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2003年05月03日(土)
プロになるべき人は、決して疑わない。


原田宗典著「道草食う記」(角川文庫)より抜粋。

【学生時代のぼくは、今のぼくよりもずっと作家意識が強かったように思う。何しろ朝から晩まで小説のこと以外は考えてもいなかったのである。何年か前にテレビのドキュメンタリーで、故レナード・バーンスタインが若い音楽家に向けてこんなことを言っていたのを思い出す。
「もし音楽家を目指す若者が私のところに来て、自分は音楽家に向いているだろうかという質問を発したとしたら、答えはノーである。プロの音楽家になるべき人は、そんなことは決して疑わない。従って質問を発した時点でその人は音楽家に向いていないのだ」
 曲がりなりにもぼくが小説家になれた理由も、多分ここにあるだろう。いつか小説家になろうと決意した十六歳の夏から現在に到るまで、ぼくは自分が小説家に向いているかどうか、という根本的な疑問を抱いたことは一度もない。向いていると信じて疑わなかったのである。】

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 人気作家である原田さんの述懐なのですが、なるほど、と思うのと同時に、素質というものの根源について考えさせられる話です。
 芸術家とかスポーツ選手、芸能人のように、一部の限られた人にしかなれない職業に就く人というのは、高いレベルでの自分の才能に疑いを持つことはあっても、その職業への自分の向き、不向きなんてのは、すでに飛び越えてしまっている、ということなんですね。
 その「向き、不向き」の次元で悩むような人は、すでにプロとしての資質には欠けているのだ、と。
 しかし、そういうふうに考えると、自分に疑いを持たずにある特定の分野に打ち込める、ということが既にひとつの才能なのかもしれません。
 やはり、普通の人間だったら、「向いてるのかな?」と思うこともあるでしょうし、こういう「疑わない人」のすべてが芸術家になれるわけではなく、その中でも優劣がつけられていくのですから。

 このバーンスタインの言葉は、すごく示唆に富んでいますね。
 だからといって「疑わないようにしよう」とか意識してしまう時点で、疑っているのと同じことだから、あまり参考にならないかもしれませんが。

 しかし、世間の多くの人々は、「向いているのかなあ?」と思いながら自分の「普通の」仕事をやっているのでしょうし、僕はそういうときには、「いろんな患者さんがいるんだから、いろんな医者がいてもいいよな、きっと」と自分に言い聞かせるようにしています。
 そういう面では、サービス業というのは懐が広いのかもしれませんね。