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2003年06月12日(木)
花火のような人生、人生のような花火。


西日本新聞の記事より。

【今年四月十一日、死者十人を出した南国花火製造所(鹿児島市)の爆発事故を受け、県内の花火大会が相次いで中止している。同製造所が大半を請け負っていたため花火の確保が難しく、遺族感情などにも配慮したことが主な理由。

 県内で最大規模の鹿児島市の「かごしま錦江湾サマーナイト大花火大会」は、八月二十三日に予定していた第四回大会を中止した。同市など八つの企業・団体でつくる実行委員会が議論した結果、南国花火製造所が花火の約六割を請け負っており「態勢を立て直すのが難しい」「いまなお悲しむ人がいるなかで開催するのはどうか」などの意見が大勢を占め、全会一致で今年の中止と来年の開催を決めた。

 また、今月一日に行われた「山川みなと祭り」(山川町)が花火大会を中止したほか、阿久根市の「阿久根みどこい祭り」納涼花火大会(八月三日)や国分市納涼花火大会(八月十六日)が、同様の理由で中止を決定。例年二万五千人の見物客でにぎわう隼人町の日当山温泉祭り(八月二日)は、花火が祭りのメーンイベントだったため、祭り自体を中止した。

 一方、垂水市の「たるみずふれあいフェスタ花火大会」(八月十日)は開催を決定。実行委員会事務局の同市商工観光課によると、中止した他の大会と同様の意見が出たものの「花火を作っている人が死んだ。打ち上げることで喜んでもらった方がいい」との理由で、他の花火業者に依頼し例年通り八千発を打ち上げるという。】

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 この記事を読んで、僕は、昭和天皇が闘病されていたときの「自粛フィーバー」のことを思い出しました。
 あのときは、日本全国で祭りが「自粛」された記憶があります。
 しかし、当時僕の実家があった街の秋の大きな祭りは、「陛下の快癒を祈って」開催されたのです。
 結果的には、祭りを行ったことによるトラブルも無く、そしてもちろん、その祭りが昭和天皇の御病状に、何らかの影響を与えたとは誰も思わなかったでしょう。

 まあ、昭和天皇の場合は、御高齢でもあられましたし、ある意味天寿を全うされたとも感じられるのですが、花火工場で亡くなられた人々は、事故で突然命を落とされたわけですから、親族の驚きと悲しみも一層深いのかもしれませんが。
 
 それにしても、この「追悼のために花火大会を中止する」というのと「追悼のために花火大会をやる」という二つの発想は、どちらが正しい、と言えないものではありますね。
 職人の意地というものを想定するならば、花火大会の中止は亡くなられた方々の遺志に背くことになるでしょうし、遺族が「家族の命を奪った花火なんて見たくない」と感じるのも理解できます。

 もちろん、中止の背景には「工場の閉鎖によって、必要な花火が確保できない」という理由もあるようなのですが。

 結局は、主催者側の都合、ということになってしまうのかもしれませんね。

 僕が好きな話に(フィクションかもしれませんが)、江戸時代の代表的な喜劇作家・十返舎一九(「東海道中膝栗毛」を書いた人)が亡くなったときのエピソード、というのがあります。
 彼は亡くなるときに、遺言で周りの人に「自分が死んだら、遺体をそのまま焼いてくれ、いいかい、そのままだよ」と念を押していました。
 遺族が、その言葉に従って彼を荼毘に付すと、彼の体から、ドーン、と大きな花火が上がったそうです。
 まあ、周りにとっては、すこぶる迷惑な話ですし、現代では火葬は閉鎖された空間である火葬場で行われますから、花火ごと焼いたらえらいことになるでしょうけど。
 それでも僕は、この江戸を代表する喜劇作家が、亡くなる前に、少しニヤリと笑った姿をついつい想像してしまうんです。

 人生、一夜の夢の如し、なんて。

 僕は花火、大好きです。
 人が多いのだけが玉に瑕ですが。
 あの花火の美しさを支えているのも、綿々と続いてきた人間の命の営み。

 結局、花火大会は、止めるか開催するかの二つにひとつしか選択肢は無くて、どうせやるなら思いっきり楽しむのが、亡くなった方々への礼儀のような気がします。「やっぱり花火は綺麗だ!」と。

 それは、「花火」を「人生」に置き換えても同じこと、なのかもしれません。