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2003年07月25日(金)
「遺体写真公表は、間違いなく正しい決断だ」

共同通信の記事より。

【ラムズフェルド米国防長官は24日の記者会見で、フセイン・イラク元大統領の長男ウダイ、二男クサイ両氏の遺体写真公表について「イラク国民は彼らの死亡が確認されることを待ち望んでいた。間違いなく正しい決断だ」と述べ、公表に踏み切った判断の正当性を強調した。
 捕虜の取り扱いを定めたジュネーブ条約にも、違反しないと指摘した。
 24日付のニューヨーク・タイムズ紙は陸軍幹部が生々しい写真の公表をためらっていたと報じた。遺体写真公表は道義上などの観点からも、論議を呼びそうだ。
 イラク復興を指揮する連合軍暫定当局のブレマー文民行政官は同じ会見で、写真公表によってイラク国民が、旧フセイン体制の支配政党バース党の終えんを信じられるようになると主張した。】

以下は、時事通信の記事より。

【イラク駐留米軍は24日、同国北部のモスルで22日に殺害したフセイン元大統領の長男ウダイ氏と二男クサイ氏の2人の遺体の写真を公表した。
 米軍発表に懐疑的なイラク国民に、両氏の死亡を納得させるために公表に踏み切った。
 公表された写真は両氏の遺体の顔を写したものがそれぞれ2枚と、ウダイ氏が1996年に暗殺未遂に遭ったときに受けた傷を示すレントゲン写真が1枚。2人とも濃いひげを伸ばし、顔面には傷跡が残っていた。
 写真は公表後、アラブの衛星テレビ局を含む各テレビを通じて放送され、多くのバグダッド市民が見入った。
 ホテルのテレビで顔写真を見たナエル・ハンナさん(37)は「これまでは疑っていたが、写真を見せられた以上、百パーセント信じる」と語った。】

参考リンク:「Some Kind of Stranger…」7/24

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 僕は仕事柄、人間の遺体を見るのには慣れています(イキナリこんな書き出しで申し訳ない)。
 件のウダイ氏・クサイ氏の写真についても、見たときには、こんなものか…と思ったのだけなのですが、時間が経つにつれ、気持ち悪いというか、見なきゃよかった、という後悔しの念が湧いてきました。
 だいたい、僕自身は彼らに恨みはありませんし、彼らが本人かどうか、なんてわかりはしないのです。テレビなどで写真は見たことがあるのですが、あんまりハッキリとは覚えていません。フセイン大統領本人なら、という気もしますが、それもちょっと似た人だったら、区別がつかないでしょうね。実際、アメリカ人の多くもそんな感じなんじゃないでしょうか。
 それは、「単なる人間の死体」の写真であるわけで。
 それでも、この写真は、けっこう大々的に世間に流布されているのです。

 要するに、僕は、単なる興味本位で自分が死体写真を見てしまった自分と、そんな写真を公開する人々に対して、すごく居心地の悪さを感じてしまうのです。
 この写真を見たときに感じることは、「そこまでやってしまうアメリカ」という存在への恐怖感、とも言いかえられます。別に歯形の照合やDNA鑑定の結果とかだけでもいいんじゃないか?とも思えるのに、あえて国家的に死体写真を公開してしまうアメリカ。
 捕虜に関する国際法である「ジュネーヴ条約には違反していない」のかもしれませんが、「条約に違反していなければ、何やってもいいの?」という気もします。
 まあ「悲しいけどコレ、戦争なのよね」ということなんでしょうか。

 「市民を安心させる」というよりは、某国の大臣じゃないですが、「さらし首」のような見せしめの要素が強いんじゃないかなあ、と勘繰ってしまうのです。
 「俺たちに逆らった者たちは、こうなるのだ!」

 でも、その一方、イラク市民たちの中には、写真を見て、ようやく信じられた、という声があるのも事実のようです。実際は、アメリカの技術力(ハリウッドの特殊メイクやSFXなど)を駆使すれば、こんな死体写真など、つくるのは容易なことなんじゃないかなあ、とも思うのですが。
 やっぱり、「百聞は一見にしかず」というのは、根強いようで。

 そういえば、1989年にルーマニアの独裁者チャウシェスク大統領が処刑された際には、彼の処刑直後の映像と歓喜する市民が報道されていたこともありました。あれも、僕には気持ち悪かった。

 しかし、市民による革命と今回のアメリカの正義による「制裁」とでは、イラク国民の受ける印象は全く違うものでしょう。
 何かと評判の悪かったらしいウダイ氏・クサイ氏ですが、「俺たちが悪者をやっつけてやったから喜べ」と勝者の視点で言われても、あんまり良い気持ちはしないのではないのかなあ。
 確かに、いなくなってくれて嬉しいという気持ちもあるだろうけど。

 ここまでくると、アメリカは「なんでもあり」みたいな印象すらありますが。

 それにしても、「死体写真」についてのイラク国民の反応は、僕たちのその写真に対する反応とは大きく異なるようです。「死体写真なんて気持ち悪い、人権侵害だ」と思うわれわれに対して、「そんなの見慣れてるよ、本人かどうかが大事」と考える彼ら。
 彼らのそんな反応は、「誰かの死体写真が公開されること」よりも、もっと悲しいことなのかもしれません。