月の輪通信 日々の想い
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| 2004年09月10日(金) |
落下りんご 降灰キャベツ |
台風、地震と怒涛の一週間だった。 異国では痛ましい惨劇のニュース。 国内では、意味もなく命を奪われる子どもや高齢者達。 ついこの間、「金メダルだ!」「日本初の快挙!」と騒いでいた報道番組が、えらく陰鬱で胸が苦しくなる。
台風も地震も幸い我が家には何の被害もなかったのだけれど、それでもうちの周りの山の木々は、かなり枝先が折れたり、実り始めた若いどんぐりをもぎ取られたりしていたようだ。数日たった今頃になって、道路わきの水路がしょっちゅうあふれる。グレーチングを置いた部分や暗渠の箇所で、おれた木の枝や振り落とされた木の葉が引っかかって詰まるからだ。 山のどんぐりは、「成り年」とそうでない年があって、ことに子ども達のお気に入りのクヌギの木は、わぁっとあふれるほどどんぐりを実らせる年もあれば、まばらに小さなどんぐりを落とすばかりの年もある。 「今年はどんぐり、たくさんできるかなぁ。」 と楽しみにしているアプコには、台風でまだ青いまま地面に落ちてきた赤ちゃんどんぐりたちが不憫に思われるようだ。
そういえば、先日の台風の唯一の被害といえば、庭でさいごの一輪となっていた鉄砲百合のつぼみが花首のところからぽきんと折れてしまったのは、痛恨だった。 我が家の百合は小さなつぼみが現れてから、膨らんでぽかっと開花するまでの日数がやたらと長い。おまけにひょろひょろと背が高いので、途中でつぼみの重さに耐えかねて地面すれすれに倒れ掛かってしまう事もある。 華奢な茎をいためないようにそっと杖をつけてみたり、そばに支え代わりになりそうな草花を植えてみたりもしているが、今度の台風の風にはひとたまりもなかった。 あと数日で、開花かなぁと薄桃色に色づいたつぼみの先端を眺めて楽しんでいたものが、一晩の風で見るも無残に折れて地に落ち泥だらけになっていた。 がっかりである。
台風などの自然災害の後、必ず見かけるのが、収穫直前に被害にあって正価では出荷できなくなった農作物を格安で販売するデパートやスーパーのニュース映像。 「表面の傷はあるものの、お味は上々。」「市価の三割から四割安のお買い得。」「用意された商品はあっという間に完売しました。」 判で押したようなアナウンサーのコメント。 なんだかあれ、気持ち悪い。 一年間丹精して育てた自慢の作物を収穫目前にして、「落下りんご」「降灰キャベツ」として買い叩かれてしまう農家の人の落胆というのはどれほどのものだろう。おそらくはそうして曲がりなりにも市場に上る作物の裏には、落下りんごとしてすら売りに出せずに廃棄される作物もたくさんあるのだろう。こつこつと雨の日も風の日も、地道な作業の繰り返しで行われる農家の暮らしを思うと、本当に胸が痛む。 作物を作った人のことを思いやっての緊急販売なら、何であんなに安価で販売するのだろう。 「捨てるよりまし」の発想かも知れないけれど、せめて、ニュースの映像に載せるくらいなら、被害農家への義援金の意味合いをかねて、正価並みの金額で販売したら、やはり買う人はいないのだろうか。 うちの近所のスーパーや生協でも、格別安価な被害作物を見かけることもある。 「格安大好き」の主婦としては、飛びつきたいところだけれど、「安くてラッキー!」とちょっと喜んでしまうような自分の心根が気持ち悪くて、商品を選ぶ手が止まる事もある。 捨て値のような価格でも、誰かが購入すればそれだけ被害農家の方へのごくごくわずかな助けにはなるのだろうか。 災害の爪あとの残る作物を口にして、遠く顔も知らぬ生産者の方々の落胆を思いやるだけでも、少しは意味があるのだろうか。 落下りんご、降灰キャベツのニュースを見るたび、複雑な思いに心は揺れる。
ところで、買い物に行くとここ数日全体に野菜の値段が高い。 さほど被害はなかったろうと思われる産地の野菜の値段も上がっている気がする。多分、台風被害で品薄になった分、全体に価格も上がっているのだろう。 「わ、にらがバカみたいに高いわ。レバニラ炒め、ニンニクの芽で代用するけど、いいかな?」 そんな風に高値の野菜を避けて、やっぱりお買い得の野菜に逃げ込む私って、どうなんだろう。 「落下りんご、安くてラッキー!」とニュースのインタビューでニカニカ笑っているおばちゃんと、やっぱりさほどの差異はないか。
