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2002年06月18日(火)
2002年6月18日。

「ただマイヨジョーヌのためでなく」(ランス・アームストロング著・安次嶺佳子訳・講談社)より抜粋。

(一流自転車選手として活躍中の25歳の時に生存率20%以下という睾丸癌を発症したが、苦しい闘病生活を乗り越えて再起し、1999年に世界最高峰の自転車レース「ツール・ド・フランス」に個人総合優勝したランス・アームストロング選手の回想録より)

【それから最高のときが来た。チームメイトとともに勝利を祝う最後の一周をするのだ。USポスタル・サービス・チームは、シャンゼリゼ通りをゆっくり流した。見知らぬ男性が突然道路に飛び出してきて、僕に棒のついた大きなアメリカ国旗を渡した。僕は国旗を高く掲げた。深い感動で胸がいっぱいになった。
 最後にフィニッシュラインの所に戻り、僕は涙を懸命にこらえながら記者たちに話した。「信じられない。本当に。すごいショックです。僕が言いたいことはただ一つ。もし人生で二度目のチャンスを与えられたら、徹底的にやり抜くことです」】

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 重い癌を克服し、世界最高峰の自転車レースで連覇を飾ったランス・アームストロング。彼が、はじめて「ツール・ド・フランス」に優勝したときの情景です。彼は「2度目のチャンスを与えられたら」と言っていますが、自らの忍耐と努力で、2度目のチャンスを勝ち取ったわけです。
もちろん、彼が「与えられた」といったことには「どんなに頑張っても、チャンスを与えられなかった」人々の姿を目にしてきているから、なんでしょう。それに、彼が最高の病院や医師を選択できる立場にあったことも、重要なファクターですし。
それでも、その「2度目のチャンス」をものにした彼の半生は、病気に悩む人、苦しい立場に居る人たちにとって希望となるものだと思うのです。

どうして、今日この話を書いたかというと、サッカー日本代表選手の皆様に、お疲れさまの言葉とともに、この文章を贈りたかったから。
「二度目のチャンス」とは、必ずしもワールドカップの舞台、サッカーの世界だけとは限りませんが、まだまだ、人生はこれからです。
そして「サポーターも一緒に闘っているんだ!」といいながら、ただ暴れていただけの人々にも。