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2004年06月25日(金)
守られる「加害者」と責められる「被害者」

時事通信の記事より。

【茨城県岩井市の市道脇草むらに県立高1年平田恵里奈さん(16)=同県猿島町=が放置され死亡した事件で、発見される2時間ほど前の20日早朝、平田さんの自転車が見つかったコンビニエンスストアのベンチで、平田さんとみられる女性が、仮眠するように横になっているのが目撃されていたことが、25日までの境署捜査本部の調べで分かった。
 このコンビニは、岩井市内にあり、午後11時から午前6時までは閉店。自宅への帰り道沿いにあり、同本部は平田さんが自宅に直行せず、ベンチにいた理由などを調べる。】

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 僕は今日、朝そんなに早く出かけなくてもよかったので、久々にワイドショーなどをのんびり眺めていたのです。例の佐世保の事件で「若者の風紀の乱れ告発モード」に火がついたらしくて、最近はその手の事件が報道されることが多いようなのですが、この「茨城・高1女子殺害事件」というのが、今いちばんワイドショー的には大きく扱われているみたいでした。
 でも、僕はその番組を観ながら、なんだかすごく違和感を感じていたのです。その原因について考えてみると、要するに、その「報道」というのは、被害者であるこの女子高生の足どりを辿る、という名目で、彼女の最近の生活の乱れや(親が旅行に出た後学校に行かずに昼間から友達とカラオケボックスに行っていたとか、そういう話)謎の「スリランカ人」の存在などを、まるで悪趣味なドラマのように流していました。
 それを観ていた僕も、「そんな乱れた生活をしてたら、事件の被害者になるのも『自己責任』という面もあるんじゃないかなあ…」と思うくらいに。

 しかし、考えてみると、そういう「被害者の生活の乱れ」とか「プライベートな情報」なんていうのをこんなふうに扇情的に垂れ流すのって、「必要な報道」なのでしょうか?加害者側の状況であれば「どうしてそんな犯罪を行ったのか?」ということを知るのは予防策になるかもしれませんし、第一、彼らが社会的に非難されるのは仕方がないところです。
 でも、どうして被害者なのに、こんなふうに間接的に「乱れた生活」について、全国ネットで大公開されないといけないのでしょうか?
 少年犯罪であれば、加害者の側については「人権保護」という名目で個人情報は極力隠されるのに、被害者の側について、このような「死者に鞭打つような報道」がなされているのは、どうも理解できないのです。「情報を得るため」にしても、ちょっと度が過ぎるのでは。
 「知る権利」とかいうけれど、そんな細かい情報が本当に必要なのは警察や司法関係者だけであって、一般視聴者にとっては「単なる興味の対象」であり、その報道によって残った家族は「かわいそうに…」という表向きの世間の対応とは裏腹に「あの夜遊びしてスリランカ人に携帯買ってもらってた子の…」という目で見られてしまうわけです。
 たぶん、そういう下世話な情報を好む人が多いからこそ、そういう報道が成り立つのだとは思うのですが…

 守られる「加害者」に、暴かれ、晒される「被害者」。
 もう少し「知らせない良心」とか「知ろうとしない善意」とかがあっても、いいんじゃないのかなあ。