本日、2学期最初の広報委員会。 午後からは参観、懇談おまけに夏休み作品展の豪華フルコース。 朝から一日、学校缶詰でいくぞと気合を入れてお弁当もちで出かける。 おりしも台風接近中。 朝、園バスの先生からは「警報が出たら、早帰りになりますので、お迎えよろしくお願いしま〜す。」と、明るく言われたけれど、「え、早帰りって何時帰りだい?一日中おうちで連絡を待てってか?」 相手は台風だ。予定を訊いても仕様がないが、そんな大雑把な連絡方法ではちゃんとお迎えに出られおうちがいったい何件あるだろう。 うちも今日は一日留守になるので、バスの時間に変動があったら、一緒にアプコも引き取っておいてくれるよう、Kちゃん母にお願いしておく。。
何とかかんとか広報委員会を終えて、PTA室でお弁当。 あいた時間に作品展を見て参観かと思っていたら、なんだかようすがおかしい。 そのうち誰からか「暴風警報が出たから参観は延期で、子ども達は集団下校らしいよ。」と教えてもらった。 はぁ、中止でございますか。 なんだかいっぺんに気が抜けてしまい、へなへなになる。 それでも、警報が出たということは幼稚園も早帰りになるかもしれないとあちこちに電話をし、情報収集。 急いで学校を出て、お迎えに向かう。
小学校からは前日、「暴風警報が出て集団下校になったら、おうちの方は在宅ですか?ご近所やお知り合いのところへ帰りますか?学童に残りますか?」という調査のプリントが配布されていた。 いくら台風だといっても、おうちの人が必ず在宅とは限らない。 せっかく集団下校で帰宅しても、一人で鍵を開けてお留守番では心細いのだろう。 結局定刻に帰ってくる事になったアプコの園バスを待っていると、駅前にはいったんうちに帰ってから自転車でびゅんびゅん出かけていく小学生を何人も見かける。 まだ強風も吹きはじめで、それほど強くはないとはいうものの、わざわざ外出しなくてもなぁ。 おうちに誰もいないのかもしれないなぁ。 子ども達の安全のための集団下校とはいえ、家に帰ればいつでも誰か大人が家にいるということを期待できない状況では、考えもんだなぁと思う。
剣道仲間のTさんが最近、専業主婦ってなんだかなぁとへこんでいる。 PTAやらなにやら、やたらと子ども関係の「役」が当たる。 仕事に出ているお母さんたちが、何かというと「仕事があって会合に出られない」「その日は仕事でちょっと・・・」とくる。 何かというと、仕事でおかあさんが家にいないうちの子達が、ゾロゾロ遊びにやってくる。 専業主婦には、「仕事だから・・・」というような逃げ場がない 子どもの出費もかさむから働きに出たいなとも思うけれど、子ども達の帰宅を「おかえり!」といつでも迎えられる母でありたいとも思う。
わかるわかると激しく頷く。 うちだって決して余裕綽々で専業主婦をやっているわけではない。 子ども達の送り迎えや工房での雑用、PTAだの地域でのお役目だの、「仕事だから」と放り出してしまう事が出来ない些細な用事がたくさんある。 小学校の間ぐらいは、急な雨が降ったら傘もってお迎えもしてやりたい。 顔色や声の調子で、しっかり子ども達のその日一日の様子を感じ取ってやりたい。 何よりも、「うちに帰ったら、いつもおかあさんがうちにいる」という安心感と共に子ども時代をすごさせてやりたいとも思っている。 「気楽におうちで専業主婦」 といわれればそれまでだけど、専業主婦だってそれなりに考えあっての「専業」なのだ。 だったら、胸を張って「専業主婦よ」っていってればいいんだけれど、何でか引け目を感じながらウジウジ思い悩んでしまう主婦の悲しさ。 何なんだろうなぁと首をかしげる。
