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2005年03月03日(木)
『ちびくろサンボ』は君に語りかける

読売新聞の記事より。

【ロングセラー絵本として親しまれながら、人種差別的との批判を受け、絶版になったままだった岩波書店版「ちびくろ・さんぼ」が別の出版社から来月復刊されることが2日分かった。
 新たに版元となる「瑞雲舎」(東京都港区)には、書店からの注文が相次いでいる。
 「ちびくろ・さんぼ」はイギリスのヘレン・バンナーマンが19世紀末に執筆。ジャングルでトラに脅された黒人の子供が、機転を利かせて危機を切り抜ける物語で、日本でも数十種の翻訳が出たが、中でもフランク・ドビアス絵の岩波書店版(1953年発売、光吉夏弥訳)が決定版として100万部以上売れた。
 しかし88年、内容が「黒人差別を助長する」といった批判が市民団体などから起き、各社は相次いで絶版処分を決定した。
 その一方、詩人の谷川俊太郎さんが「作品の力を認めたうえで、差別を考える教材として残してもよいのではないか」と発言するなど、絶版は性急過ぎたとの意見もあり、検証本の出版やシンポジウムで議論が重ねられ、99年には著者の絵を用いたオリジナル版(径書房)も出た。
 瑞雲舎の井上富雄社長は、「他の絵本と比較しても文章表現に差別は見あたらないと思う。絵がきれいで親しまれた岩波版は、次世代に残す必要がある」と話している。岩波版で収録された二話のうち、さんぼを追いかけたトラがバターになる結末で有名な一話目だけ、ほぼそのままの形で収録した。】

参考リンク:
「ちびくろサンボに関するページ」(静岡精華高等学校Web Site)

『ちびくろサンボ』の廃刊と再刊に思う

〜〜〜〜〜〜〜

 僕も子どものころに読んだことありますよ、この「ちびくろさんぼ」。当時は、「さんぼを追いかけたトラがすごい勢いでグルグル回っているうちに、溶けてバターになってしまう」という衝撃のエンディングに、「どうして動物がぐるぐる回っているだけで溶けるんだ?そして、なんで溶けたらバターになるんだ?トムとジェリーじゃあるまいし、でも、僕もあんまり走りすぎていたら、バターに…?」という疑問とか違和感を持っていたのも事実です。今から考えたら、絵本と「トムとジェリー」の「不条理対決」を仕掛けること自体、無意味ではあるんですけど。

 でも、この「ちびくろさんぼ」が「人種差別的である」という観点から「発禁」になったという話を聞いたときには、「あの本の内容の、どこが『差別的』なんだ?」と思った一方で、「『ちび』『くろ』『さんぼ』と3拍子揃ったタイトルの本だし、しょうがないのかなあ…」という気もしたのです。実際は「さんぼ」は別に差別用語でもなんでもないはずなのですけど、少なくとも日本語のタイトルをつけた人に差別意識がなかったと言えば(「差別的表現を回避しようという意識」と言うべきかも)嘘になるかもしれません。
 と思っていたら、スポーツニッポンの記事を読んでみると、【「米国では『さんぼ』は黒人への蔑称(べっしょう)」などと市民団体などからの指摘を受け、岩波書店は同書を絶版に。90年代にかけ、同書を出版していた日本のすべての出版社も絶版にした。】というのが絶版までの詳細な経緯なようです。実は、「さんぼ」のところも(というより、この文脈だと「さんぼ」のところのほうが)問題になっていたみたいです。アメリカでは、むしろ「黒人の野蛮なイメージの植え付け」ということが問われていたようですが。
 新しい出版元の社長さんは、「何が差別的かをよく考える必要があると思う。インドでは『さんぼ』は一般的な子どもの名前。岩波版は次世代に残す価値があると思う」とコメントされているそうで、これもまあ、確かに真実なのでしょうが。ちなみに、なぜインドの話になるのかというと、作者のヘレン・バンナーマンさんは、イギリス人でしたが、当時はまだイギリスの植民地であるインドで長い間生活をしていたので、ということらしいです。
 しかしまあ、正直なところ、僕が子どものころに見たあの「サンボ」の絵は、まさに「土人チック」なものではあったんですよね。子ども的には、そのほうが面白味があったし、ハリー・ポッターみたいな男の子だったら、それはそれで「なんか違う…」という感じですけど。

