がこんなに売れて、子孫の懐を潤わせることになるなんて、夢にも思っていなかったでしょうね。「10分の1でいいから、生きている間にその金があれば……」と言いたかったと思われます。遺族側としても、金銭的なメリットはあったにせよ、「太宰治」というスキャンダラスな存在を抱えて生きていくのは辛かったという面もありそうですが……
 延長にこだわる作家にはほとんど恩恵がなさそうなのに、自分が死んだあとのことなんてほとんど考えてもいなかったような作家に大きな恩恵がもたらされてきたというのは、なんだかすごく皮肉な話ではあるのですけど。