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2004年07月14日(水)
16年前の「さくらももこ」との再会

「さくらえび」(さくらももこ著・新潮文庫)より。

【店に入ると、入ったとたんに良く見えるところに私の色紙が飾られていた。
 私と斎藤さんは黙ってそれを見ていた。店のおばさんが出てきて「いらっしゃい。どうぞお上がり下さい」と声をかけてくれたが、私達はまだ黙って色紙を見ていた。
 おばさんは「ああ、この色紙ね、ちびまる子ちゃんのさくらももこさんが、まだ学生さんだった頃にうちにいらして描いていってくれたんですよ。うちに来るお客さんがみんな喜んで見ていくんです。うちの家宝なんですよ」とにこにこして言った。そして続けて「さくらももこさんのファンの方ですか」と言ったので私も斎藤さんも返事にとまどい、何とも言えずに黙っていると、おばさんは「…もしかして、さくらももこさんですか」と尋ねてきた。
 私は、「はい、そうです。本当にお久しぶりです」とやっと言った。さっきからなんかもう胸がいっぱいで何も言葉にできなかったのだ。】

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 1984年11月14日、5日後にはじめて漫画家としてのデビュー作が雑誌に載ることになっていた、当時19歳の短大生「さくらももこ」がはじめてペンネームで書いた色紙に再会したときのエピソードです。
 いわゆる「名店」では、有名人が書いた色紙がところ狭しと飾られているのをよく眼にしますが、この色紙は、「人気漫画家・さくらももこ」として書いたものではありません。奈良の「坂乃茶屋」というお店を訪れたお客さんたちが記念に書いていく色紙に、短大の研修で訪れたさくらさんが他の普通のお客さんと同じように書いたもの。いや、その時点では、さくらさんもまた「普通のお客さん」のひとりだったのですけど。

 たぶん、「もうすぐデビューできる漫画家の卵」だった19歳のときの彼女には、名声もお金も無かったし、将来への不安もあったに違いありません。もちろん、そういったネガティヴなもの以上に、漫画家としての希望とか期待もあったのでしょうが。
 そして、この店で無名の短大生が【色紙に絵を描いてサインするのも初めてだったし、友人たちの前で描くのも恥ずかしかった】という状況のなか【何年か後に、今描いているこの色紙を、みんなが喜んで見てくれるようになるといいな…】と思いながら描いた色紙は、まさにその「夢」のように、こうして「人気漫画家・さくらももこが、デビュー前に描いたもの」として、「家宝」になったのです。
 さくらさんが有名になってから描いた色紙にだって、もちろん価値はあるのですが、御本人からすれば、これ以上に感慨深い「再会」はないのだろうなあ、と思うのです。
 この色紙は本当に「世界に一枚しかない」ものだし、もしタイムマシンがあったなら、このことを16年前の自分に教えてあげたい気持ちになるのではないでしょうか。

 この世の中には、同じようなシチュエーションで描かれた色紙というのは、けっこう沢山あるんですよね、きっと。少しの不安と、夢とか希望とか
が詰まった、一枚の色紙。
 でも、こうして「家宝」になれるものは、ほんの一握りしかないのです。
 それにもかかわらず、こういう「未来の自分との幸運な再会」のために、人は何かを創ろうとしたり、頑張って日々を過ごしているのではないか、と僕は思います。
 そのためには、少なからぬ「努力」とか「才能」とか「幸運」が必要だと知っていたとしても。