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2005年08月05日(金)
ある名門高校野球部の悲劇

日刊スポーツの記事より。

【甲子園春夏通算24回目の出場を決めていた名門・明徳義塾(高知)が4日、あす6日開幕の第87回全国高校野球選手権大会(甲子園)の出場辞退を発表した。部員の喫煙、部内暴力が判明したためで、馬淵史郎監督(49)は辞任を表明した。夏の大会で代表校が出場を辞退するのは初めて。前日抽選会が行われ、対戦相手が決まったばかりだった。規定により高知大会準優勝の高知が出場し、大会5日目第3試合で日大三(西東京)と対戦する。
 戦後新記録の8年連続出場を決めていた明徳義塾が、戦わずして夢舞台を去った。この日午後、大阪市内の日本高野連で会見した馬淵監督は「生徒のことをいろいろと考えた揚げ句の私の判断だったが、結果的に報告遅れということになってしまい、選手には大変悪いことをした。非常に反省しています」とうつむき加減に話した。前日に対戦相手が決まり、あとは2日後の開幕を待つばかりだったことが、衝撃をさらに大きくした。同校の連続出場は7年で途絶えた。
 馬淵監督によると、4月から7月にかけて2年生3人、1年生8人が寮内のボイラー室で喫煙していたことが7月上旬に発覚。暴力事件については3年生4人、2年生2人が1年生に対し格闘技のK−1をまねたような暴力を4月に1回、5月に2回行っていたことが7月15日に発覚した。これを学校長や高野連へ報告せず、部内で1週間の謹慎処分を科すなどして解決を図ろうとしていたという。
 だが、事件に関する匿名の投書が1日に高知高野連に、3日に主催の朝日新聞社に届いた。これを受け、日本高野連が3日夜に宮岡清治部長(45)と馬淵監督に事情を聴取。事態を重く見た学校側が4日午前9時に高野連に出場辞退を申し入れた。吉田圭一校長(58)は「1日の投書を受けて、馬淵先生から初めて事件のことを聞いた。87回を迎える歴史ある大会に出場するのは不適切と判断した」と説明した。
 日本高野連も出場辞退を了承。臨時審議委員会を開き、宮岡部長と馬淵監督に有期の謹慎処分を科すことを決めた。今後、日本学生野球協会審査室(開催時期未定)に上申される。】

【まさに異例の事態だ。甲子園の常連校である明徳義塾が開幕2日前に出場を辞退。「生徒を思ってやったことが、嫌な結果に」「情状酌量の余地はあると…」。馬淵監督はしきりに釈明した。隠ぺいする意思はなかったと信じたいが、指導者の認識の甘さが悲劇を呼び込んでしまった。
 日本高野連ではかつてのような連帯責任を求める姿勢は取ってはいない。不祥事の質の問題はあるが、高野連に報告し、その加害部員を登録メンバーから外すことで、各地方大会への参加は可能になっている。現に暴力行為があった日本航空は山梨大会開幕前に山梨県高野連に事態を報告していたため、出場を認められた経緯がある。
 今回の不祥事は決して悪質なものではない。日本高野連が問うているのは不祥事自体ではなく、あくまでも報告が遅れたことについてだ。それだけに適切に対応していれば、警告処分ですんだかもしれない。馬淵監督は「(不祥事があった)時点で対処しておけば、こういう問題にはならなかったかも」と悔やんだ。】

