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2005年06月23日(木)
『大人の友情』における「距離の取り方」

「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)2005年6月号の記事「ダ・ヴィンチほりだし本『大人の友情』(河合隼雄著・朝日新聞社)」での、著者・河合隼雄さんへのインタビューの一部です。

【努力と工夫。そして、河合さんはもうひとつ「距離の取り方が大事」と言う。
河合「とくに若い人なんかは友だちといってもベタベタな関係になってしまう。ちょっと離れただけでも不安になって、急に淋しくなったりとか急に腹が立ったりとか。みんな人間との関係が欲しいと思ってるんやけど、”適当に距離をとって、しかもちゃんと深い”という感じがわからへんのやね。そこで焦る人のなかには、男女関係にいってしまう人も多いでしょ?セックスは”関係がある”と感じるからね。でも、身体は関係するけど心は関係しないから余計、孤独になる。”メル友”というのもあるけど、ケータイじゃなくて、生きてる人と生きてる人が関係を持つ、話をする、時間を共にする、というのをもっとやるべきやと思うね。みんな面白いよねぇ、忙しい忙しいって言うけど、ケータイばっかりやってるねんから(笑)。もっとじっくり、ときにはぼーっとしてるだけでもいいんですよ」】

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 「君子の交わりは、水の如し」なんていう有名な言葉がありますが、現代社会では、【若い人なんかは友だちといってもベタベタな関係になってしまう】ことが多いようです。ただまあ、「水のような交わり」というのが、果たして、正しい「友情」なのかどうかというのは、あまり他人と深くかかわるとめんどくさいよなあ、と考えがちな僕にとっては、よくわからないんですけどね。むしろ、「ベタベタした友情」みたいなものに、憧れてみたりもするし。
 そういうのは、単に、個人の嗜好なのかもしれないな、とも思います。
 「適当な距離」っていうのは、本当に難しい。

 「コミュニケーション」というものに対する考え方というのは、年々変わりつつあります。「電話」という手段が誕生したごく初期の頃は、「大事な用件は、会って話をするのが礼儀だ」と、多くの人が考えていたものです。
 でも、それから「手紙」の時代があって、「電話」そして「携帯電話」が主流になり、今は「メール」というのが、コミュニケーションの重要なツールになりました。今では、「メールだけじゃ失礼だから、電話を1本入れておいたら」なんて、「電話」というのも、どちらかといえば「無礼なコミュニケーション」から、「丁寧なコミュニケーション」に変わりつつあります。確かに、「メール」よりは声の調子とか大きさで、「温度」が伝わりやすいツールではありますし。逆に電話がかかってくると、このごろは正直、ちょっと身構えてしまいます。知らない番号だったら、「迷惑電話?」と思うし、最近親交がない知り合いからだと「結婚?」あるいは何かの勧誘?とか。一般的にはどうなのかわからないのですが、僕にとっては、電話がかかってくるのには、何かの「理由」が必要な時代になってきているのです。
 もう「ヒマだったから電話してみた」は、あまり好まれない時代なのではないか、と。

 河合さんの言葉は、もっともだなあ、と僕も思います。
 でも、その一方で、「実際に会っても、伝わらないものは伝わらないんだよなあ」と感じることもあるんですよね。それに「会うこと」そのものが難しい場合もあります。
 花田家の兄弟にしても、僕も最初は「実際に会って話をすれば、もっと関係改善をはかれるのではないか」と考えていたのですが、たぶん当人同士は「会いたくない」のだろうし、「そもそも、そう簡単に会えるような関係だったら、あんなことにはなっていない」のですよね。そういえば、僕も大学時代にものすごく仲が悪かった同級生がいて、それこそ部活を二分するような冷戦を繰り広げていたのですが、結局、お互いに「あのころは若かったねえ」なんて雪解けがみられたのは、部活を引退して何年か経ってから、だったんですよね。あとから考えれば「あのとき、直接本音で話し合っていれば、うまくいったのかもしれない」と、ものすごく後悔しているのですが、それからさらに時間が経った今、あらためて考えると、「あのときは、ああいうふうにしかできなかった」ような気もするのです。
 そういうのは、まさに「敗北主義」なのかもしれませんが。

 僕は、メールの中にも「体温」を感じることがあるのです。そういうのを「友情」だというのは、あまりにも短絡的なのかもしれませんが、確かに、何かが伝わってくることはあるのです。【身体は関係するけど心は関係しない】という「関係」があるのなら、「身体は関係しないけど、心は関係している」という「関係」が、ネットを通じてできることだって、あるのかもしれない。
 そんなことを書きながら、僕自身、そういう「関係」については、半信半疑ではありますけど、少なくとも「心」がこもったメールもあれば、そうでないメールもある。

 ちなみに、河合さんによると肝心なその「距離の取り方」については、「毎日人と接するなかで、日々練習していくしかない」そうです。
 僕にとっては、それができれば、こんなに苦労してませんよ、という感じなんだけどなあ。