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2004年04月06日(火)
みんな、電子メールに対して無防備すぎると思う。

読売新聞の記事より。

【携帯電話でメールを送り、奈良県生駒市鹿ノ台東、無職徳本晋一被告(40)(殺人罪で公判中)が女性を殺すのを“激励”したとして、殺人ほう助の罪に問われた東京都世田谷区、飲食店アルバイト竹村歩被告(24)の判決公判が6日、大津地裁であった。

 大西良孝裁判長は、竹村被告に懲役3年、執行猶予4年(求刑・懲役4年)を言い渡した。

 判決によると、竹村被告は昨年7月13日未明、徳本被告が大阪府吹田市の女性(当時21歳)の殺害をためらって送ったメールに対し、「大丈夫、深呼吸して」「これしかないし、それが一番」などと返信。徳本被告は同日午前4時ごろ、大阪市東淀川区のマンションで、女性の頭などを金づちで十数回殴り、ネクタイで首を絞めて殺した。

 公判で竹村被告は「私の言葉が被告を左右するとは思わなかった」とメールの影響力を否定。一方、徳本被告は「やりとりがなければ、女性を死なせることはなかったはず」としていた。】

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 ああ、この人たちは、どっちも救いようのないバカだなあ、としか言いようがありません。そんなの他人にメールで聞くなよ、とも思うし、そんなの励ましてどうするんだ、とも思うし。挙句の果てに「メールで励まされたせいだ」「メールくらいで本当に影響があるとは思わなかった」と罪のなすりあい。

 この事件のことを聞いて、多くの人は、僕と同じような感想を抱くと思うのです。しかしながら、僕たちは、あまりに「電子メール」というコミュニケーションツールに対して無防備なところがあるのは、否めない事実のような気もします。
 メールの最大のメリットは、比較的リアルタイムのコミュニケーションがとれるわりには、書きたいときに書けて、読む側は読みたいときに読めるという点。このメリットは、残念ながら「携帯メール」には無いことが多くて、「可及的すみやかな返信」を要求されることが多いのですが、それでもその場で受けなくてはならない電話などに比べると、はるかに「送るほうも、受け取るほうも気軽」であることは間違いないでしょう。

 しかし、メールというのは、相手の顔が見えず、声が聞こえない分だけ、送り手のほうは、無自覚なうちに大胆な言葉を投げてしまいがちなツールです。例えば「出会い系」なんて、女性には「お誘いメール」が山ほど来るらしいのですが、その「お誘いメール」を送信している人の大部分は、おそらく、現実世界で身近な女性に積極的に声をかけたり、路上でナンパしたりという行為とは、縁のない人のはず。
 でも、「相手の顔が見えない、声が聞こえない、メールの世界」では、そういう言葉を比較的安易に投げられてしまうものなのです。相手の顔が見えない、ということは「何アンタ!」と相手に「拒絶される恐怖」からも解放されますしね。

 その一方で、誰でも「もらって嬉しいメール」や「感動したメール」のひとつやふたつは持っているはず。「言葉」というのは、それを受ける側の状況によって、送り手の意図以上の力を発揮してしまう、ということもあるんですよね。
 例えば、誰かから「愛してる」というメールをもらった場合、全く同じ文面でも「嬉しい」と受け取られる場合もあるでしょうし「気持ち悪い」と思われる場合もあります。会って、もしくは電話でなどの「生の」コミュニケーションでは、相手の態度や言葉の響きによって、受け手にはさまざまな情報が与えられるわけですが、残業中に相手のことを想いながら送っても、浮気現場から送っても、そこに表示される文字は、同じ「愛してる」なのです。
 もちろん、返信までの時間やタイミングなどで、携帯メールにも「相手の気持ち」が浮かび上がってくる場合もあるのですが。

 メールの場合はとくに、「自分が送ったことを同じように相手が受け取ってくれるかどうか?」と「自分が感じたことと同じことを相手が送ったのかどうか?」を意識しておいたほうがいいでしょう。電子メールというのは「証拠」が残ってしまうツールですし。
 実際、もし目の前に被害に遭われた女性がいる状況で「どうしよう?」なんて聞かれたら、どんなにヒドイ人間でも、そう簡単に「大丈夫、深呼吸して」なんて言えないでしょうしね。何が「大丈夫」なんだか。

 「簡単なツール」というのは、メリットがある一方、使う側が油断しすぎて、逆に怖いところもあるのです。どんなに「むじんくん」の手続きが簡単になっても、お金を返さなくていいわけじゃないのと同じですよ。