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2003年05月08日(木)
平井堅「LIFE is...」とテキストでの「…」の存在意義。

 今日5月8日に、新曲「LIFE is...〜another story〜」を発売する平井堅さんの新曲についてのコメントより。

【自分の人生観を注ぎ込んだ楽曲。
「...」の答えは、聴いてくれる人それぞれに考えてもらえればと思う。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この「LIFE is...」という曲は、ドラマ「ブラックジャックによろしく」のテーマ曲としてオンエアされています。静かに心に染みる名曲。
 ところで、僕は文章中に「…」をよく使うのですが、この「…」って、便利である一方、他人の文章でみかけると「白黒はっきりしろよ!」と思うこともあります。
 WEB上の文章では、驚くべき出来事に対する「絶句」の符号でもありますね。
 
 そういえば、前にある作家があとがきで、悲しい知らせを聞いた主人公が何も言えずに沈黙するシーンについて、「映像だったら、音が無くても間や役者の表情や仕草で『深い悲しみ』を現すことができるけど、文章では、その沈黙を『……』としか書きようがなくて、ニュアンスを伝えるのが難しい」と話していたのを思い出しました。
 「雄弁は銀、沈黙は金」なんて言うけれど、確かに、沈黙は、ときには言葉よりも大きな意味を持っています。

 僕は、「…」を、もどかしさを表すために使っています。
 「はっきりしろよ!」と自分でも思いながらも、どうしても白黒つけられないような問題や今の自分には結論が出せないとき、どちらが正しいかわからないとき、そして、結論を読む人に考えてもらいたいときなどに。
 それは、問題提起のときもあれば、嘆息のときもあるのです。
 「迷っていること、活論が出せないこと」を伝えたいときだってある。

 「LIFE is...」には、「答えなど何処にも無い、誰も教えてくれない」という歌詞があります。
 その答えの無い「...」が何であるかを探し続けるのが、人生そのものなのかもしれません。