初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2007年01月26日(金)
周防正行監督が語る「刑事裁判の理不尽な実態」

「週刊SPA!2007/1/23号」(扶桑社)の「トーキングエクスプロージョン〜エッジな人々」第467回の映画監督・周防正行さんのインタビュー記事です。取材・文は編集企画室Over-All。

(映画『それでもボクはやってない』で日本の裁判制度を描いた周防正行監督へのインタビュー記事の一部です)

【インタビュアー:自白して調書に書かれたら、それが証拠となって、有罪がほぼ確定してしまうわけですね。

周防:調書の書き方自体もおかしいんですよ。供述調書というのは、なぜか一人称独白体で書くことになっている。文学的な修飾語を多用して、犯行の瞬間を生々しく表現しようとする。例えば「ナイフを刺したときに何か音がしなかったか」「いや、音って言われても……」「ズブズブっとか、そんな感じがしなかったか」「そう言われればそうかもしれませんが」なんて一問一答があったとすると、「右手に持ったナイフを相手の腹に突き立て力を入れると音を立てナイフがめり込んでいきました」なんて書かれちゃうわけ。そしてこれが、「体験したものでなければ語り得ない迫真性に満ちている」という有罪判決の理由につながっていくわけです。合理性のかけらもないのに、裁判ではこういう調書が最も重要な証拠として重宝されている。それが現実ですよ。

インタビュアー:取り調べのやり取りをそのまま速記するのが最も正確なはずなのに、それじゃいけないんですか。

周防:そういう調書はダメな調書。なぜなら「体験した者でなければ語り得ない迫真性」が感じられないから(笑)。

インタビュアー:それはつまり、最初から犯人だと決めつけて書いているってことじゃないですか。

周防:まったくひどい話ですよ。しかし検察官個人の問題ではなくて、システムとしてそうなっている。司法研修所の検察修習で、そういう調書の書き方を教えられるんですね。最初の頃は皆、当然ながら違和感を持つんです。「そうは言ってない。こっちが言わせたんだ」と抵抗を感じるんですよ。でも、きちんと有罪の証拠になるような立派な調書を書けなければ合格点は取れない。さらに検察官になって、そういう調書を日々作るうちに、まったく抵抗がなくなってしまう。同じ調子で被害者の供述調書も書かれてしまう。本当は痴漢の手なんか見ていなかったのかもしれないのに、「私のスカートの中に入っている手を見ました」と書かれちゃう可能性がある。

インタビュアー:あとは、その調書を裏付けるような証拠を適当に見繕う……ただの辻褄合わせにすぎないと思いますが。

周防:まさに辻褄合わせ。検察官にとって証拠とは、立派な調書を作るための材料にすぎないのかと思いますよ。しかも痴漢事件の裁判では、被害者供述を裏付ける物証なんて、そもそも必要とされてないんです。供述が一貫してさえいれば、その信用性を認めて有罪になる。被害者に事件直後の供述と後になってからの供述で食い違いがあったりしても、「事件直後は動揺していた」という理由で不問に付されて「概ね一貫している」なんて言い方をして済ます。

インタビュアー:なぜ裁判官はそんなものを、証拠もなしに信用するんでしょう。

周防:それは同じ国家機関である検察を信頼しているからでしょ。そもそも検事は揃えた証拠で有罪が取れると思うから起訴しているんです。それを裁判官も承知している。裁判官は、頭から被告人は悪いヤツだと決めつけているのか「込んだ電車で目の前に女性がいるのに、前を向いて乗り込むんですか? そんなことをしたら怪しまれると思いませんでしたか」などと、まるで前を向いたまま乗り込んだお前が悪い、とでも言わんばかりの質問を平気でする。ほとんど取り調べの続きにしか見えない。裁判官自身が有罪立証しようとしているかのようです。そんな状態だから、被告人はすべての疑問に合理的な回答ができない限り、無罪になることはまずない。

インタビュアー:少しでも疑問点があれば即アウトですか。被害者の供述は「概ね一貫している」でOKなのに。

周防:そもそも有罪確定だから、そういう判決理由が書けてしまう。けっこうメチャクチャな判決文があります。有罪の理由が何なのかとよく読んでみると、結局は「被告人が犯人である可能性は否定できない」ですから。可能性が否定できなくて犯人になるんだったら、誰でも犯人ですよね。おまけに無罪を主張したら、「反省のかけらも見られない」でしょう。ひっどいよなと思いますよ。

