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2006年01月28日(土)
「うまい指揮者」は、魔術師のように。

「マンガは今、どうなっておるのか?」(夏目房之介著・メディアセレクト)より。

【僕の両親はクラシック奏者だった。
 父は東京フィルの第一ヴァイオリンで、母はフリーのハーブ奏者である。小さい頃、母にオーケストラの練習などへ連れて行かれたような気がする。今でも演奏が始まる前の音合わせの雑然とした音がなんとなく好きなのは、そのせいだろう。
 昔、父と話していて、不思議なことを聞いた。
 「うまい指揮者だとね、そいつが振っただけで、どういうわけかこっちもイイ音が出るんだ。俺こんなにうまかったのか、ってくらい違うんだ」
 ナゼそんなことができるのか聞いたけど、むろんわからなかった。
 姪のひとりが大学で交響楽団のサークルに入っていて、何度かコンサートにいった。姪は元気だった頃の父からバイオリンを習っていたのだ。音楽大学ではないので楽団に技術があるわけではない。それでも音楽をやっている楽しさがちゃんと伝わってきて、なかなかいいのである。
 何度めかのコンサートで父の話が腑に落ちる経験をした。
 演奏会のときは、学生がお金を出しあってプロの指揮者を頼むのだが、あるときけっこううまい指揮者が振った。すると、歴然と音が違うのだ。「こいつら、こんなにうまかったか?」と思うほどだ。
 なるほど、オヤジのいってたのはコレか、と思って姪に聞いてみた。
 「はじめて音合わせしたときから、違う音が出るんで驚いた」
 といっていた。その指揮者は、最初の練習では別にこまかく「ここをこんな音で」とか指示するわけではなく、ただ一度流して演奏させ、最後に第一ヴァイオリンに一言「もっと大きな音で」とか何とかいっただけだったそうだ。学生だから指揮者に払うお金も限られており、練習も1回くらいしかできないらしい。それでも、あれほど違うのだ。
 おそらく楽団全体を瞬時に自分の神経末端のように統御し、共同幻想に巻き込む能力があるのだろう。そうとしか思えん。】

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 夏目さんが体験した、「指揮者」の影響力の話です。
 「一頭のライオンに率いられた百頭の羊の群は、一頭の羊に率いられた百頭のライオンの群に勝つ」 という有名な言葉があるのですが、僕は内心「と言っても、実際に戦ったら百匹のライオン群団が勝つに決まってるだろ」とか考えていました。野球だって、楽天が野村監督に代わったからと言って、現有戦力では、そんなにかわりばえしないんじゃないか、と。
 僕は自分で楽器を演奏することがないので、あの「指揮者の力」というのにも、かねがね疑問を抱いていたのですよね。誰が前であの指揮棒を振っていたところで、演奏している人たちは同じなのだから、そんなに劇的に違うとは思えなくって。そりゃあ、よっぽど音痴な人が目障りになるくらい滅茶苦茶にタクトを振っていれば演奏しにくいだろうけど。
 一度、「世界のオザワ」こと小沢征爾さんが指揮をするコンサートに行ったことがあって、確かにそのときはホールは凄い盛り上がりだったのですが、そのオーケストラの日頃の演奏を聴いたことがない僕としては、どこまでが小沢さんの力なのか、よくわかりませんでした。逆に、みんなが小沢征爾という名前に踊らされているんじゃない?という気がしたくらいです。演奏そのものは、確かに素晴らしいものではありましたが。
 でも、この夏目さんの話を読んでみると、その「違い」というのは、歴然としたものみたいです。というか、【はじめて音合わせしたときから、違う音が出る】というくらい違うなんて!しかも、どうしてそんなに違うかというのは、実際に演奏している人たち、東京フィルの第一ヴァイオリンという、「音楽のプロ中のプロ」の夏目さんのお父さんですら、「なぜだかわからない」みたいです。これって本当に「集団催眠」のようなものなのかもしれません。「この人が指揮しているから大丈夫」みたいな感覚って、やっぱりプロの音楽家にもあるのかなあ。
 「指揮者」というのが昔からオーケストラにおいて重要視されてきたのには、それなりの意義があることなのだ、と僕はこれを読んであらためて感じました。「指揮者の力」っていうのは、なかなか言葉にしづらいもので、そういうのを「カリスマ性」と言うのかもしれませんね。
 なんだか、僕も素晴らしい指揮者に出会いたくなってきました。所詮指揮者任せかよ、という気もしますけど。