「母親が働く」ということ。 近頃では働くお母さんのほうがすっかり多数派になって、 いつも家にいるお母さんはちょっと形見が狭いのだけれど、 「家庭にいつも誰かいる」という事の意味も私は大事にしたいと思う。 この春からのアユコのメール事件やオニイの過敏性腸炎、ゲンのいじめ疑惑まで、我が家に連続して起こった一連のトラブルの数々。 その多くは、もしかして私が「働くお母さん」で、子ども達の「ただいま」の声を聞くことの出来ない生活をしていたとしたら、気づく事すら出来ずにすごしていった事かもしれない。 よそのおうちのことはどうだか知らない。 我が家は、まだまだ「専業母」でいいと改めて思い定める。 子ども達と同じ一つの場所で、強くなっていく台風の音を一緒に聞く。 母はそのために家にいるのだと、開き直ってみる。
| 2004年09月06日(月) |
ここんとこ、いそがしいし・・・ |
アプコのお友達のKちゃんが、金曜日、延長保育にするという。 いつもお互いにどっちかが延長保育に出すときには、二人で一緒に園で遊べるようにと予定をあわせて、そろって延長保育にする事が多い。 今回も・・・とアプコに聞いてみる。 「金曜日、Kちゃん、延長保育なんだって。アプコも行く?」 行く、行く!と答えが返ってくるかと思っていたら、意外な答え。 「う〜ん、どうしようかな、ここんとこ忙しいしな。」
「はぁ、なにがそんなに忙しいの?」 「あのね、昨日植えたブロッコリさんのお世話もせなあかんし、金魚のお世話もせなあかんし、イチゴ(の苗)のお世話もせなあかんし、お手紙も書かんならんし・・・・」 「あ、そうですか、それは忙しそうですね。」 母が可笑しさをこらえて、慇懃無礼に応えるのに気づいて、アプコ、ちょっとふくれて、生真面目に続ける。 「それになぁ、おかあさん。 Kちゃんは来年アタシが小学校に行ったら、一人で幼稚園へ行かんならんねんで。 今はいっつも私とばっかり遊んでいるけど、来年はKちゃん一人や。 アタシがいなくても、ほかのお友達と遊べるように、 今から練習しておいた方がいいと思うねん。」
ほほう、末っ子姫のアプコの口から、こんなお姉さん発言が出るとは思っても見なかった。 去年から一緒の園に通う一つ年下のKちゃんとは大の仲良し。 同じく末っ子の甘えん坊のKちゃんとは、園では双子のようにいつもくっついて遊んでいるらしい。 ふだん、お兄ちゃんお姉ちゃん達にしっかり守られて育ってきたアプコも、Kちゃんの前では生意気にもお姉さんぶっているのだろう。 なんだかとってもおかしくて、でも笑っちゃいけないと思いつつ、 金曜日の延長保育はなしにする事にした。
そういえば、最近、アプコは顔の輪郭がすっきりして、まん丸の幼児顔から、ちょっとお姉ちゃんっぽいおませな顔立ちになってきた。 あっというまに小学生になっていくんだなぁ。 我が家最後の幼児が、脱皮していく。 ちょっとさびしく、もったいない気もする。
夕餉の支度をしていたら、強い地震があった。 いつもの微震かと思っていたら、結構強めの揺れが長く続いた。 とりあえず揚げ物の火を止め、揺れがやむのをじっと待つ。 2階にいたオニイとゲンが、ばたばたと下りてくる。 「アプコは?」 「まだ上にいる。」 「アプコ!アプコ!」 不安になってアプコの名を呼ぶ。慌てた顔のアプコが続いて降りてくる。 揺れがなかなか止まない。 意味もなくアプコを抱きかかえ、不安な気持ちで天井を眺め、じっと待つ。 地震ときには家の外へ出たほうがいいんだっけ、うちの中にいるほうがいいんだっけ。混乱した頭でやっと出来たのは、子どもらを家具のないところに集めて顔を見合わせるだけ。 長い長い揺れだった。
「ああ怖かった。」 揺れが収まったので、急いでTVのスイッチをつける。 震度3。県境を越えた隣町の震度が4なので、もう少し強かったかもしれない 「こんなのはじめてやなぁ。」 阪神大震災の時には、まだ生まれていなかったゲンやアプコにはこんな大きな地震は初体験なのだ。 「ほんと、長かったね。怖かった」 口々に言っていると、「ただいま」と外出していたアユコと父さんが帰ってきた。車で移動中だった二人は、あの長い揺れをほとんど感じる事がなかったらしい。 へ?なんのこと?とのんきな顔。