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 最近あまり大きな話題になったことがない高校野球で最大の「話題」が、この不祥事だったというのは、なんだかなあ、という気もするのですが、僕の感想は、「高校の野球部の裏側なんて、まあ、こんなものだろうな」というものでした。明徳義塾高校は高校野球界の名門で、選手たちは、いわば甲子園出場を義務付けられた「プロの高校球児」たちでしたから、この件では、選手やその周囲の人たちは、ものすごく落胆したことでしょう。「甲子園に出場するための越境入学」なんていうのは、あんまり感じのいいことじゃないけれど、それはそれで、中学を卒業したばかりの青年たちが、親元を離れて生活するということだけでも、けっこう大変なことではありますしね。そこまでして「野球が上手くなりたい」「甲子園に出たい」と切望していたのに。考えてみれば「不祥事を起こさないことも含めてのプロの高校球児であるべきだった」ということなのでしょうが。
 都会ではたぶんどうでもよくなってしまっていることなのでしょうけど、田舎では「甲子園に出る」というのは、ものすごいニュースなのです。僕が前に働いていた病院では、「地元の高校が10年前に甲子園で優勝したときのピッチャーの消息」というのをみんな話していて、そんなに長い間「ヲチ対象」になってしまうものなのか、と驚かされたものです。あんな若い時期が「人生のピーク」になってしまうというのはリスキーな感じもしますけど、考えてみたら、僕をはじめとする市井の人々には、「ピーク」すらないんだし。
 実際に「野球界」というピラミッドの頂点にいるはずのプロ野球の選手たちをみていると「スポーツが健全な精神を作る」なんていうのは、嘘っぱちなんだなあ、ということがよくわかります。某球団の耳にピアスをしている強面の「番長」さんに、なんであんなに人気があるのか僕にはさっぱりわからないし、甲子園から鳴り物入りで北のほうに入団した選手なんかは、キャンプでタバコ吸いながらパチンコですからねえ…前にも「喫煙疑惑」があったことだし、あのたたずまいは、「社会人デビュー」だとは思えません。
 もっとも、そういう不健全さも含めて、現代的には「高校生らしさ」なのかもしれないんですけどね。
 そして、喫煙・暴力が日常茶飯事の選手がいる一方で、真面目に野球をやっている選手がいることも事実なのでしょう。だから「高校野球なんてこんんもんだ」と言うのではなく「高校野球にも、こういうやつはいるのだ」と考えるべきなのでしょう、きっと。

 それにしても、インドア派高校生だった僕としては、高校野球は所詮「競争」なのに、どうしてあんなに美化され続けているのか、納得いかない気分だったのです。あいつらが勉強せずに一生懸命野球しているのが「青春」なら、野球をせずに(というか、やれと言われてもできないけど)勉強ばかりさせられている僕の今は、何なのか?と。どうして高校野球は「美しい勝負」で、受験は「戦争」なのか?と。あいつら野球エリートなんて、実際は感じ悪いやつばっかりなのに。所詮、僕の人生には、浅倉南はいなかったし。
 もともと「転勤族」なので、地元の代表には愛着なんてサラサラない、というのもあるし、自分の子供が高校生くらいになれば、また違ってくるのかもしれませんけどね。

 たぶん、ああいう「旧き良き青春のひな型」みたいなのが、この日本のどこかに残っているのには、資料的価値だってあるのでしょう。
 そして、某新聞社とか某国営放送とかが、その幻想で商売をしているかぎり、「甲子園に出たい!」という若者が絶えることはなさそうです。

 同じ日刊スポーツに、こんな記事が載っていました。
【明徳義塾ナインは4日午前10時ごろ、西宮市内の宿舎食堂で馬淵監督から出場辞退を告げられた。食堂からはすすり泣く声が聞こえ、部屋に戻った選手たちは「何でだよ…」と泣き崩れた。今回の不祥事にかかわった控え選手3人は、返事もできないほど落ち込んだ。
 午前8時半からは西宮市内の津門中央公園で練習を行った。ただ「最後の練習を見てやろうと思ってましたが、見ててかわいそうになってきた」(馬淵監督)と、予定の2時間を30分に短縮して切り上げていた。
 チームは、関西出身の選手が多いことから、夕方6時半ごろに宿舎で「解散」した。関西出身の選手は家族が迎え、他は新幹線やバスで帰宅した。全員無言で憔悴(しょうすい)しきった表情だった。】

 第三者的には、こういう「悲劇のドラマ」が、また甲子園を必要以上に「聖地」にしてしまっているのかな、とも思うんですけど、やっぱり、当事者たちはかわいそうだよね…

 ところで、僕は、当事者だけ外して、甲子園に参加してもいいのではないかと思うのですが、「高野連は連帯責任を以前のようにはとっていない」というのを今回はじめて知りました。選手たちも知らなかったのではないでしょうか(あるいは監督も?)
 でも、この件に関して「当事者だけの処分でいいじゃないか!」と憤る人々の多くは「だから公務員はダメだ!」とか「雪印の社員はみんな悪人!」とか思っていたり、末端の社員を罵倒していたりするんですよね。良心的な人々だっていて当然のはずなのに。
 というか、「高校の野球部」という狭い世界で、そういう「校風」がまかり通っていたとしたら、個々の部員の責任というのは、大企業の末端構成員の比じゃないと思いませんか?
 少なくとも、高校野球という世界の(表面的な)清浄化、という観点からは、この出場辞退劇は、効果があるのだと思います。せめて、そうであってほしい。