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2002年10月23日(水)
2002年10月23日。


「あの娘は石ころ」(中島らも著・双葉文庫)より抜粋。

【日本人は、わび、さび、「道」を好む。ものごとを簡素化していって、その簡素の中に深さを見いだす。事物は精神性を見いだすためのツールであって、極端なことを言えば「なくてもいい」。華道も書道も香道もみんなそういう抽象性に満ちあふれている。
 琵琶もそういう「道」に取り込まれたのである。
 僕ははっきり言って、日本のこの「道」が大嫌いだ。尺八で「首ふり三年」、つまり音が出るまでに三年かかる、なんてことを言うが、あんなものは何も三年も首をふっている必要はなくて、良い先生が合理的に教えてあげればすぐに音が出ると思う。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕も、学生時代に弓道をやっていたのですが、この中島さんの書かれていること、非常によくわかる気がします。
 弓道って、けっこう作法に煩いところがあって、畳の縁を踏んではならない、に始まって、弓の立て方はこう、引き終わったあとはこう、などと、けっこう手際がめんどうなのです。いやまあ、多少の作法があるのは、仕方がないとは思うんですけどね。
 
 ある先輩が、昇段試験を受けたときのこと、引いた矢は二本とも的中し、体配(弓を射るときの作法にかなった動き、いわゆる「型」ですね)もほぼ完璧。これは受かった、と本人も周りの人も思ったのです。でも、結果は不合格。
 納得できなかった先輩が、審査員の先生に落ちた理由を聞きにいったら、一言「射が若い」と言われたそうです。なんじゃそりゃ?

 僕は、弓というものにはすごく愛着がありますが、「弓道」というものには、正直、あまり納得できないところがありました。
 
 最初に弓を開発した人は、もちろん礼儀作法から始まったわけじゃなくて、いかに敵を倒すか、という実践こそが大事だったと思うのです。でも、それはどこかで変容していって(弓が兵器としては、実戦的でなくなったという事情もありますが)精神性を重視するようになっていったのです。
 これは弓道に限ったことではなく「道」を説く人たちって、みんなその実社会とは乖離した競技の達人なんですよね。
 
 劉邦が漢帝国を建国したとき、部下があまりに宮廷で好き放題をやるので(まあ、もともと彼らは劉邦の「仲間」でしたし、ほとんどが荒くれ者の集団だったらしいですから、あまり遠慮の気持ちはなかったんでしょうね)、頭を痛めていたそうです。すると、お抱えの儒学者が「礼を宮廷の儀式に取り入れなさい」と助言をして、半信半疑ながらもそれを受けて宮廷作法を義務化したところ、宮廷は荘厳な雰囲気になりました。
高祖劉邦は「わしは今はじめて、皇帝の偉大さを知ったぞ」と、その儒学者を大いに賞したという話が伝わっています。

この高祖劉邦を茶道や華道などの「道」の達人になぞらえてみてください。彼らは、ほんとうに精神性にすぐれていたから「達人」になれたのか?それとも、技術的に優れており、他人に尊敬されるようになったから、自分の得意なジャンルに「道」を取り入れて、演出をするようになったんでしょうか?

まあ、創業期はともかく、その競技や技術が安定期の場合、多くの「道」は、むしろ支配する側の都合のいい道具とされているような気がします。
僕は弓道しか知らないのですが、確かに、弓が上手になる人は集中力があるとか、自制心に優れている人が多いとは思うのです。
でも、なんでもかんでも精神論にすりかえてしまう「ナントカ道」みたいなのは、結構胡散臭いと思いませんか?
ある意味、弓が上手になる性格というのはマイペースで頑固な人とも言いかえられますし、それは精神的に優れているというよりは、その競技に向いた性格であるというだけなんですよね。
他人に迷惑をかけるようなものでもなければ、性格に優劣なんてつけようがないと思いませんか?
結局、自分の特技や技術を脚色したいだけの似非求道者が多いんじゃないのかなあ。
すばらしい人格の2軍の選手は「野球道」なんて語らせてもらえませんしね。

だいたい、「家元」とか「宗家」なんて人たちが、そんなに精神的に立派な人ばっかりじゃないってことは、狂言界の「自称宗家」の人をみれば、一目瞭然なわけで。