インタビュアー:理不尽な話ですね。

周防:でもこの理不尽が、刑事裁判の実態なんです。これこそが刑事裁判なのだという現実を、皆さんに知ってほしい。そして興味を持つ人が増えて、傍聴席が常にいっぱいになるようになれば、少しは変わってくるんじゃないかと思うんですけどね。】

〜〜〜〜〜〜〜

 確かに、「被告人が犯人である可能性は否定できない」という理由で「有罪」にされてしまうというのはあんまりです。
 周防監督の『Shall we ダンス?』から11年ぶりの新作、『それでもボクはやってない』は、ここで監督自身が語られているような日本の裁判制度を題材にした問題作として大きな反響を呼んでいます。僕はまだ映画のほうは未見なのですが、このインタビューを読んでいるだけでも、「もし自分が痴漢冤罪で刑事裁判の被告になったら……」と不安になってしまいました。起訴されて裁判になった時点で「有罪率99.9%」では、冤罪でも認めてしまって被害者と示談し、罪を軽くしてもらったほうがいいんじゃないか、という気もしてきます。

 ちなみに、この「有罪率99.9%」というのは、あくまでも「起訴されて刑事裁判になった場合」であって、実際は【『犯罪白書』によれば、平成16年の検察庁終局処理人員のうち公判請求は6.8%。罪を認めて略式裁判にすれば留置されず罰金刑になり、証拠不十分や被害者と示談がすんでいる場合、嫌疑なしなどの場合は不起訴、罪はあるが裁判するほどでもないというときは起訴猶予になる】そうなので、検察側の立場でみれば「そもそも、有罪になるはずの事例しか起訴していない」とも言えるのかもしれません。そして、裁判官のほうにも、新聞に大きく載るような大事件でもないかぎり、「検察が起訴しているんだから、たぶん有罪なんだろうな」というような先入観はありそうですね。そりゃあ、目の前の怪しげな「痴漢をしたかもしれない男」よりは、長年面識のある検察官のほうが「信用できる」でしょうし、被告にとっては「人生の一大事」でも、裁判官にとっては、「面白くもなんともない、ありきたりの痴漢事件」だったりもするのでしょうし。 ただ、ここで引用させていただいた周防監督のインタビューの内容を読むと、「検察と裁判官はなんでも有罪にしようとする」というような印象を持たれるかもしれないので、一応言及しておきますが、「起訴」の時点で、ある程度のスクリーニングはなされているようです。

 「裁判制度」については、僕自身にも消化しきれていないところがあって、例えば「光市母子殺害事件」や「オウム真理教の麻原裁判」の経過をみれば「検察がんばれ!」「そんな酷いヤツの引き延ばし戦術や情状酌量の訴えなんかまともに反応するなよ……」「そもそも、裁判に何年かけてるんだよ……」などと憤りを感じますし、周防監督が取り上げたような「痴漢冤罪事件」で嫌疑を晴らすために何年もの時間を費やしてしまった人の話を聞けば、「もっとじっくり裁判をやって、被告人の立場を守ってやれよ!」と思うのです。裁判官の立場からすれば、たくさんある「痴漢事件」のなかで、少数の「冤罪」を見つけ出す手間があれば、もっと大きな事件に力を注ぎたいというのも、わからなくはないのですが。
 ただ、僕自身にとっては、凶悪犯罪で起訴されるよりは、痴漢冤罪で起訴される可能性のほうが高いと感じますから、電車通勤じゃなくてよかったなあ、と胸をなでおろしてしまうばかりです。

 それにしても、「込んだ電車で目の前に女性がいるのに、前を向いて乗り込むんですか? そんなことをしたら怪しまれると思いませんでしたか」って聞く裁判官って本当に凄いというか、この人、満員電車に乗ったことがあるのでしょうか……ムーンウォークで乗れとでも?
 もしそんなことをしたら、また別の性的虐待容疑をかけられたりしそうだけど……