阪神大震災のとき、オニイは幼稚園の年少さん。アユコもまだまだ赤ん坊に近かった。 早朝、強い揺れで目覚めて、とりあえず傍らに寝ていたアユコとオニイに覆いかぶさるようにして天井を見上げた。 父さんは飛び起きて、無意識に大きな洋服ダンスを腕で支えた。 突然の揺れになすすべもなく飛び起きた自分達が、無意識のうちに幼い子らを守る姿勢を取ったということに改めて驚いた。 TVで神戸や淡路の惨状をを目にして、ただただ大事な子ども達が今自分の手の届くところに無事でいるという事が、ぐいぐいと心に食い込んで痛い思いがした。 長い長い揺れに耐えかねて、子どもらをひとところに集めて身を寄せ合う。 母に出来る事は、ただ一番幼いアプコの体を抱き寄せるだけ。 心をぎゅっとつかまれるような差し迫った強い想いは恐怖ではなく、揺れが収まってからもざわざわと残る昂揚感。どうやら、子どもらも同じ思いらしい。 家族がいて、独りでなくてよかった。
「おかあさん、なんで、あたしを抱っこしたの?」 食事の後、アプコがなんだか妙に擦り寄ってくる。 「どこかから何かが落ちてきて、アプコに当たったら困るからよ。」 「でも、そうしたら、お母さんに落ちてきたものが当たるよ。」 「うん、でも、おかあさんは大人だから大丈夫。」 本当に強い地震なら、母が子どもを抱きすくめたところでひとたまりもない。落下物を避けるなら、テーブルの下に入るとか、もっと効果的な守り方もあるはずだ。 それでも、何故か一番幼い者を抱きしめ、身を寄せ合って、ふるえながら揺れが収まるのを待つ。 「寝てるときに地震があったら、どうするの?」 「目が覚めたら、すぐにアプコを抱っこするよ。」 「あたしがいないときだったらどうするの?」 「一生懸命、探すよ。」 「抱っこする?」 「うん、抱っこする。」 いろいろと訊き方を変えて、アプコが安心のための言葉を求めようとしているのがわかる。 今夜はほかの子ども達も妙に神妙で、なんとなく身を寄せ合うような空気が流れた。 少し涼しくなった気温のせいにして、犬ころのようにくっつきあって、TVを見た。
深夜、再び、強い地震。震度4。 オニイとアユコだけが目覚めてあわてて階下へ降りてきた。 母はやはり居間で眠り込んでいたアプコを抱き寄せる事しか出来なかった。
思い立って、いなり寿司を作ることにした。 寿司揚げをたくさん買い込んで、甘辛く煮る。 椎茸、筍、人参を煮て、細かく刻む。 昆布を入れて寿司飯を炊く。合計12合。
昨日、閉店前のスーパーで生利節(なまぶし)も買ってきたので、一緒に押し寿司を作る。 この生利節の押し寿司は、おからベースの「くらわんか汁」や黄色い沢庵漬けの細巻き寿司「くらわんか寿司」と並んで、義父や義母が大事に伝えてきた枚方の郷土料理でもある。 何かの折には、お義母さんがよっこらしょっと大きな寿司桶を出してきて、たくさんこしらえて、お客さんに振る舞う。「いつかは、この味を次の代にも伝えて・・・」と言われながら、「やっぱりご馳走になるほうがいいですぅ」とお義母さんの作ったものを頂くばかりになっていたのだが、たまたま魚屋で生利節をみつけたものだから、思い立って義母の味を真似てみることにする。
生利節は刻んで、酒、醤油、みりん、砂糖などで、汁気がなくなるまで煮詰めてそぼろにする。 「なまぶしは、甘めの味にしてね。」という義母のレクチャーを素直に受けて、いつもより気持ち甘めに仕上げたら、確かに義母の味に近いそぼろが出来た。借りてきた型に寿司飯を詰め、そぼろを乗せ、ぎゅうと押さえて押し寿司にする。 「お手伝い、する!」とちょろちょろしていたアプコが、砂遊びの要領でぎゅうぎゅうと体重をかけて、押してくれた。 少々形はいびつだが、なんとなくそれらしいものが完成した。
で、いなり寿司。 当初、アユコが「いなり寿司を作ってみたい」といっていたので、一緒に作るつもりで買い物にいってもらったりして取り掛かったのだけれど、午後になって急に友達から遊びの誘いの電話が入った。 「おかあさん、行って来てもいいかなぁ」と一応気を使って訊きはするものの、いきたい気持ちは顔に出ている。 「いいよ。行っておいで。」と送り出してから、なんだかつまらない気持ちが残る。 大好きなオネエがでてしまって、アプコもしょんぼり。 かわりに台所に立つ私の周りでちょろちょろまとわりつく。 オニイやゲンはそれぞれ、2階の部屋にこもって遊んでいるし、父さんは夕方から急なお葬式が入ったので、工房での段取りにおおわらわ。 取り残されたアプコと母が、なんとなく共通の「つまんないな」の気分で寿司飯を混ぜる羽目になった。 こてこてと40組のお揚げに寿司飯を詰める。 途中、アプコがあんまり熱心に眺めているものだから、出来上がったお稲荷さんをひとつ小皿に入れてお味見させる事にした。 「いいの?内緒でたべていいの?」と嬉しそうなアプコ。 置いてけぼりのつまらない気持ちが少し晴れて、「内緒、内緒」とお寿司を頬張る。
