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2005年08月03日(水)
「陰毛と書かないほうが恥ずかしい」人気女性作家

「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)2005年6月号の記事「角田光代ロングインタビュー」より。

【インタビュアー:ところで角田さんは、女性作家の中では格段に「陰毛」の頻出度が高いんですよ。セックスも「性交」。そこに角田さんの確固たる意志を感じるんですが(笑)。

角田:なにか逆自意識みたいになっているんです。自分に見えるものを自分の言葉で書くということをずっとやってきて、然るべき所に陰毛と書かないことのほうが恥ずかしいというか。
 直木賞の後、あちこちに写真が出て、「写真がすごくお好きなんですね」と言われて、ショックでした。人は露出が好きだというふうに取るんだな、と。でも「写真はお断りです」と言う自意識のほうが恥ずかしい。私はエッセイで物の値段のこともよく書くんですけれども、たとえばそれが380円だとして、その380円という値段を恥ずかしいよなと思うことのほうが、恥ずかしい。(小さくなって)カッコよさげなものが苦手なんです……】

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 そう言われてみれば、「対岸の彼女」で直木賞を受賞されて以来、角田さんの写真をいろんなところで見かけるなあ、と思いました。「負け犬vs勝ち組」みたいな構図で語られることが多かった「対岸の彼女」は、ものすごく話題になってベストセラーにもなりましたから、「時の人」としての露出として僕はあまり気には留めていなかったのですが。
 確かに、角田さんは客観的にみて「雰囲気がある人」ではありますが、綿矢りささんみたいに「萌え」を煽るようなルックスの方ではないですから、あまりにも顔を露出されることに対しては、なんとなく違和感もあったのは事実です。見かけで本が売れるタイプでもなさそうなのに、けっこう目立ちたがりなのかな?とか。
 実際に角田さんが書かれる小説は、むしろ、そういう「目立とう精神」みたいなものとは極北の位置にありそうなイメージもあったんですけどね。
 しかしながら、このインタビューでの角田さんの言葉を読んでいると、御本人としては、「露出したい」というよりは「露出しようとしないほうが、カッコつけているように思える」から、「露出をあえて避けたりはしない」ということのようです。作家の中には、顔写真を世に出したがらない人もけっこういますから(最近はそういう人は少ないみたいですけど)、文壇という世界では、それはそれで「風当たり」みたいなものもあるのかもしれません。「角田光代は、そんなに美人ってわけでもないのに、どうしてあんなに露出しまくってるんだ!」とか某老大家に言われていたりするのかな。

 これを読んで、僕はずっと考えているのですが、なかなか結論が出ません。さて、「写真はお断りです」という自意識と「写真はお断りです、なんて言う自意識は恥ずかしい」という自意識とでは、どちらがより「自意識過剰」なのだろうか?と。恥ずかしがるほうが恥ずかしいのかもしれないけれど、やっぱり自分に自信がないと、顔写真なんて大っぴらには出せないんじゃないか、とか、いくらそこにあるものでも、日常会話で「陰毛」は使いにくいよな、とも思いますしね。

 ただ、ひとつだけ言えるのは、作家という職業には、こういう「こだわり」っていうのは大事なのだろうなあ、ということです。
 それはもう、「正しい」とか、「間違っている」とか、そんなことは関係ないのかもしれません。