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2004年03月19日(金)
大声では歌えない「君が代」

「Irregular Expression(3/19)」で取り上げられていた、朝日新聞の社説(3/18)より。

【卒業式と入学式の季節がやってきた。思い出を胸に刻んで旅立ち、新たな出発をする節目の行事である。

 ところが、この時期になると、決まってうっとうしいことが起こる。日の丸掲揚と君が代斉唱を徹底させようという動きが年ごとに強まっているからだ。
 突出しているのが東京都教育委員会だ。卒業式や入学式で日の丸に向かって起立せず、君が代を歌わない生徒の多い学校を特別に調査する方針を決めた。担任らの日頃の言動を調べ、生徒の行動に影響を与えたと判断すれば、教師を処分する。
 国旗を掲げ国歌を歌わせるのに、そんなことまでする必要があるのだろうか。どう考えても、都教委のやり方はいきすぎだ。
 卒業式や入学式は本来、生徒たちのためにあるはずだ。日の丸に向かって起立することに抵抗感を持つ生徒もいるだろうし、君が代の歌詞に違和感を持つ生徒もいるだろう。教師や仲間と議論し、自分の判断で、立たなかったり歌わなかったりするならば、それはそれでいいではないか。
 学校や生徒の自主性を生かそうという教育改革が進められてきた。国旗と国歌に限って、なにがなんでも一律の方針を押しつけるのは自己矛盾というものだろう。
 しかし、文部科学省は学習指導要領に基づき、国旗掲揚・国歌斉唱を徹底するよう求め、毎年、実際に学校で実施されたかどうかを調べている。各地の教育委員会も処分を掲げて締めつけを強めた。もはや強制しているとしかいいようがない。

 だが、むりやり起立させ、歌わせても国旗や国歌への理解が深まるわけでない。
 サッカー場で日本代表を応援する人たちが日の丸を振り、君が代を歌う。そうしたことが国旗や国歌の自然なあり方だ。
 卒業式や入学式は子どもたちにとって大切な思い出になる。大人たちが不毛な対立を持ち込むのはもうやめにしたい。】


社説の全文はコチラです。できれば全部読んでいただいたほうが良いと思います。

〜〜〜〜〜〜〜

 ちょっと長い引用になってしまいました。
 現在30を少し過ぎた僕は、「君が代」というのをまともに歌ったことがありません。だいたい、中学校や高校の式典などで、大声を張り上げて国歌や校歌を歌う生徒なんて、皆無だった記憶があるのですが。周りも全然歌わないし、せいぜい口パク。ああ、そういえばヘンな替え歌が流行ったときは、みんな替え歌のほうは大声で歌っていたかなあ。

 僕は、小学校くらいのころから、この「君が代」という歌が理解不能でした。というか、なんでこんなものを民主国家の一般市民である僕たちが歌わされなければならないの?って。
 「君」とは天皇陛下のことなのですが、まとめてしまえば「天皇陛下の御世が長い間続きますように」という内容の辛気臭いメロディの歌をなんで歌わされるのか?と。
 僕は別に天皇制を今の時点で廃止するべきだなんて思いませんが、だからといって、「臣下ではない」はずの僕たちが、とくに好きでも嫌いでもない人の応援歌を歌わされるというのは、どうも合点がいかなくて。
 ですから、スポーツの大会などで、胸を張って国歌を聴いているアメリカの選手たちを観ると、なんだかとても羨ましく感じました。あっちのテーマソングは、カッコよくていいなあ、って。

 「日の丸・君が代」というのは、「反戦」のひとつのキーワードとされてきました。「あの旗のもとに侵略戦争が…」というトラウマが、「国旗・国歌アレルギー」となって、根強く残っているのです。それこそ、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というやつなのでしょうし、まあある意味では、そういう考えすぎなくらいの「平和主義」というのが、戦後の日本の平和を支えてきた面もあると思うのです。なんのかんの言っても、僕もそういう教育を受けてきた世代ですから、やっぱり、「日の丸・君が代」には身構えてしまうし、最初に思い出すのは右翼の街宣車。

【だが、むりやり起立させ、歌わせても国旗や国歌への理解が深まるわけでない。
サッカー場で日本代表を応援する人たちが日の丸を振り、君が代を歌う。そうしたことが国旗や国歌の自然なあり方だ。 】

 朝日新聞の人はこう書かれているのですが、逆に僕は、今でも不思議でならないのです。どうしてあの人たちは、サッカー場にいると、あんなに抵抗無く「君が代」を大声で歌ったり、「日の丸」を振ったりできるんだろう?って。彼らも卒業式で「君が代」をあんなに熱唱したりは絶対にしないはずなのに。心情的には、どちらかというと「日の丸」というのは単なるシンプルなデザインの「記号」だと思いますから、あんまりこだわりはないんですけど、「君が代」って、現代日本の国歌として相応しいと思う?
 「サッカーの応援歌」としてなら大声で歌えて、卒業式で歌うのをみんな恥ずかしがるのが「国歌の自然なあり方」なの?
 ああいうふうに、「サッカーの試合だから、テンション上げていこーぜ!君が代だってなんだって歌ってやるぜ!」というのが、本当の「愛国心」なんでしょうか?
 僕は、そういう国民性って、ちょっと怖いなあ、という気がしているのです。
 もちろん、ああいう形でのストレス発散も悪いことではないのだけれど、みんなが歌っていれば、サッカーの応援だからということで「天皇陛下の歌」を大声で唱和してしまったり、ワールドカップで予選を突破したからって、暴動を起こしてしまうような日本人。みんながやるなら、自分もやる。それでいいのか?

 本当は、もっと現代の日本人が自然に受け入れられるような「国歌」があってしかるべきなのではないかなあ、と僕は思います。国歌だからとって、歌詞に納得できない歌を大声で歌うのはイヤだし、もちろん、「サッカーの応援だから」という理由でもイヤです。

 「君が代」自体に罪はないのです、きっと。でも、サッカーの応援ごときで、そんなに簡単にいろんなことに妥協してもいいのかなあ。

 だいたい、独裁国家というのは、国威発揚のために、スポーツ振興に力を入れたりするものだしね…