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2005年10月24日(月)
「ホワイトバンド」をめぐる誤解と不快

毎日新聞の記事より。

【世界的な貧困根絶キャンペーンに合わせて国内で300万個販売された腕輪「ホワイトバンド」に対し、購入者から批判が出ている。「売り上げの一部は貧困をなくすための活動資金となる」との触れ込みだったが、食料などを送るわけではなく、細かな使途も決まっていないため。事務局は「ホワイトバンドは『貧困をなくす政策をみんなで選択する』意思表示が狙い。分かりにくかったかもしれない」と説明し、店頭で、募金活動ではないことを強調する表示を始めた。
 ホワイトバンド運動はアフリカの市民活動家らが、包帯や布などの「白いもの」を着けて貧困撲滅を自国政府や先進国に訴えたのが始まりとされる。今年7月に開かれたグレンイーグルズ・サミットへ向け、「ほっとけない 世界のまずしさ」をキャッチフレーズに、70カ国の市民団体が運動を展開し世界に広まった。
 日本では約60の市民団体が事務局を結成し、PR会社「サニーサイドアップ」(東京都渋谷区、次原悦子社長)が協力。7月から、レコード店やコンビニエンスストアなどで1個300円の腕輪を発売している。
 ところが、先月からインターネット上で、途上国を直接支援しないことへの批判が出始めた。事務局にも「途上国に募金が送られないと知っていたら買わなかった」「利益の使途を詳しく知りたい」などの批判や問い合わせが約500件も寄せられている。8月に購入した千葉県柏市の女子大生(22)は「募金にならないなんて知らなかった」と話す。
 このため事務局は、店頭に「途上国へ食料や物を届ける運動ではありません」と書いた黄色いステッカーの掲示を順次進めている。ホームページも同様の説明を強調するよう変更した。
 事務局によると、材料費や流通費などを除いた売り上げの44%を、活動の広告費や事務局の人件費、政策提言の研究費、PRイベントの費用などにあてる。今月末までに詳細な使途を決めるという。今田克司事務局長は「運動は『世界に貧しい国がある』と考えるきっかけを作るもの。政策提言や声を上げるために資金を使う。それが途上国への募金と同じような意味を持つことを理解してほしい」と説明している。】

参考リンク:ほっとけない世界のまずしさキャンペーン

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 「ホワイトバンド」って、300万個も売れていたんですね。そのことにまず驚きました。僕は地方都市在住なのですが、本当に、ひとりもあれをつけている人を見たことがありません。もっとも、すれ違う人ごとに、ホワイトバンドの有無に注目していたわけではないので、なんともいえないところがあるのですけど。田舎では、あれを買ってもみんなの前で身につけるというのには、ちょっとした勇気が要りそうですしね。
 「募金」とうものには、一抹の「いかがわしさ」や「偽善的である」という印象がつきまといがちで、僕などもコンビ二でお釣りを募金箱に入れるのにはためらいがあったりもするのですが(だって、「いい人」みたいなんだもの!)、この「ホワイトバンド」のキャンペーンは、「LIVE8」という、世界的な音楽イベントなども行われたりして、ある種の「ファッショナブルなボランティア活動」とされてきたイメージがあるのです。例えば「赤い羽根」をつけて歩いている人がほとんどいないことを考えると、この「ホワイトバンド」のキャンペーンは、単純に集まった金額のみならず、活動の世界的な認知度からしても、大きな成功をおさめたと言えそうです。
 ただ、このサイトにある「ホワイトバンド300円の内訳」というのを見ると、これだけの大規模な活動となると「経費」の割合というのがかなり大きくなるのだなあ、と感じます。そもそも、「アレの材料費が69円もかかるのか?」という気もしますけどね。上の記事に出ている女の子には悪いけれど、そんなに直接的な寄付を確実にしたいならば、日本赤十字社とかに寄付したほうが確実で「中間に差し引かれる経費」もはるかに少ないと思われます。それだけお金をかけてプロモーションをしているからこそ、この活動がこれだけ大々的になっている、というのも事実なのです。有名人が参加していなかったら、「ホワイトバンド」は、ここまで流行らなかったはずだし、まあ、それでも「興味を持ってもらいたいし、興味を持たせることそのものが目的なのだ」というのが関係者の本音なのでしょう。
 それにしても、「直接支援」にこだわる必要って、そんなにないと僕は思うんですよね。例えば、「がん撲滅基金」が、がんの患者さんたちの治療薬を直接援助することだけでなく、がんに対する新しい治療法の研究に使われたりするのには、みんな「妥当」だと思うのではないでしょうか。この「ホワイトバンド」のお金だって、「300円のうちの132円」が、いま飢えている人のための「目の前の食料」に使われるよりも、より効率よく将来的な貧困の根を絶つために使うことができるのならば、「政治的に」使われるのは、けっして悪いことではないと思います。「目の前の飢えている人たちを見殺しにするのか!」と言われれば、それはそれで辛いことではあるのですが、その一方で、そういう「対症療法」では、いつまで経っても同じことの繰り返しになりそうだし。
 まあ、そういう「政治的な活動」みたいなのって、基本的には「なんかいかがわしい感じ」に思えてしまうのも事実だし、その活動内容にも、なんらかの「偏り」みたいなものが出てきてしまうのではないか、とも思うのですけどね。
 それにしても、こういう「騒動」で、せっかくの「善意の芽」が摘まれてしまうとすれば、そんな残念なことはないですよね。たぶん、どちらにも悪意はないのだろうけれど、これでせっかくの「やる気」がそがれてしまっては、元も子もありません。
 でも、そろそろ、「募金する側」も、流行に乗ったりや芸能人の真似をするだけじゃなくて、自分の目と耳で「何をどうやって支援すべきか?」を考えるべきなのではないかと思うのです。いや、何に使われるかわかんないような「資金集め」に、流行だからって何の疑問も持たずに協力するほうにだって責任はあるはずです。「騙された!」って言うけれど、こうやってネットで話題になるまでは、実際は何に使われるかなんて、全然興味なかったんじゃないの?
 300円なら、「勉強代」としては、安すぎるくらいじゃないのかなあ。