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2006年06月01日(木)
緒形拳さんの「今村昌平監督の思い出」

「日刊スポーツ」の今村昌平監督の追悼記事より。

(俳優・緒形拳さんの今村監督へのコメントです)

【4月27日にご子息から電話があり、病院に賭け付けました。監督は眠っていましたが「オガタ」と目を開けて気が付かれたのですが、また眠りました。私にとって、監督といえば今村監督です。いつも賑やかな現場で、しかし、ビシーッとしていて、あー男の仕事場だと思っていると、作品は見事にたくましい女の話でした。「よーい、スタート」という声にハリがあって、色気があって、格好良かったです。楢山節考の撮影初日に「何も撮るものがないので、ババア捨てたラストから撮る」「ラスト? どんな顔してたら良いのですか?」と聞くと「僕もわからないので、ボーッとしててくれ」と答えられた。つながってみたら、そのシーンがイチバン良かったのです。監督の力わざです。】

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 僕は今村監督の映画は「黒い雨」と「楢山節考」くらいしか観たことがないのですが、この緒形さんのコメントが、なぜかものすごく心に残ったので、引用させていただきました。
 緒形さんほどの俳優に「監督といえば今村監督です」なんて言わしめてしまうというのは凄いことだと思うのですが、このコメントのなかで語られている今村監督の姿というのは、颯爽としていて、色気があって、しかも洒落も利いていて、すばらしく魅力的な監督さんだったのだな、ということが伝わってきます。
 しかし、カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した「楢山節考」のラストシーンに、こんな「秘話」があったとは知りませんでした。映画というのは順番通りに撮影するものではなくて、各シーンをそれぞれ撮って編集するのが常識だとしても、どう考えても映画の最も重要なシーン、しかもラストシーンから撮り始めるというのは、かなり「常識外れ」だったはずです。いくら緒形さんでも、その作品の世界に馴染んでいない状態でしょうから、「どんな顔してたら良いのですか?」と聞きたくなるのも当然でしょう。
 もちろんこれが今村監督の「作戦」だったのか、全くの「偶然」だったのかは、僕にはわかりません。でも確かに緒形さんのそのときの表情は「何もわからなくなって、ボーッとした顔」だったと記憶しています。もし、先にいろいろなシーンを撮っていて、作品に対して思い入れが強くなってしまっていれば、そんなにリアルに「ボーッと」は、できなかったのではないでしょうか。これぞまさに、「力わざ」。

 今村監督の身上は、「人間のこっけいさ、偉大さ、純粋さ、醜さを追い続ける」だったそうです。それは、監督自身の生きざまそのものだったのかもしれませんね。