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2002年03月06日(水)
2002年3月6日。

荒川洋治「日記をつける」(岩波アクティブ新書)より抜粋。

日記は、なんのためにつけるのだろう。まずそれは自分の記録のためである。またその記録をあとから振り返るためである。

(中略)

ひとつ付け加えるなら、日記は基本的には自分のことをつけるのだから「私のことは、私がいちばんよく知っている」という気持ちでつけられていくものである。自分だけが知っていること、気づいていること。それらがおおいばりで活躍する。それが日記だ。その「私」はそれほどりっぱなものでなくてもいい。どんな「私」でも、「私」がいれば日記は成り立つ。一個の「私」をこのもやもやした世界のなかから、もやもやした自分のなかから取り出していくためにも日記は欠かせないものだと思う。

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この内容が、果たして「公開されること」を前提としているWEB日記にも当てはまるかどうかは議論の余地があるけれど。よく「そんな内容なら、インターネットで公開せずに、紙に書け!」っていうような話があるのですが、これもつきつめれば、絶対に他人に見られたくなければ、紙に書いて形に残すなよ、そんなもの、ともいえるわけです。
WEB日記のいいところって、知り合いには(たぶん)みられないけれど、誰かが見てくれるっていうところ。紙の日記なら、そう簡単に自費出版するわけにもいかないし、道端に転がしておくわけにもいかない。
ときには反響が来たりして、有頂天になったり。

でも、日記って、他人に読まれることを前提にすればするほど、書きにくくなってきます。「私」を浮き彫りにするためにはじめた日記が、読んでくれる人の好みに合わせたもの、話題になりそうなものという「世界」に適応していってしまう。
それは、「日記」にとって、幸福なものなのかどうか。
むしろ「日替わりエッセイ」といったものになりがち。
(ちなみに、「活字中毒。」は、もともと「日記」だとは思ってません。)

なんだか、議論のための議論を行ったり、他人を貶めるための「日記」が多いような気がするのです、このところ。まあ、現在は、それはそれでひとつの形式にはなっているんだけど。この文章は、「日記」って、なんだろう?といことを考えさせられました、ひさびさに。
この筆者に対して。全部、その通り!と思っているわけじゃないけれど、考えるきっかけとして。

WEB日記を書いていながら、ほんとの「日記」を書きたいと思っている人って、けっこう多いんじゃないでしょうか?