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2006年12月04日(月)
「宮崎駿もこれで最後だね」と言われて、初めて気づいたこと

「ダ・カーポ」596号(マガジンハウス)の特集記事「私の生き方の原点・原則」のスタジオジブリ代表取締役社長・映画プロデューサーの鈴木敏夫さんへのインタビュー記事より。

【インタビュアー:宮崎駿監督との出会いはその徳間時代ですよね。

鈴木敏夫「ええ、アニメ誌『アニメージュ』の編集者時代です。創刊号で取材を依頼しました。16ページ書かせろ、と条件を出されて決裂(笑)。次に僕が宮さん(宮崎駿)の『ルパン三世 カリオストロの城』を取材しました。最初はチャラチャラした雑誌の取材を受けると自分がダメになる、と断られました(笑)。しかたがなく、帰ってくれ、と言われながらまる一日張り付いた。でも、何も話してくれない。2日目もダメ。3日目にやっと仲良くなって、それから29年毎日会っています。不思議な縁です。
 ルパンの頃の宮さんは一般的知名度こそ低かったけれど、僕は才能を感じていたから、何度も特集しました。当時『アニメージュ』は40万部売れていたんですよ。そのときに読者アンケートで、何人で読み回しているかを調べたら、3人だった。つまり、毎号120万人の読者がいた。つらくてねー。部数が多いと、読者ターゲットをしぼれなくて、だれもが興味を持つテーマしかやれないからです。
 それで『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』が同時に封切られた夏休み、そういう作品を無視して宮崎駿大特集をやりました。すると、部数が半分になった。確信犯です。1割以下だった返本率が5割になって社内の販売会議に呼ばれて責められた。でも、営業には部数が激減した理由は分からない。そうやって読者をしぼり、自分がつくりたい本にしていった」

インタビュアー:『アニメージュ』での、宮崎監督の取り上げ方は?

鈴木「何度か中断しながらも、『風の谷のナウシカ』を12年間続けました。宮崎作品を毎号紹介して、宮崎駿ファンを1人でも増やそうとしたんです」

インタビュアー:鈴木・宮崎コンビによって『風の谷のナウシカ』のほかにも『魔女の宅急便』『もののけ姫』など、と次々と名作が生まれ順風満帆に?

鈴木「いえ。興行成績に限っていえば、ナウシカの後はけっしてよくなかったんです。実はね、配給会社の東映の人に、宮崎駿もこれで最後だね、と数字のことを言われて、初めて気づいた。それまではおもしろい映画をつくればいいとだけ思っていました。でも、ヒットしないと次の作品はつくれません。うそのような話だけど、そこで初めて宣伝に本腰を入れました。だから本気で宣伝に取り組んだのは『魔女の宅急便』からです。日本テレビに出資のお願いに行ったし、その後、『アニメージュ』をやめてジブリへ移りました。
 また、それまでは1作ごとにスタッフを集めていましたが、『魔女の宅急便』からはスタッフを社員にして、ジブリは会社らしい会社になりました」

インタビュアー:鈴木さんが信条にしていることは。

鈴木「映画の企画がなくなったらジブリをやめると宮さんとは話しています。僕はいい映画、お客さんが入る映画に共通するのは、時代のにおいだと思う。どんなに出来がよくても、時代と無関係につくられた作品に魅力はありません。今を描けなくなったら、ジブリをやる意味はないです」

インタビュアー:新しい発想を持つスタッフはいないですか。

鈴木「いない、と断言してしまうと若い人にはかわいそうだけれど。すでにブランドになってしまったジブリには集まりにくいとはいえます。権威になってしまったからです。どんな時代でも同じだと思いますが、何か新しいことをしようとする人間は権威には近寄らない。あるいは、ジブリに籍を置いていても、ぼくらに見つからないように目立たないようにしているものです」】

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 「スタジオジブリ」の看板といえば、もちろん宮崎駿監督なわけですが、「ジブリを陰で支え続けてきた男」が、この鈴木敏夫プロデューサーなのです。ただし、この鈴木プロデューサーに対しては、アニメファン、宮崎駿ファンのあいだでは、そのワンマンぶりや、タレントを声優として起用するというタイアップによる話題づくりに対する批判の声がかなりあるというのも事実なのですけど。徳間書店という大手出版社のアニメ雑誌『アニメージュ』の編集者だったにもかかわらず、宮崎駿への傾倒のあまり、売れないのを承知で「宮崎駿大特集」をやってしまったり、ついにはジブリに移籍してしまったりというのは、徳間書店からみれば、「ひどい裏切り行為」だとも言えますよね。
 しかし、この鈴木プロデューサーの異質なところは、宮崎駿という才能に傾倒しながらも、彼自身は、自分の役割として「宮崎駿が映画を作り続けるためのお金を稼げるようなシステム作り」に没頭していったところのように思われます。『アニメージュ』にいたときには、雑誌の売り上げを度外視して、「宮崎駿特集」をやっていた人にもかかわらず。
 純粋な宮崎駿ファンで、作品の質を尊重するのであれば、人気タレントよりもちゃんと経験を積んだ声優を起用するように進言するべきでしょうし、ジブリを「会社らしい会社」にする必要などなかったはずです。でも、自分の創作にはすごい力を発揮する一方で、「チャラチャラした雑誌の取材を断った」ように世渡りが上手いとはいえない宮崎駿監督にとっては、こういう「実務」をこなし、映画を商業的に成り立たせてくれる鈴木プロデューサーという存在は、非常に大きいものだったに違いありません。もし、鈴木プロデューサーの「宣伝力」がなかったら、ジブリの作品は『魔女の宅急便』で終わっていて、「いい作品ばっかりだったけど、あんまりヒットしなかった」という評価だけが後世に残っていたのかもしれないのです。
 僕自身は、「クロネコのジジ」とかが出てくる『魔女の宅急便』以降の作品は、宣伝臭が強いし、内容も「文部省推薦」的な感じで、それ以前の宮崎駿作品ほど好きではないし、興行収入の上昇ほど内容が向上しているのかどうかは非常に疑問なのですけど(時間とお金はかかっていますから、アニメの絵のクオリティは上がっているとは思いますが)、少なくとも「同じ宮崎駿監督の作品」を、これほどまでの「お金が稼げる商品」にしたのは、この鈴木プロデューサーのおかげなのでしょう。
 世の中には、「鈴木敏夫がいなかったために、宮崎駿になれなかった人」というのも、けっこういたのかもしれません。鈴木さんと宮崎さんって、イメージ的には、「お互いに価値観が違いすぎて、絶対に友達になれそうもない二人」のように思えるのに、ほんと、人生には不思議な巡り合わせというのがあるものですね。