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2005年05月18日(水)
「負けてくれない」コンピューター

「週刊ファミ通・2005/5/27号」(エンターブレイン)のコラム「桜井政博のゲームについて思うこと」より。

(桜井さんが、定年退職されたお父さんのパソコンをセッティングしていたときのエピソードです。)

【最初から入っているソフトに『柿木将棋』を発見!これならマウスを動かして駒をつまんで置くだけだから、カンタンに楽しめるだろうと思ったのですが……。
「ムズかしすぎだよコレ」
 あぁ、そう。難易度ねぇ。コンピューターのレベルは初期設定よりうんと下げてみたのですが、それでもかなり強いらしい。コンピュータープレイヤーは、上手に負けることも必要だと思えるけれど。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この桜井さんが書かれたものを読んで、僕はまさに「隔世の感」に浸ってしまったのです。
 僕がはじめて「マイコン」と呼ばれる機械に触れたのは、小学校高学年くらいだったのですが、当時のコンピューターでの「人とコンピューターが対戦するゲーム」では、確かオセロはコンピューターがなかなか強くて、チェスはまあなんとか人間の暇つぶしの対戦相手になるくらいのレベルだったと記憶しています。しかしながら、「将棋」というゲームに関しては、しばらくのあいだ、「コンピューター上で、人間どうしが対戦できる」(もちろん、通信対戦じゃなくて、目の前の相手ですよ)というような「将棋盤代わりのソフト」があるだけで、コンピューターと対戦できる将棋ソフトというのは、まさに夢のような存在だったのです。
 「取った相手の駒を使える」というルールのために、オセロやチェスに比べると、コンピューターには非常に高度の思考ルーチンが要求されるため、コンピューター対戦将棋が「人間と対戦できるレベル」に至るまでには、本当に長い道のりだったようです。
 やっと「対戦できる将棋ソフト」が出始めても、しばらくは「なんとか駒を動かせるレベル」で、こちらが王手をかけても、平気で関係ない手を打ったりするようなソフトばかり、と言う時期も、けっこう長かったのです。そして、ちょっと「強いモード」にすると、今度はコンピューターが一手に2時間考え込んでしまうような、そんな時代。
 「マイコン」(電波新聞社)とか「月刊アスキー」というようなコンピューター雑誌では、定期的に「コンピューター将棋大会」が開催されて、最強の将棋ソフトが決められていました。
 「将棋」というのは、当時のプログラマーたちにとって、「複雑な思考ルーチン開発の試金石」だったんですよね。
 でも、いまやチェスでは人間の名人がなんとか最強のコンピューターと引き分けられるというくらいまで思考ルーチンは進化し、コンピューター将棋でも、「アマチュア○段」というような売り文句が当然のようになってきました。
 桜井さんのお父さんの実力のほどはわかりませんが、おそらく今では、「どこにでもいる、ちょっと強い人」くらいであれば、コンピューターに簡単に負かされてしまうのではないでしょうか。昔は、人間側が「将棋らしくするために、コンピューターに対して手を抜いてあげていた」ものだったのに。
 もう、人間がコンピューター将棋ソフトに全力で挑戦して、「強すぎる!」と文句を言える時代になってしまったのですねえ(遠い目)。

 確かに「ゲーム」としては、「コンピューターがうまく負けてくれる」とうのは重要な要素なのですが、「桃太郎電鉄」とか「いただきストリート」のような「出目やカードでのコンピューター側の調整が可能なゲーム」とは違って(これらのゲームが、そういう「調整」を実際にやっているかはともかく)、「将棋」というのは、ズルのしようがない、まさに正攻法での勝負なのですから、コンピューターの機能においても、思考ルーチンにおいても、この20年の進化というのは、本当にすごいものですね。

 これからは、「より強いコンピューター」から、「よりうまく負けてくれるコンピューター」の時代になるのかもしれません。
 考えてみれば、コンピューターに「花を持たせてもらう」なんて、悲しい限りではありますけど。