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2006年12月14日(木)
戦慄の「マンション販売電話」の向こう側

「週刊SPA!2006.11/28号」(扶桑社)「SPA!RESEARCH[会社の雑学]大百科」より。

(『会社図鑑!』の著者オバタカズユキ氏に聞く「自分が一番凄いと思った企業ネタ」というコラムから)

【広報の紹介ではないダイレクトな会社員への大量取材によって、『会社図鑑!』を12年度ぶん刊行してきたライターのオバタカズユキ氏。街中の様子を見るだけで、どの業種に勤めている人なのかある程度わかるようになったという彼が、取材体験談を語ってくれた。

オバタ「どんな業種の人でも、大概はグチモードなのですが、とりわけグチが凄いのは銀行です。実際、2時間延々とグチを言いっ放しで、こっちがゲンナリ、なんてこともしばしばです(笑)。取材前にアンケートを実施したときは、A4の用紙に小さい字でビッシリとグチを書いてくれた率No.1。三菱東京UFJ銀行などは、社風なんでしょうけど、これに慇懃無礼さが加わって、すごい負のパワーです。銀行業界は人事考課が基本的にマイナス評価の減点法だから、ミスもできないし、ストレスも溜まるんでしょうね。それに、とにかく不自由。”協調性”の名のもとに、休日も社内行事で埋まりますから」

(中略。数少ない「自慢に走るタイプ」は、商社マンに多いという話題)

 両極端なケースを紹介してもらったが、オバタ氏が戦慄するような極北のエピソードが語り継がれている伝説的な会社もある。

オバタ「今はもうやってないようですが、マンション販売の大京は凄かった。電話営業がメインなんですが、電話中は立って話さなくてはならない。しかも、受話器が手に縛りつけられてるんです……。軍隊かと思いましたよ。まぁ、不動産業界は財閥系が圧倒的に強いので、大京のようなインディペンデント系の会社はこうせざるを得ないというのはわかりますが……」】

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 周囲からみれば「一流企業にお勤めでいいですねえ」なんて言われるような人でさえ、本人にも全く不平不満がない、なんてことはやっぱり少ないみたいです。「2時間グチを言いっぱなし」なんていう銀行員の話などは、よっぽど不満が蓄積しているんだなあ、というのと同時に、そのくらいグチが言えるバイタリティがあれば、まあ大丈夫なのかな、とも感じてしまうのですけど。しかし、平日の15時までしか窓口が開いておらず、用事があってもなかなか行くこともできない僕は、「いい商売だなホント」と内心悪態をついていたのですが(もちろん、窓口が閉まってからが大変なのだ、という話はよく耳にします)、お金を扱うというストレスのほかに、「休日も行内行事で埋まる」なんていう「業界の掟」があるとは知りませんでした。もちろん給料はそれなりに良いのでしょうけど、銀行勤めもそんなにラクではなさそうです。

 そして、この「大京」のエピソードには、僕も驚愕してしまいました。
 日頃から「節税対策のためにマンション買いませんか?」という電話に悩まされていますし、当直中に病院にわざわざ電話してくる業者もいて、僕たちが非常に迷惑している、あの電話の向こう側の恐るべき光景。
 「急患か?」とドキドキしてメモ用紙などを準備しているところに、いきなり「ところで、税金対策にマンションをオススメしているのですが……」とやられると、「誰が買うか!」と怒鳴りたい気分になるんですよね。そもそも、こんな電話でマンション買うヤツなんているわけないだろ…と思っていたら、以前の同僚から「2部屋買わされてしまってローンに追われている」なんていう話を聞いて驚いたことがあります。結局のところ、大部分の人は相手にしていなくても、たまに誰かが買ってくれれば十分に元が取れる、ということのようです。
 しかし、僕も含めて、周囲の人の大部分は「マンションの電話」に対して、「即切り」「無言」「罵倒」などのリアクションをとっているわけで、彼らだって木石ではないわけですから、よくあんなこと続けられるよなあ、という気もしていたのです。電話してくる営業マンからすれば、10回電話して、まともに話を聞いてもらえることが1回あるかどうか、くらいのものでしょう。逆に、1回話を聞いてしまったり、実際に会ってしまうと新興宗教の勧誘まがいのかなり強引な手段で買わせようとする、という話ですが……
 結局のところ、彼らもまた「生活のため」に必死になって、あの仕事をやっている(あるいは、やらされている)ということなのでしょうね。電話ですから、立っていることに合理的な意味があるのかどうかはさておき。受話器が手に縛りつけられているなんて、もはや拷問だとしか思えません。そうやって必死に営業マンが電話をしまくって、人の良い顧客にマンションを強引に買わせるというのは、なんだかもう不毛の極みであり、その必死さをもっと建設的な方向に生かせないものか、と、つい考えてしまうのですけどねえ。