 それでも、ハリウッド映画で描かれる「現代の日本人像」に苛立ちをおぼえる僕としては、「書いた人だって悪気があったわけじゃないし、別にいいんじゃない?」と思う一方で、ああいうふうにステロタイプの「土人」として描かれることには、やっぱり黒人たちには抵抗感もあるのではないか、という気もしなくはないんですよね。おそらく、日頃あまり差別される側に無い人間からみた「このくらいはいいだろう」というボーダーラインと、本当に差別されている側の人からみたボーダーラインとは、イメージ以上の格差があるでしょうから。
 そして、もともとそんな意図のないはずの「ちびくろサンボ」にも、こういう歴史が伴ってしまうと、なんとなく、「深読み」してしまいがちになるのも事実ですし。
 いや、正直なところ、この「絶版事件」がなければ、「ちびくろサンボ」なんて、「誰もが子どものころに幼稚園で一度は読んだ虎がバターになる話」でしかなかったかもしれないし、あるいは、この物語自体が自然淘汰されてしまっていた可能性すらあるのではないでしょうか。
 少なくとも、僕が子どものころまで「語りつがれてきた物語」の多くは、現代の子どもたちにとっては知らない話になりつつあるのですから。

 あの「マンガの神様」こと手塚治虫さんの著作は、「人種差別表現が多い」ということを理由に、手塚さんが亡くなられた後、一年以上出版を自粛されていた時代があるそうです。人一倍自分の作品を大切にされていた方だから、勝手に手を入れるわけにはいかないが、著者は故人だし…というジレンマの末に出た結論は、マンガには手を入れずに(一部「お蔵入り」になったものはあり)、本の末尾に「このマンガには人種差別的表現が一部に含まれていますが、書かれた当時の時代背景とオリジナリティを尊重し、そのまま掲載しています。これを機会に、差別についても考えてみてください」という注意書きを入れる、というものでした(ちなみに「」内は、僕が文意の概略を記憶で書いたもので、正確ではありません)。
 もちろん、手塚先生としては、こういう注意書きがつけられてしまうことは、あまり本意ではないだろうな、とは思います。なぜなら、手塚先生の作品の多くはテーマを抱えていますが、それはやはり、楽しんで読んでもらううちに自然に読者に感じてもらうべきものであり、誰かに「考えてみてください」なんて言われるようなものではないはずだから。
 それでも、現在ではその注意書きをつけないと本は出せないし、一度そういうものを目にしてしまうと、やはり、作品に色がついてしまうのも否定できません。
 まあ、こういう話は尽きなくて、どんどん「差別狩り」はエスカレートしていく一方で、映画「ロード・オブ・ザ・リング」ですら、【フロドたち旅の仲間は「アメリカ絶対正義の象徴」で、冥王サウロンは「イスラム世界の象徴」であり、これは、アメリカ帝国主義のプロパガンダ映画だ!】とか言う人だって世界の中にはいたらしいですから……

 話が長くなってしまいました。
 不思議なものですね、「絶版にさせられた」なんて話を聞くと「許せん!」と思うけど、「復刊される」と聞くと、「今の子どもにはどうかねえ?」と醒めた気持ちになってもみたり。

 本人の意思とは全く関係なく「差別について考える教材」になってしまったちびくろサンボ。
 それでも、ちびくろサンボは、君に語りかける。
 「所詮、どんな人間だって、ぐるぐる回って最後はみんなバターになってしまうだけなのにね」って。