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2005年09月21日(水)
同じ部屋では眠れないふたり

「我が妻との闘争〜極寒の食卓編」(呉エイジ著・アスキー)より。

【つらいことがあったせいで早寝をした私は哀しみのあまり、深夜にふと目を覚ましてしまった。いつもなら嫁は私とは別々の部屋で布団を敷いて子供たちと寝るのだが、私を移動させるのが面倒くさかったのか、畳で寝ていた私に布団を掛け、その横に布団を敷いて眠っていた。
 普段、離れて寝ているのには理由があった。私は真っ暗でないと眠れないのだ。案の定、部屋には電気がつけられていた。嫁が気付かぬよう細心の注意を払って布団から抜け出す。そしてゆっくりと照明のヒモに手を伸ばした。
 パチン……これ以上はできないくらいの小さな音で電気を消した瞬間、
「私は真っ暗やと怖くて眠れへんのじゃ!子供たちもそれで馴れとるんじゃ!今すぐ電気つけんかい!」
 丑三つ時に嫁の怒声が県住に響き渡る。電気より先に声で子供たちが起きてしまいそうな怒りっぷりである。なんでさっきまで寝てたのに、あんな小さい音で起きるねん。どんなセンサーがついてるねん。
 もうすぐ朝だ。そしてそれは嫁のルールしかまかり通らぬ一日の始まりでもあるのだった……。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ああ、本当に呉さんがかわいそうでなりません。とくに、「呉エイジ予備軍」である僕のとっては、身につまされる話です。
 ところで、これを読んでいて僕は思ったのですが、「寝るときに真っ暗なほうがいいか、灯りがあったほうがいいか」というのは、けっこう両極端に分かれるような気がするのです。いや、僕だって、そんなにたくさんの人と同じ部屋で寝るという経験をしてきたわけではないのですが、たとえば修学旅行のときとか、部活の合宿、社員旅行などの状況で、「寝るときに、真っ暗にするかどうか」というのは、けっこう意見が分かれるところではありますよね。
 ちなみに僕は、子供のころから「真っ暗だと怖くて眠れない派」だったのです。そもそも「眠る」という行為そのものに、「寝たら、明日は起きられないんじゃないか」とか、「寝て起きたあとの自分は、今の自分とは別人なのではないか」とか、いろいろと考えると、怖くなってしまうんですよね。それこそ、部屋の灯りというのは、自分をこの世界に留まらせてくれる道しるべのように感じていたのです。
 でも、その一方で、「少しでも明るいと、気になって眠れない」という人もいます。こちらは、「まぶしい!」というある意味まっとうな理由で、世界を暗黒にすることを必要としているのです。
 そして、この両者が一緒に寝ようとするとき、やはりそこには「歪み」が現れてきます。でも、こういうのって、「習慣」ではあるし、情緒と理性との争いなので、どこまでいっても平行線なんですよね。
 「怖い!」と「怖くない!」、「まぶしい!」と「まぶしくない!」ならば、それぞれ議論の余地もあるのでしょうが、「怖い!」と「まぶしい!」というのは、あまりにもかみあっていない理由なのです。

 結局は、一緒の部屋で眠るかぎり、どちらかが妥協するしかない話ではあるのですが、誰かと生活をともにするというのは、実務的には、細々としたところで、いろいろな問題があるものみたいです。