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2005年06月06日(月)
「お金がほしいなら、もっとべつの仕事をしているよ」

「象の消滅〜村上春樹短編選集1980〜1991」(新潮社)より。

(村上春樹さんが、この短編集の冒頭に書かれている「アメリカで『象の消滅』が出版された頃」という文章の中のアメリカの出版業界の人たちと実際に接してみての感想を書かれた部分です。)

【はっきり言って、お金がほしいならもっとべつの仕事をしているよ、というのが、僕がこれまでに出会ったアメリカの――とくに純文学系の――出版人の多くの本音である。アメリカの出版業界の平均的な給与は、ほかの業種に比べて――たとえば金融や広告代理店に比べて――決して恵まれているとはいえない。日本の大手出版社の社員待遇とは、たぶん比較にならないのではないか。だからそのぶん、この業界でプロフェッショナルとして働いている人たちの目的意識ははっきりしている。「わたしは本が好きだからこそ、作家と一緒に仕事をするのが好きだからこそ、この仕事をしているのだ」ということだ。もちろんベストセラーが出せたなら、それは何より、言うことはない。しかしそれとはべつに、自分が誇りにできる本を一冊でも多く世に出したい――心ある出版人なら、どこの国の人だってそう願って仕事をしているはずだ。アメリカでもそれはまったく同じなのだ。
 したがって、いったん気持ちがあえば、こちらが差し出す作品を向こうが評価してくれれば、数字的な損得なんか抜きで一生懸命親身になってくれるところがある。小さな地方文芸誌相手の仕事や、自主映画制作者との交渉のような、ほとんどもうけにならないことでも、それが僕のキャリアにとって何らかのかたちで有益だと思えば、意外なくらい丁寧に対応してくれる。「ハルキ、これはお金の入らない仕事だけどやるべきだ」と忠告してくれたりもする。金銭のやりとりだけの問題ではないのだ。】

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 いまや「日本人でいちばんノーベル文学賞に近い作家」などとも言われている村上春樹さんが、アメリカの「出版人」たちについて書かれた文章です。ちなみにこのあと村上さんは「アメリカは厳密な契約社会だと言われるけれど、ほとんどの局面においてものごとは『よし、まかせておけ』的な個人的信頼関係で成り立っている」とも書かれています。実際にその懐に入ってみると、外からみたイメージや先入観とは違うところというのは、たくさんあるみたいです。

 ところで、僕がこの文章を読んでいて、思わずハッとさせられたのは、【「はっきり言って、お金がほしいなら、もっとべつの仕事をしているよ」】という、「アメリカの純文学系の多くの出版人の本音」でした。僕は医療を生業としている人間なのですが、なんだか、昔の青臭い自分に大学時代の日記を差し出されたような、そんな気分になったのです。
 「本当に金持ちになって、ラクな暮らしをしたかったら、医者になんかなるもんじゃない」というのは、僕を含む、中堅医師の「本音」です。仕事の拘束時間は長いし、休みといっても急に呼ばれたり、指示を仰ぐ電話がかかってくることも頻繁です。でも、「給料はいいじゃないか!」と言われれば確かにその通りなのですが、実質は「時給はコンビニ以下」だったり、「退職金とかを合わせれば、大手企業のサラリーマンのほうが、生涯賃金は遥かに上」だったりするのです。まあ、現時点では「定年がない」というのは、大きなメリットかもしれませんが。
 それでも、「ああ、30過ぎてもこんな生活なら、医者になんかなるんじゃなかった……」と、芸能人の妻やレースクイーンの彼女を従えたIT企業家を横目に、溜息をついてみたりもするのです。
 自分も、「あっちの方」へ行っていたら、今頃は、ああなれていたんじゃないかな、って。
 もちろん、そういうのは妄想の領域で、あの「IT企業家」たちば、同じ夢をみた多くの人の屍の上に成り立っている、希少な成功例でしかないわけなのですが……

 結局、僕は自分の現在の待遇や仕事内容に不満たらたらのわけですが、思い返してみると、別に「待遇」や「お金」を求めて、今の仕事を選んだわけではないんですよね。そりゃ、「無給でもやるのか?」と問われたら、当然やりませんけど。ただ、お金が「目的」ではなかったはず。
 「生活」の前では、無力になってしまう「理想」というのが現実だとしても、そういう「理想」を忘れて仕事をするのは、ちょっと寂しいな、と僕は思います。せめて、【お金がほしいなら、もっとべつの仕事をしているよ】という見栄だけでも張っていたい。
 いや、だからといって、理不尽な酷使を正当化されてはたまらないんだけどね。