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2006年01月26日(木)
「お遍路」という、アナザー・ワールド

「月刊psiko」(ポプラ社)2006年2月号の特集記事「人はなぜハマるのか」より。「お遍路に向かう若者たち」(小林キユウ著)より。

【徳島・高知・愛媛・香川の4つの県をぐるりと一周する距離など海外旅行から見ればたかが知れている、と最初は思った。単なる国内の小旅行。しかし、それは車や列車などの交通機関を使ったときの話である。いざ自分の足だけで旅をはじめると、これがまったく別世界となる不思議さにまず驚かないわけにはいかなかった。1日20キロしか進めないというのはどういう感覚か。たとえば、国道わきにコンビニが見えてくる。昼の弁当を買おうかと一瞬思う。しかし腕時計を見るとまだ10時。昼飯を買うには早いと思って通りすぎる。しかし、1時間ほど歩いた時に悟る。道はどんどん山の中に入り、民家さえない。この先とても店があるとは思えない風景がえんえん続く。さっきのコンビニまでは距離にして約4キロ。これが車だったら引き返すのに何の躊躇もない。しかし、歩いている者にこの選択はありえない。1時間かけて戻り、そこで弁当を買ってまたこの場所まで戻ってきたら2時間かかる。弁当にありつけても、歩いた分だけ腹はさらに減ることになる。日常生活では感じたこともなかった時間軸の中に迷いこむことになる。

 八十八か所をすべて歩くと約1400キロ。早い人で四十数日、普通は2か月はかかる。歩くと1日という時間がものすごく長く感じる。それが2か月も続くのだ。もう想像を絶するほどの長さである。下手な海外旅行などまったく比較にならない。飛行機で地球一周と自分の足で四国一周。あなたはどちらの旅が壮大だと思うだろうか?僕は間違いなく四国一周だと答える。たとえ1日でも遍路道を歩いてみれば、それは誰もがうなづくことだと思う。わずか1キロ歩く間にもさまざまなことが起こりうる。四国では遍路に対して「お接待」という習慣が今も残っている。歩いていると食べ物や時にはお金を手渡してくれるのだ。寝場所に困っていると自分の家に泊まれと言ってくれる人も珍しくない。「こんなことが今の日本で起こりうるのか」と何度も驚かされる。知らない世界に迷い込んだ感覚が襲う。この瞬間、遍路は日常生活をある意味で断ち切ることができる。日常から離脱し、別世界へ来たかのような心地よさを、別の言い方をすれば「ハマる」と言うのかもしれない。】

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 旅というのが「非日常への脱出」だとするならば、「お遍路」というのは、確かに「海外の観光地への旅行会社のパック旅行」よりもはるかに、「旅」であるのかもしれません。「お遍路」というのは、日本の古い習慣であり、高齢の信者の人たちが宗教的な儀式としてやるものだとばかり思っていたのですが、最近は若者が少しずつ増えてきているそうで、小林さんが4年前に遍路道を8日間だけ歩いたときには【実際に歩いてみると想像以上に若い人が多かった。30歳前後の人に大勢会った】そうなのです。この雑誌にも、小林さんが撮影した27歳の男性と29歳の女性の写真が掲載されていました。
 僕は体力的にも精神的にも、「もうパックのツアーのほうがラクだし安全だし」とか「せっかく旅行するなら、ホテルはやっぱり豪華なほうが…」という境地に達してしまっていて、お遍路に行くひとは、「狂信者」か「物好きな人」なのではないかというイメージを持っていたのですけど、実際はそんなことはないみたいです。むしろ、お遍路というのは、「自分と向き合うための旅」なのだなあ、と。
 このコンビニの話にしても、車に乗っていれば、コンビニを通り過ぎても次のコンビニまで待つか、引き返せばいいわけで、そこに迷いなんてないですよね。でも、歩くと、それだけ世界は広くなるし、いろんな物事の判断基準も変わってくるのでしょう。一軒のコンビニのありがたみというのも、全然違ってくるはずです。もちろん、昔はコンビニなんて無かったのですけど、日常とのギャップという意味では、「お遍路道」というのは、昔よりもさらに「別世界」になっているのかもしれません。周囲の人々の温かさというのも今の日本の一般的な感覚からすれば、まさに「信じられない」ものですよね。知らない人が「下心」無しに自分のために何かをしてくれるなんて、逆に薄気味悪いくらいです。
 もちろん、日本語は通じるのですから、海外のバックパッカーたちよりは「安全」であることは間違いなさそうですが、「異世界体験」という意味では、少なくとも定型化された海外の有名観光地よりは、カルチャーショックを受けそうな気がするのです。僕も3日くらいならやってみてもいいかなあ、とか、ちょっとだけ思いました。所詮3日かよ!という感じでもありますが。
 ちなみに、お遍路にハマって抜け出せなくなってしまうことを「お四国病」と言うのだそうです。今の世の中って、みんな「便利」とか「快適」ばかり志向しているようで、実際は多くの人が、「不便なこと」とか「不自由なこと」、あるいは「ただ体を動かして、疲れてぐったりと眠ること」を求めているのかもしれませんね。