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2006年06月20日(火)
阪急と阪神が一緒になることへの「微妙な違和感」

「週刊SPA!2006.6/20号」(扶桑社)の「文壇アウトローズの世相放談・坪内祐三&福田和也『これでいいのだ』」第195回より。

(「村上ファンド」の阪神株買占めの話題から)

【福田:阪神株の買い占めだって、みんな共感持ってないでしょう。いまの阪神電鉄あるいは阪神球団の経営手法がいいか悪いかは別として――オレたちが愛して支えてきたものをカネ儲けの道具にしやがって! って、ファンたちが愉快じゃないのは当然だよね。

坪内:で、いま阪神が阪神株にTOBをかけて買ってるじゃない? でもさ、東京じゃわかりにくいけど、関西の阪急沿線の住民たちにすれば、それはそれで「冗談じゃない」ってことになってるわけ。阪神なんかと一緒にやるのはイヤだと。

福田:あーあ、阪神と一緒にされるのか……って、阪急沿線に住んでいる人たちは、やっぱりそう考えるよね。

坪内:東京にいるとわかりにくいけど、阪急と阪神が一緒になることって、「田園都市線」と「東武伊勢崎線」がリンクしたときの違和感以上のものがあるわけだからね。

福田:南北線と埼玉高速鉄道がつながったときとかね。シロガネーゼが「浦和美園から白金に人が来ちゃう」とか言っちゃってさ。

坪内:神戸あたりだと――たとえば同じエリアを走っている「JR」「阪神」に「芦屋駅」が、阪急に「芦屋川駅」があるんだけど、同じ芦屋でも、もう住民の意識の住み分けがぜんぜんちがうんだよ。

福田:関西は、まだそういう細かい地場の差に敏感だからね。この交差点からあっちとこっちじゃグレードがちがうとか。

坪内:もちろん、その差がどんどんなくなって、関西も徐々に東京のようなフラットな都市になっているよね。それで――「とにかく最短時間で大阪に到着すべし」と、地場に関係なく利便性とスピードを追求したのが、事故を起こした「JR福知山線」なんだよ。不思議だよね、村上という人は大阪出身で、阪神・阪急の微妙な土地勘、地域差による感覚のちがいを肌でわかっているはずなのに、まるっきり無頓着で。】

〜〜〜〜〜〜〜

 正直、この項のなかで、福知山線の部分は、「蛇足」ではないかという気がしてならないし、村上さんというのは、そういう感覚の違いに対して、あえてカネの力で挑戦状を叩きつけたのではないかな、と僕などは考えてしまうのですが。
 しかしながら、ここに書かれている「阪神」と「阪急」の話、日本でもこんなことがあるのだなあ、と、ちょっと驚いてしまいました。もちろん、僕が住んでいるような田舎にも「高級住宅街」なんていうのは存在しますが、ここまで「住み分け」されているような印象はありません。

 以前、アメリカのボストンに仕事で行ったときの話なのですが、そこに留学されている先輩に現地を案内してもらう際、その先輩は、地下鉄の路線図を指差しながら、「地下鉄の、この駅までは『比較的安全』だけど、この駅から先はちょっと危ない、そして、ここから先は、土地勘が無い日本人がひとりで行くのは危険だからね」と説明してくれたのです。僕にはその「危険度」を体験してみたいなんていう勇気はありませんから、先輩に言われた通りの駅から駅までしか利用しませんでしたが、「少なくとも線路が通っているようなところはとりあえず安全なはず」というような先入観を持っていた僕にとっては、そういう「東洋人は、車に乗っているだけでフロントガラスに石を投げられることもある」というような地域が現実に存在しているというのは衝撃的なことでした。そして、この地下鉄に乗っているだけで、そういう場所にたどり着いてしまうのだ、というのは、すごく不安な気持ちにさせられる「現実」だったのです。

 まあ、この「阪急」と「阪神」に関しては、そこまで切実な「危険性」はないのかもそれませんが、僕などからすれば「同じ京阪神」に住んでいて、甲子園球場で「六甲おろし」を熱唱しているようなイメージがある人々のあいだにも、こういう「一緒にされることへの違和感」があるのだなあ、とあらためて考えさせられたのです。もしかしたら、「阪急と阪神の融和」なんて、「村上ファンド」がいなければ、ありえない「夢物語」だったのかも。

 そういう意味では、東京の「フラットさ」というのは、確かにそんな「細かい地場の差」に疲れてしまった人たちにとっては、ものすごく魅力的な面もあるのでしょう。
 これだって、「東京人」に言わせれば、「いまの東京だってそんなにフラットなわけじゃない」と一蹴される可能性もあるんですけど……