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2002年02月08日(金)
2002年2月8日。

ソルトレイクシティの冬季五輪開幕。共同通信の記事より。

【今回ですか? 自分のために飛ぶんです」。普段は笑顔を絶やさない゛ミスタースマイリー″原田雅彦選手(雪印)が真顔で言った。 4度目の五輪挑戦となる33歳のベテランジャンパーにとって、ソルトレークシティーは恐らく最後の五輪となるだろう。 四年前、地元開催の長野では感動のドラマの主役だった。金メダルがすぐそこにあった一九九四年リレハンメル五輪の団体は、原田選手の失敗ジャンプでつかみ損ねた。
「おれだけじゃない。みんなの力で取ったんだ」―。その借りを見事に返し、団体金メダルに輝いた長野での姿が日本中を感動させた。

 一つの目標を成し遂げた後の四年間、道は決して平たんではなかった。一昨年の雪印の食中毒事件で、スキー部は約三カ月間、活動を自粛した。フォーム改造が思うようにいかず自分のジャンプを見失った時期もあった。そして五輪直前になってグループ企業、雪印食品の不祥事。おどけた会話が得意の原田選手が、おわびをする姿が痛々しかった。

 二日に東京で行われた日本選手団結団式で、決意を述べた原田選手は一つの区切りをつけた。開会式には出席せず、競技に全精力を傾けることを決めた。 最大の理解者、妻恵子さん(33)は今回、自宅で応援する。恵子さんの「特別なことはいらない。原田は原田らしく」の言葉を胸に、一人のジャンパーに立ち戻って原田選手は大舞台に挑む。】

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長野のジャンプ男子団体の金メダルを僕は救急当直室で観ていたのだが、原田の姿をみての最初の感想は「このひと興奮しておかしくなってるよ…」であった。でも、今でもそのシーンをしっかり思い出せるということは、よっぽど心に残っているのだろうと思う。
冷静に考えると、団体は他の3選手が安定したジャンプをみせ、原田はひとりで失敗ジャンプをし、そして自ら勝負を決する大ジャンプを見せたのだが。まさに、ドラマチックジャンパー原田。
緊張して失敗したり、泣いたり笑ったりという人間的な部分が、原田人気をささえているんだろう。そう、僕の中にも原田がいると思った人、たくさんいたんじゃないかなあ。
原田選手、雪印事件など辛いことも多いでしょうが、がんばってください。

ところで最近オリンピックのCMで、「自分のためにがんばってください」っていうのがあるんだけど、あれはかえってイヤラシイ感じがするのは、僕だけですか?他人が言うことじゃないわな。