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2005年12月07日(水)
ふたりのミキがいる。

「Number.633」(文藝春秋)の記事「安藤美姫 ふたりのミキがいる。」(文・宇都宮直子)より。

(安藤美姫選手の最初のコーチであった門奈裕子さんが、安藤選手の子ども時代を振り返って)

【門奈と過ごした4年を、安藤は自分の原点だと言う。いちばん楽しかったと表情を崩す。
「先生のことを忘れたことは、一度もありません。先生はいつでも愛情を注いでくれた。一緒にはしゃいでくれたし、抱き締め泣いてくれた、お母さんのような先生でした」
 では、幼い日、彼女はどんな少女であり、どんな選手だったのだろうか。
 門奈が指導を始めたのは、安藤が小学校3年生のときだった。
「最近は演技内容も変わって、強いって感じがしますが、小さいときは、いつもなんだか寂しそうにしていましたね。人といると嬉しくってはしゃいじゃうような子って言えばいいのかな」
 子供だった安藤を連れ、門奈はイチゴ狩りや食事にも行った。
「美姫に何が食べたいって聞くと、毎回、焼き肉なんですよ」
 と門奈は笑い、続ける。
「美姫は、(浅田)舞や真央と3人姉妹のようでした。トイレに行くのも一緒で、お揃いのコスチュームを色違いで着ていることもあった。とても仲がよくて、練習でもいつも同じことをしてましたというか、私がさせてました」
 練習メニューまで同じだったのは、彼女たちの能力がそろっていたからに他ならない。
 門奈はジャンプを習得させる際、生徒何人かを組ませ、同じ種類のジャンプを跳ばせるが、それを全員クリーンに降りなければ、先には進ませない。
「だから、結果的に3人でやらせるしかなかった。よく、美姫の才能について聞かれますが、私にはあの子が特別っていう感じはなかった。たしかに、練習熱心でしたが、舞や真央も上手でしたから。あの3人は、ジェットコースターに両手を離して乗るんですよ。まだ小さいのに、落下のときも『ばんざい』している。そういう感覚だから、トリプルも簡単に跳べるんだろうなって思ったことも覚えています」

 安藤はリンクにいちばん先に来て、いちばん最後まで練習していた。悲しそうな顔をしているときも、リンクに乗れば笑みを浮かべた。
 一方、試合では強気な面も見せている。
「普通の子は1本目のジャンプがだめだと、投げちゃって跳ばないんですけど、美姫は絶対に最後まで跳ぶ。その辺はもう本当にすごい。強い意志を感じました」
 安藤は中学1年生のときには、すでにトリプルルッツ、ループという高難度のコンビネーションを跳んでいたが、そこで失敗しても、もう一度、必ずルッツに挑んだ。プログラムの後半のいちばん苦しいところであっても、決してあきらめなかった。
「ただ、あの子、エキシビションは嫌いだったんですよ。小学6年生のときだったかな、プロの試合のエキシビに出してもらえたんですけど、ずっと泣きっ放しで超ブルー。まずいことになったと思っていたら、本番ではトリプルを跳んでケロッとしている。不思議な子ですよね」
 幼少の頃の安藤には、主役を嫌う傾向があった。たとえば、幼稚園の遊戯会でも、美姫はその他大勢でいるのを望んだ。端役を得ることに強くこだわるのである。
「で、村人1とか2を一生懸命に演じる。主役だと1人じゃないですか。美姫はそれが嫌だったんじゃないかな。あの子は、とにかくみんなといっしょにいるのが好き。だから、今は本当に頑張っていると思います。期待とか重圧とか、あの弱い美姫がしょっていけるのだろうかって感じることもあります。なにしろ、1番滑走を引いたって言っては泣いていたような子ですから」】

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 「ミキティ」こと安藤美姫選手の幼少時代の話です。いや、「幼少時代」とか言っているのですが、今もまだ17歳なんですけどね(ちなみに12月17日が誕生日だそうなので、もうすぐ18歳)。
 僕が安藤選手にはじめて注目したのは「トリビアの泉」の「フィギュアスケートの選手は、何回くらいぐるぐる回ると目が回ってしまうのか?」というお題に挑戦したときで、その可愛さと、物怖じしない飄々とした雰囲気に、すっかり魅せられてしました。このインタビューの中での「ジェットコースターで平然と手を放している姿」からすれば、ああやってくるくる回されることなんて、彼女にとっては朝飯前だったのかな。
 でも、テレビの画面を通して観る安藤選手は、あくまでも「演じている彼女」なのではないか、と僕はこの文章を読んで思ったのです。もちろん、年を重ねて、たくさんの大舞台を踏んだ彼女は、もう小学校3年生のときの、1人が嫌いで、主役を嫌っていた少女ではありません。でも、その一方で、彼女がそんな少女だったのは、自分が「自然に主役になってしまう存在」だということを、子供心に薄々気づいていて、だからこそ、1人になってしまうのが怖かったという面もあるのかもしれませんね。先日、「あまりに周りに騒がれてしまうので…」ということで、取材規制宣言が出されたことを考えると、あんなふうに「物怖じしない現代っ子」に見える安藤選手の心の中にも、いま、さまざまな葛藤があるのでしょう。トリノ五輪も、もうすぐですしね。
 それにしても、このインタビューの時点(2005年7月)では、まだ「想定外」だった話なのですが、年齢制限で出られないはずだった浅田真央選手の「特例によるトリノオリンピック出場の可能性」も取りざたされており、安藤選手は、「姉妹のようだった」浅田選手と代表の座を争わなければならなくなりました。浅田選手の出場は、試合結果と同時に「特例」としての許可が必要という「狭き門」ではあるのですが、それでも、お互いが「勝たなければならない相手」になってしまったことは間違いありません。スポーツの世界には、ときにこういう残酷な状況がつくられてしまいます。

 もうすぐ18歳の安藤選手にとっての「4年後」は、あまりに遠く、そして、選手としての能力もピークを過ぎてしまっている可能性も高いのですから、まさに、このトリノが「勝負」のはず。そして、今、彼女には、「日本代表」という大きなプレッシャーがのしかかっているのです。
 1人で勝負の世界に生きるアスリートと、17歳の孤独が嫌いな女の子。
 僕たちが知らない、ふたりのミキがいる。