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2003年01月28日(火)
普通に死なせてもらえない「音速の貴公子」セナ。


日刊スポーツの記事より。

【“音速の貴公子”と呼ばれたF1ドライバー、アイルトン・セナ(享年34=ブラジル)が94年事故死した件で、イタリア最高裁は27日、ウィリアムズ・チーム責任者の無罪判決を破棄し、再審理を命じた。99年11月の控訴審で、ウィリアムズ・チームのテクニカル・ディレクターとデザイナーは無罪とされたが、検察側が上告していた。

 この事故死は世界にショックを与えF1の安全性に問題を投げかけたほか、地元での葬儀は国葬規模、後追い自殺する女性も現れた。F1での生涯成績は161戦41勝。】

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 「音速の貴公子」の事故死から、もう9年目になるんですね。
 「納豆走法」(しかし、これってけっこう失礼だなあ)の日本人初のフル参戦のF1ドライバー中島悟の登場で始まった日本のF1ブームは、マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとともに加速し、セナの事故死とともに収束してしまったような印象があります。もちろん今でも日本にF1ファンはたくさんいるのですけれど、セナがホンダを駆っていたときのような、みんな日曜日の夜は夜更かしをしてF1を観て、朝学校や職場でその結果を話す、なんてことは、ほとんど無くなってしまいましたし。

 アイルトン・セナの事故死については、当時からいろいろな説や憶測が流れ、「事故死の寸前に、セナは精神的に不安定だった」とか「何者かの陰謀説」とか、「自殺説」なんていうのも根強くありましたね。
 トップを走ったまま、誰にも抜かれないところに行ってしまったセナ。
 僕は、リアルタイムでは、あまりに感傷的なセナが好きではなく(強すぎたし、ちょっとワガママなところがあったし、女の子にモテモテでしたからねえ…)、「神を見た」なんてコメントには、選民思想かよ…とか感じてました。
 レースでは、プロストやマンセルを応援していたのですが、居なくなってしまうと、セナがいないレースでプロストやシューマッハを応援するのは、何か味気ないのです。

 あのセナが亡くなったレースでのクラッシュは、まったくウイリアムズのマシンが曲がらずにコーナーをまっすぐ進んで、壁に突っ込んでいったのですから、不思議な事故ではありました。セナが曲がろうとしなかったか、それとも、マシンが曲がってくれなかったのか?
 どちらにしても、生きている人間にとってわかるのは、アイルトン・セナは死んでしまって、もうこの世にいないということ。
 僕は、セナが死んでしまったのは、ほんとうに「単なる事故」だという気もします。あの車の挙動からして、おそらくマシントラブルによる。
 しかし、それを一概にチームの責任にできるかといえば、たぶんそうではないでしょう。当時のウイリアムズ・チームは、ミハエル・シューマッハのベネトンに連勝を許しており、負けられないレースでしたから、限界ギリギリのセッティングをしていたのでしょうし、絶対に故障しない車などありえません。
 少なくとも、チームにはセナを殺したい理由はなさそうです。
 元々、そういったリスクを承知していないF1ドライバーはいないでしょうし、危険もサラリーに反映されているはずで。それに、絶対に安全なF1には、あまり魅力はないかもしれない。

 セナの生涯は、事故死によって、よりドラマティックなものになりました。
 そして、僕たちは偉大なドライバーであるセナの事故死に何かの意味づけをしようとしがちです。
 でも、特別な人だから、特別な死に方をするとは限らないですし、名も無いドライバーの事故だったら、ここまでの問題になっていたかどうか?
 
 それにしてもセナは、なんと多くのものを乗せて走っていたのでしょうか。
 そろそろ、セナを楽にしてあげてもいいような気もしますね…