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2004年07月12日(月)
「ひどいおばあちゃん」ができるまで。

共同通信の記事より。

【茨城県関城町の造園業菊池一美さん(40)の二男令人君(7つ)と三男悦史ちゃん(5つ)の首を絞めたとして、殺人未遂容疑で逮捕された菊池さんの母ちよ容疑者(73)が、下館署の調べに対し「長男を除く孫2人は自分になつかず、嫁の教育が不満だった」と供述していることが12日、分かった。
 ちよ容疑者は、自分の作った食事に孫が不満を漏らしたとも話しており、同署は長年にわたって孫のしつけなどをめぐり菊池さんの妻(36)に不満を抱いていたとみて、詳しい動機を調べている。
 調べでは、ちよ容疑者は菊池さん夫妻がドライブに出た直後の10日午前10時半ごろ、庭先で遊んでいた2人を物置に呼び、それぞれロープで首を絞めた後、手でも絞めた疑い。
 畑から戻った祖父が泣いている2人を発見。ちよ容疑者が「子どもがやられた。早く救急車をお願いします」と119番した。】


時事通信の記事より。

【茨城県関城町で、7歳と5歳の兄弟が首を絞められた殺人未遂事件で、逮捕された祖母の菊池ちよ容疑者(73)は事件前、「入院した時、嫁が見舞いに来ない」と不満を漏らしていたことが12日、分かった。
 下館署の調べに対し、ちよ容疑者は「嫁を困らせてやろうと思ってやった」などと供述しており、同署は詳しい動機を調べている。】

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 選挙関連のニュース一色だった昨日の夜、このニュースの速報には驚きました。まあ、考えてみれば7歳と5歳の男の子2人が自宅で遊んでいて知らない人に襲われる、という事件は、部外者の犯行にしては、あまりに動機が浮かんできませんから、「こういうこと」も十分にありえることなのですが。
 第一報を聞いて僕が思ったのは、「なんてひどいおばあちゃんなんだ…日本の『家族』というのも変容してきているなあ」ということだったのです。世間一般の「おばあちゃん」のイメージというのは、嫁とはどんなに仲が悪くても、孫にはやたらと甘くて、「おばあちゃん、勝手にこの子にお小遣いあげないでくださいっ!」とか折り合いの悪い嫁に怒られてばかりいる、というものなのではないでしょうか?
 それが、「ロープと腕で孫の頸を顔が腫れ上がるまで絞めた」なんて…
 「殺意はなかった」そうなのですが、「顔が腫れ上がる」というのは、窒息死寸前の状態です。「殺意が無い」というよりは、「なんとかギリギリのところで踏みとどまった」というのが実際のところでしょう。

 現在32歳、独身・子供なし、の僕からすれば、「73歳にもなって、おばあちゃん、オトナになれよ…」とも思うし、子供たちは育ってきた食糧事情も違うのだから、食事が口に合わないのも仕方がないのではないか、とか考えてしまいます。
 「病院に見舞いに来なかった」と言われても、そこまで仲が悪い人に見舞いに来てもらっても、かえって気詰まりなのではないだろうか?とも。
 入院していると、どんな人でも気弱になるし、お見舞いはすごく嬉しいものだ、とは言いますが…

 子供のころ、おじいちゃん、おばあちゃんというのは「悟り」のようなものを得ていて、欲もなく、陰で家族を支えて静かに人生をフェードアウトしていく、そんな存在だと漠然とイメージしていました。まあ、僕にとってのおじいちゃんやおばあちゃんというのは、夏休みに何日か会うだけの存在でしかなかったのですが。

 でも、実際は人間というのは、そんなに簡単に枯れたり悟ったりはできないみたいです。
 70歳を過ぎても「愛されたい」「自分の居場所がほしい」という欲求は、そう簡単には枯れたりしないものなのだなあ、とあらためて思い知らされました。
 もちろん、それを主張するために孫の頸を絞めてもいいというわけではないですが、そのくらいの分別はつくはずのオトナでも、こんなことをやってしまうというのは、なんだかとてもやりきれません。
 そして、こういう「悟れない高齢者」というのは、これからの時代は増えこそすれ減ることはないし、僕も自分が長生きしたらどうなるだろう?と怖くもなるのです。
 自分の孫だからといって、何の疑問も持たずに一方的な愛情を注げるだろうか?

 確かに、病んでいるのは子供たちだけではないのかもしれない。