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2004年06月09日(水)
寿司屋のカウンターが「高い」理由

「東海林さだおの味わい方」(東海林さだお著・南伸坊編・筑摩書房)より。

【寿司屋……
  寿司屋は、一人の人間が、もう一人の人間の一口分を、わざわざ一口分に形づくって食べさせる商売である。
 食事の始めの一口から、終わりの一口まで、全部一口分にこしらえてくれる。あとはもう口に入れるだけ、という状態にしてくれる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 「寿司屋のカウンターは高い!」というイメージってありますよね。いくら腕のいい職人さんが握った寿司だからといって、どうしてあんなに値が張るんだろう、なんて思いませんか?回転寿司に行けば、それはもう最高級店にはかなわないかもしれませんが、少なくとも寿司屋のカウンターで食べるものと、値段ほど質は違わないような気がします。
 あと、「タクシーって、どうしてあんなに高いんだろう?」なんて思ったことはないでしょうか?車を運転して目的地に行くだけなのに、あの運賃は公共交通機関に比べて高すぎるんじゃないの?って。

 僕はずっと、寿司屋のカウンターとかタクシーというのは「提供されるものに比べて割高」というイメージを持っていたのですが(ほんとうは、寿司屋のカウンターにそんなに縁があるわけでもないんですけどね)、この東海林さんの文章を読んで考えるに、これらの値段は、それなりに「適正価格」なのかもしれないなあ、という感じもしてきました。

 寿司の味の構成要素は、一般的には「ネタとシャリ」なんて言われています。もちろんこの言葉の中には「素材」だけではなくて、料理する人の「加工の仕方」というのも含まれているわけです。
 そこまでは、当然のことですよね。

 でも、よく考えてみると、カウンターで寿司を食べるとか、タクシーに乗るというのは、「寿司を食べる」「車で移動する」という自分の行動のために、他人に「時間と手間を使わせる」ということなんですよね。逆に、1時間なら1時間、誰かの時間を占有してしまうわけですから、やっぱりそれに見合った「対価」というのは必要なのかな、と思うのです。
 もちろん、すべての寿司職人やタクシー運転手が、その対価にみあっただけの「仕事」をしてくれているかというと、そうでもない気はしますけど。

 確かに、「魚と米」という状況から「あとはもう口に入れるだけの寿司」を作るというのは、お客の側からはわからないような手間がかけられているので、一概に「高い!」なんて言ってしまうのも理不尽なのかも。
大量生産のハンバーガーとか牛丼(今はありませんが…)などは、味はさておき、明らかに、店員ひとりが自分のために使ってくれる時間と手間が少ない食べ物、なのですから。

 そういう観点からすれば、「なんの変哲もない家庭料理」というのを世の男性が崇拝するのも、「好みにあっている」とか「懐かしい」というだけではないようです。
「作っている人がかけている手間と時間」を食べる家族の人数で割れば、材料は安くても、かなりの「高級料理」なんですよね。