初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2004年03月11日(木)
「酒鬼薔薇聖斗」も、記憶の欠片にしか過ぎない。

時事通信の記事より。

【神戸市須磨区で1997年に起きた児童連続殺傷事件で逮捕され、関東医療少年院(東京都府中市)に収容されていた当時14歳の男性(21)が10日、同少年院を仮退院した。法務省は退院したことを遺族側に通知、被害者側へ異例の対応を取った。男性は実社会と接しながら保護観察下に置かれ、社会復帰に向けた最終段階へ移った。】

〜〜〜〜〜〜〜

読売新聞の記事より。

【犯行時14歳という年齢と残忍な行為が社会に大きな衝撃を与えた神戸市の連続児童殺傷事件から約7年。医療少年院に収容されていた当時少年の加害者男性(21)が仮退院した10日、遺族は、「心に重い十字架を背負って生きていってほしい」との思いをつづった。

 犯行当時、「さあ、ゲームの始まりです」と大人社会に挑戦状を書いた男性は、その後の矯正教育で遺族の手記を繰り返し読み、「二度と同じ気持ちになることはない」との言葉も口にするようになった。

 「生きるよう迫らないでほしい。どこか静かな場所で独りで死にたい」

 関係者の話によると、少年審判で、男性はしきりにそう訴えたという。当時、男性は神戸少年鑑別所の中。自殺防止の独房で、24時間の監視態勢が取られていた。

 2001年9月、男性は出院準備のための教育課程に編入され、2か月後、ある中等少年院に移った。技能資格をとるとともに集団生活の中で社会性を身につけるためだった。

 傷害事件を起こした少年という扱いで、約20人と寮生活を体験した。「生意気だ」と殴られるなど、いじめを受けたこともあったが、友人もでき、いくつかの資格も得て、1年後、再び医療少年院に戻った。

 そこで、教官を通じ、男性が殺害した2遺族の手記を繰り返し読み、こんな感想を漏らしたという。

 「できることなら何でもしたい。遺族らの悲しみに近づけるように努め、罪の重さを一生背負い、償い続ける。あのころの自分は、まるで夢、幻のよう。犯罪で自分の存在を確認しようとしたこと自体、理解できない。2度と同じ気持ちになることはない」

 犯罪をおこした少年の矯正に携わる関係者はいう。

 「男性は現在、水泳で言えば、スタート台に立ったところ。後は、水という社会に飛び込んで、泳ぎ切ることができるかどうか。見守っていきたい」】

〜〜〜〜〜〜〜

 あの「酒鬼薔薇聖斗」が、少年院を仮退院しました。6年半前に「酒鬼薔薇」が、中学生だったと知ったときの驚きとやるせなさに比べたら、僕は自分がこのニュースについて、あまり心が動かなくなってしまっていることに自分でも驚いています。
 「忘れることができる」というのは、人間の長所のひとつだと言われますよね。
 抱えていては生きていけないような辛いことでも、人間は少しずつ忘れていくことができます。「絶対に忘れられないこと」でも、その手触りの感覚はどんどん失われていって、次第に思い出す頻度も減ってくるのです。
 …だから、なんとか生きていくこともできるのだろうけど。

 この6年半、僕はあの事件のことなどほとんど思い出すこともなく、日々を送ってきましたが、もちろん、当事者たちにとっては、忘れることもできない日々だったのだと思います。
 今頃は子供も反抗期で、ごく普通のお母さんであったはずの人が手記を出し、亡くなったわが子に感謝の気持ちを述べたり、ごく普通のお父さんだったひとが、少年事件の被害者の代表のようになってしまったり…
 変わってしまったのは、「失われた命」だけではないのです。

 彼は、少年院で「更生」したと判断されました。そしてそこには、上の文章からうかがえるような、関係者たちの熱意と努力があったのです。たぶん、この「社会的不適応者」である少年をなんとかしてあげたい、という気持ちが、スタッフにはあったのでしょうね。少なくとも「人間らしくなった」みたいですし。

 ああ、でも僕は冷たい人間なので、正直なところ、この関係者たたちが「酒鬼薔薇聖斗」に対して示した熱意と努力を読んで、「なんだか割に合わない話だ…」としか思えませんでした。
 彼が命を奪った2人の子供たちにこの6年半降り注いだ雨は、悔悟の念だけだったというのに。
 どうして、「殺した側」に、こんなに愛情が注がれて、殺された側は、ただ風化していくだけなのだろう?
 「酒鬼薔薇聖斗」は、「重い十字架」を背負って生きていくことになるでしょう。すべてが非公開にされるのでしょうが、人の口に戸は立てられませんし、ネットも彼を「別の人間」にしてはおかないはず。本人から罪の意識は消えないでしょうし、死んだほうがマシだ、と思うことだってあるでしょう。

 でも、僕はやっぱり、彼を「赦す」ことはできない。
 どんなに辛い人生でも(出生直後に死んでしまったりしない限り)「楽しいと感じる瞬間」というのはあるはずです。好きな音楽を聴いたときとか、美味しいものを食べたときとか。たとえそれが、後悔の闇に浮かぶ、一瞬の灯台の光のようなものであっても。
 彼に命を奪われた子供たちには、そんな瞬間が訪れることは、もう二度とないのです。

 彼は6年半前、「判断能力のない、かわいそうな子供」だったそうですから、こんなふうに考える僕は、きっと「非論理的で、少年保護の気持ちのない人間」なのでしょう。それでも、思えてしまうものは仕方がない。
 そもそも「生きて償う」ということ自体が、すでに「不公平」なのではないでしょうか?

 本当に、人間というのは忘れっぽい生き物なのだなあ、と最近つくづく感じます。一時の大きな波が去ったら、「ペパーダイン大学」で一世を風靡した古賀議員だって「絶対議員辞職しろ!」とか思っている人はほとんどいなくなっちゃったみたいだし、浅田農産の会長夫妻も、ナアナアで時間さえ稼げれば、いつの間にかみんな忘れてしまって、自殺しなくても済んだんじゃないかな、という気もしてきました。
 
 結局、世の中というのは、生きている人、生にしがみついている人にとって、都合がいいようにできているのでしょう。
 僕も死んだことはないから、比較しようがないし、「死んだ人に都合がいい世の中」というのも想像がつかないのですが…