今を生きる言語?/文中リンク考


2004年05月18日(火)
今日の集中力はそこそこ。
ただ、起きた時間が8時だったのは致命傷…明日こそはがんばらねば。
帰ってきたテストの結果は、あまりにも分かりやすくて苦笑い。
分かりやすかった部分、何とかしないとなぁ…

学校帰りはタワレコでCDを買う。
これでサイフは1000円を切った。後2日がんばらねば。

CDを買って店外のエレベーターを待っていると、
やがて出口の方からノリの軽そうな、自分より少し年齢下と思しき女性2人組がやってきて、
同じようにエレベーターを待ち始めた。

彼女達のおしゃべりに耳を傾けてみると、どうやら恋愛話らしい。
エレベーターに来る前から話していたので会話のつながりは分からないけど、
「『友達のままでいよう』って断ろうかと思ってんだけど」と言っているので、
どうやら、告白を断ろうかとという相談事。
こんな会話がなされているとは、想いを告げた彼は可哀相に…と、心の中で合掌。
やがてエレベーターは到着。会話はまだまだ続く。

「ごめんなさい」をする事にした彼はどうやら、
彼女達2人共通の友人らしく、
ただ、どうやら思いを告げられた彼女には、意中の人(もしくは、既にいる彼かも)がいるらしく、
その気持ちを大事にしたい…という事なのだろう、出てきたのが次のセリフ。

「でも、硬派なヤンキーポリシーの私としてはさぁ…」

…なんじゃそらぁ〜!

いいたい事のニュアンスは分かるけどなぁ…w
思わず笑いそうになったけど、エレベーターの中で笑うわけに行かず、
少々顔を俯け気味に、表情をかみ殺しましたw

それとも、最近はこれくらいフツーなのかな?

小説を読んでいるだけでは、本当に「今を生きる」言語感覚はついていかない。
(「今を生きる」言語は、「正しい」言語とは必ずしも一致しないけど)
それは様々な街を歩いて、多くの人の声を耳にして、
初めて身につく…というか、身体に憶えていくものだと思う。
その点、最近自分は生きた言語とは少々遠い位置にいるような気がしている。

だから、今日の彼女達の会話も、一つの「今を生きる」言語を学んだと考えれば、
それはそれで有意義なモノだととるべきか?


「もっともっと、文中リンクしませんか?」
日記の文中リンクの話。
(いつも読ませて頂いている、「トリッチ・トラッチ」さんで知りました。)
なるほど、文中リンクのもつ効能は大きい気がする。
一方で、なかなかこれが広がらないのも事実。

なぜかといわれると一概に言えないのだろうけど、
(あくまで個人的に)思うところ、
「誰かに読んで欲しい」という思いの一方に、
「誰かには読んで欲しくない」というのがあって、
それが両天秤になるから…じゃないか?と思う。
(日記書いている友人の某君も、そんなことを言っていたような…)

文中リンクの結果アクセスが上がると、書き手としては「よしっ!」と思う。
(自分にも微々たる物ですが、経験あり。)
一方で、文中リンクが後者のリスクを広げるのは否めないわけで、
これって、なかなか難しいバランスじゃないだろうか。

あとは引用する側の使い方…なのかなぁ。
自分の言いたい所と違うとられ方でリンクされてしまうと、
書き手としては「うーん…」と思ってしまうだろうし。

なんだか、難しい問題かも…

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ちなみにタワレコで買ったCDは、山崎まさよし「僕らは静かに消えていく」。
アルバムは持っているけど、シングル買ったのは実は初めて。
20分以上のインストゥルメンタルと、DVDのショートフィルムは魅力的だった。
タイトル曲は安心の出来。旋律は耳に穏やか、それでいて印象的。
インストゥルメンタルも、なるほど

BGM : mud skiffle track XII(Instrumental) / 山崎まさよし♪



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