小学校は…


2004年07月07日(水)
今日は7時に目が覚めた…けど、結局ベッドから出たのは8時。
暑くて寝ていても鬱陶しい位なのに、朝に限っては睡魔の方が勢いが上の模様。
それとも、起きようとする意思が薄弱なだけか…?

帰ってきたのは夕方だったけど、
それ以外は取り立ててものすごいことはなかった。

曽我さんの再会のニュースの陰に隠れてしまった感のある、
新潟のこの事件。
ちょっと前の佐世保の事件しかり、
一体、最近の小学校はどういうところなんだろう。
自分が通っていた15年前とは、全く違うんじゃないか…と思ってしまう。

小学校というと、椎名誠さんの「白い手」が思い浮かぶ。
1960年代の小学校高学年の少年達を描いた話で、
12年前に買って以来何度も読み返している、大好きな本のひとつ。

80年代後半に小学校に通っていた自分でも、
出てくる子供たちに、とっても共感できる所がある。
解説を書かれている工藤直子さんの言葉を借りれば、
「時代も場所も越えた共通の感覚」ということなのだろうか。

それは例えば、あまりにピッタリで上手すぎる「あだ名」のつけ方や、
学芸会の役に選ばれてちょっとだけ優越感を感じたりとか、
学校以外の塾で、クラスの違う、でも憧れの子と一緒に帰れたりとか。

「学校でトイレの大をするのは男の名折れだから絶対に出来ない!」

これなんかもう、その白眉。
読んでて大いに頷いてしまった。
自分が小学校の時も、どうしてもしたい時は、
教室のある階じゃなくて、体育館のトイレに走った記憶があるし。

時代を経て、建物はキレイになり、校庭がコンクリになり、
教科書は薄くなり、パソコンが普及し…となっているけど、
そこに通っている子供たちの感覚は、昔から変わっていないと信じたい。


一部の事件を取り上げて、小学校が機能不全だ、
子供が変わってきている…というのは、乱暴な議論だと思う。
ただ、それが分かっていても、取り上げられるニュースを見る度に、
「どこかがおかしい…」という違和感を拭いきれないのは、
負の方向への時代の変化を、素直に受け入れられないのだろうか。

今の小学生が大人になって「白い手」を読んで、共感できなかったとしたら、
今の自分は既に「時代遅れ」ということになってしまうのかもしれない。

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今日は早く寝ようと、早めに日記を書いてみました。
そしたら、日記というか意見になってしまったようです…

BGM : ドキドキ / JUDY AND MARY♪



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