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2005年10月05日(水)
綾瀬はるかの“とりあえず3年”

日刊スポーツのインタビュー記事「日曜日のヒロイン〜第483回」綾瀬はるかさんの回の一部です。

【透けるように肌が白く、水栽培の花のように繊細な印象だ。

綾瀬「とんでもない。納豆食べる時は、家の横の畑からネギとってきて『はいよ!』って感じの子でした。川で遊んだり、男の子と自転車で遊んでドブに落ちてねんざしたり。足には小さい傷がたくさんあります」。

 15歳の時に、友達に誘われてホリプロスカウトキャラバン広島予選に応募した。「かわいい子たちを見学に行くノリ」だったが、4次審査を突破。東京での決勝大会まで進み、応募総数4万221人の中で審査員特別賞を受賞した。芸能界入りに両親は大反対。受賞した瞬間、会場にいた母親はショックで泣きだしてしまった。

綾瀬「まさか特別賞もらってデビューなんて、誰も考えてなかった。普通は半年で上京するのに、ウチは1年半も家族会議してました(笑い)」。

 とりあえず3年、というスタンスで高2の夏に上京した。広島の高校時代は、宝物のような思い出になっている。

綾瀬「朝は先生が校門にバーッと立ってて、遅刻すると1週間のトイレ掃除。携帯が見つかったら1週間没収。厳しい校則生活がいかにも学生、って感じで大好きだった。合唱祭に向けてクラス全員で『優勝するぞ』って猛練習したり。すっごい熱い高校でした」。

 上京前日、合唱祭に出られない綾瀬のために、クラスの男子生徒たちが歌で送りだしてくれた。

綾瀬「歌詞の『君のために』って部分を私の名前に替えてハモってくれて…。もう号泣でした」。

 上京したら、広島弁コンプレックスで無口になってしまった。グラビア時代は同世代アイドルと一緒のイベントに出ることが多かった。取材はほとんど集団で受けた。

綾瀬「誰かがしゃべってくれるからいいや、なんて人任せで。広島にいた時は、有名なグラビア雑誌も知らなかった。ビキニの撮影で『私、エロいことさせられてる〜』って恥ずかしくって(笑い)。あとは事務所に言われたオーディション受けて、ドラマにちょっと出たり。自分が何をやりたいのか分からない“とりあえず3年”は、すごく長かった」。

(中略)

 今年8月、終戦60周年の節目に広島、長崎への原爆投下を検証するドキュメンタリー番組に、筑紫哲也氏と出演した。広島出身の彼女は「おばあちゃんのお姉さん」を原爆で亡くしている。番組内で初めて祖母から原爆にまつわる話を聞いた。「何も知らなかった自分が恥ずかしい」と大粒の涙を落とす姿に、広島の人たちから「あなたが伝えてくれて良かった」と多くの声が寄せられた。

綾瀬「京都は歴史の街とか、北海道はグルメとか楽しそうなのに、広島というと『修学旅行で原爆ドームに行きました』みたいな。そういうイメージを不満に思っていた自分がすごくバカ、最低って思った。おばあちゃんがどんな気持ちで私に話してくれたのか。私が生まれた街で何が起こったのか。もっと重く受け止めるべきだったと…」。

 涙声になった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 まさにいまが旬の女優・綾瀬はるかさんなのインタビュー記事の一部です。この記事の内容が100%の事実ばかりではないとしても、なんだかほのぼのするというか、がんばってほしいなあ、と。
 小さい頃から「芸能界ロード」を歩んできたのではなく、ごく普通の高校生から「芸能人」になってしまったという困惑と苦悩、そして、「伝える仕事」に対して喜びを感じはじめているんだな、ということがしみじみと伝わってくるインタビューです。
 いや、グラビアアイドルの人って、「ビキニ上等!」みたいなイメージだったんですけど、【ビキニの撮影で『私、エロいことさせられてる〜』って恥ずかしくって(笑い)】なんて言われると、観る側としては、その初々しさにかえってそそられたりするような気もしますし。
 ところで、綾瀬さんは広島出身だそうなのですが、僕も広島に住んでいたことがあるので、この【広島というと『修学旅行で原爆ドームに行きました』みたいな。そういうイメージを不満に思っていた】というのは、非常によくわかります。地元の「見どころ」が原爆ドームって、なんか辛気くさいよなあ…とか、子供心に感じてしまうんですよね。
 でも、いま大人になった僕は、綾瀬さんに、あらためて教えられたような気がするのです。若者にだって、教えていけば、ちゃんと伝わる(人もいる)のだなあ、と。正直、あれだけ子供の頃に繰り返し教えられた「原爆の記憶」を、僕は忘れかけていたというのに……