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2002年03月27日(水)
2002年3月27日。

毎日新聞の記事より。

「国会でもっと質問をしたかった」。疑惑発覚から1週間、議員辞職を決めた社民党の辻元清美衆院議員は、26日の会見で無念の思いを語った。テレビを意識してか会見の場で議員バッジを外してみせた。「議員は辞めますが、社民党は辞めません」「何か変化をもたらす辞任にしたい」。鈴木宗男、加藤紘一両衆院議員との違いを強調した。疑惑の渦中でもがく姿をさらし続けた疑惑追及のヒロイン。口調に明りょうさは戻ったが、疑惑を釈明する言葉はまだあいまいだった。

 辞職会見なのに、冒頭はなぜか「お礼」の弁。テレビを見ている国民を意識して「この会見をご覧になっている皆様、本当にありがとうございます」と呼び掛けた。

 「会見をしないで一部のテレビにだけ出た真意は」「秘書給与の還流システムを教えた人物は」「詳細な事実関係を」。報道陣の質問には「反省しています」などと抽象的な答えに終始した。

 辻元氏の会見後、土井党首も会見した。「点滴を受けている中での決断だった。重く受け止めねばならない」。愛弟子の辞職について語る口調は重い。

 辞表提出後の午後6時前。土井事務所で横光克彦衆院議員が両親に「辻元さん、激励の声が多く届いてますよ」と声をかけた。

◇社民党の対応不可解

 評論家、小沢遼子さんの話 辻元さんの議員辞職はやむを得ないと思うが、社民党が事実を知らなかったような対応をするのは不可解だ。比例代表で当選した素人議員に対し、党が政策秘書の選定にタッチしなかったとは考えられない。もしそうであれば、党として若い議員をバックアップしなかった責任がある。辻元さんの辞職にばかり注目が集まっているが、ここに至るまでの問題点はまだ明らかにされていない。

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非常に長い引用で、失礼しました。
この辞職会見に、辻元さんという人の問題点が、集約されていると僕は考えるのです。「もっと国会で質問をしたかった」、…悶絶。
結局、彼女がやりたかったことというのは、日本を良くすること、ではなくて自分が正義の味方として目立つこと、ではなかったのではないでしょうか。
もちろん、法案を提出する力のない今の社民党では、国会で質問するくらいしか、直接に政策にかかわる機会がないとしても。
で、「議員はやめても、社民党はやめない」とか「ご覧になっているみなさん、ありがとうございます」というような発言になっているわけですね。まさに悲劇のヒロイン(自称)。彼女は、マスメディアの力で押し上げられ、それを自分の力だと過信させられていたわけです。そのメディアが、こぞって、手のひらを返して「辻元辞めろキャンペーン」を鈴木宗男氏に対してよりも激しく展開していたのにも気づかずに。
彼女は、マスコミにいいように使われてしまっただけなのかもしれませんね。
でも、辞任のときまで、彼女はそれに気づかなかった。
辻元さんが、カメラの前でわざとらしくバッジを外しているのを映しているテレビカメラの向こうでは、コメンテーターが、「どうしてもっと早く辞めなかったのか」と言っているような状況だったのに。
この人は、おそらく全く反省されていないと思います。いや、もししているとしたら、自分の行為にではなく、やり方のまずさについてでしょう。今度はもっとうまくやらないと、と内心思っているかもしれません。
「この逆境から、立ち上がる私!」なんて未来予想図を描いてたりして。
それにしても、社民党。もっとちゃんと調べてください。このことについては、辻元さんひとりの知恵ではないはずだとみんな思っているはず。さっさと辞めさせて、忘れさせようとしているんなら、自民党と同じです。それにしても、テレビで観たこの党の議員の人、なんでみんな辻元さんと同じような雰囲気なんでしょう。

ちなみに、点滴を受けながら…という土井さんのコメントについては、ちょっと疲れた状態の患者さんで、検査をしても明らかな疾患を持たない場合、医者はたいがい点滴でお茶を濁すことが多いです。それに、彼女の体調が悪かったからといって、やったことの責任が軽減されるわけではないし「重く受け止める」根拠には全くなりません。「激励の声が多く届いている」社民党本部には、その何倍もの罵倒の声が届いていたと想像されるということも付記しておきましょう。

まあ、これで鈴木さんと加藤さんも辞めざるをえなくなったかな。
実は、今回の辞職でいちばん困ってるのは、自民党だったりして。