「わ、いっぱいできたね。」 夕方、ようやく2階から降りてきたゲンがずらりと並んだいなり寿司に寄ってきた。 「ね、一個ちょうだい?」 「じゃ、お皿持ってきて一個だけね。」 お稲荷さんの楽しさは、みんなで「いただきます」の前の内緒のつまみ食い。 嬉々として食べ始めたゲンにお茶を入れていると、アプコがこそこそっとそばにやってきた。 「ね、なんで、ゲン兄ちゃんも食べてるの?」 「ああ、おなか空いてるんでしょ。」 「でもね、でもね。」 アプコ、ゴチンと私の腰に激しい頭突き。 「どしたの?怒ってるの?ゲンにお寿司あげたらいかんの?」 「・・・・おもしろくないもん。」
アプコと二人、ちょっとイライラしたりしながらのお寿司作り。 アプコにとっては母と二人の取って置きの内緒の時間だったんだな。 だから、内緒のご馳走をゲンにも許しちゃうのが、ちょっと面白くなかったのだ。 「お寿司、アタシがおばあちゃんちへ持って行ってくる!」 押し寿司とお稲荷さんを小さな重箱に詰めて、風呂敷包みにしてアプコがお使い。 たくさん作っておすそ分けもお稲荷さんの楽しさ。 すっかりご機嫌を直したアプコがぴゅーっと駆けていく。 大きな寿司桶を洗いながら、こどもの頃、母や祖母と作ったお稲荷さんの味を思い出した。
思いもかけない大仕事をいきなり振り当てられる事を、我が家では「スペシャルを喰う」という。 夏休み最終日、子ども達に「さあ、もう後がないよ。宿題ほんとに出来てるの?」と最後のハッパをかけていたら、いきなりスペシャルを喰った。 義兄が締め切り間近で手に負えなくなったという名簿のPC入力。 芳名録5冊分の来訪者の住所氏名を急いで入力しなければならないという。 義兄は出張の予定が決まっているし、父さんは取材で一泊の留守。 ただでさえいそがしい夏休み最終日と新学期初日。 子どもらの登校の準備のほかにも、再び始動する広報委員会のレジメ作りやら滞っている日記の更新やら、ぎりぎりいっぱい忙しいこの時期に、今回のスペシャルは少々こたえた。 日頃お世話になっている義兄の頼みとあらば、何とかお役に立ちたいとは思うものの、ブラインドタッチ未修得のぽちぽち入力の私にとっては、千人分近い名簿の入力は大仕事だ。 家事も子ども達へのハッパも、そっちのけでとにかくPCに向かう。
芳名録に書かれた来訪者の名前は全て筆ペン書き。 さらさらと流暢に書かれた文字。 なれぬ筆記具にカクカクと緊張が感じられる文字。 個性あふれる筆跡を次々に眺める。 個展の会場や式典の受付で、「どうぞご署名を」といわれて筆を取るのはなかなか緊張するものだけれど、後から整理する側からすれば、流暢な読みにくい文字よりも、稚拙に見えてもしっかり読みやすい楷書の文字がありがたいなぁなんて思ったりする。 いくつもいくつも、見知らぬ人の名前をひたすら機械のようにキーボードに打ち込む。 腕はガチガチ、目はショボショボ、まぶたの裏にはいつまでも名簿の筆文字が焼きついて残る。 私には、一日中PCに向かう職業はとてもつとまりそうにない。
8月31日の夜を、泣きたい気持ちで宿題をやっつける追い詰められたあの気持ち。 今年は子ども達ではなく、はからずも何十年ぶりかで私が味わう。 懐かしい? とんでもない!!
お隣からお庭で採れたゴーヤをもらった。 恥ずかしながら、我が家ではゴーヤを食べた事がない。 ニガウリというくらいだからきっととっても苦いんだろうという認識はあるものの、調理する私自身が食べた事がないモンでどうも尻込みしたまま現在に至る。 「苦いから好き嫌いはあるけれど、体にはいいというから・・・」とおっしゃってくださるので、「せっかくのいい機会だから。挑戦してみます。」と格別大きな一本を頂いて帰る。
「ほらほら、見て!これなぁんだ!」 「あ〜、ゴーヤだ!」 子ども達も食べた事はないものの、名前くらいは知っているらしい。 外から帰ってきたアプコも、机の上に忽然と置かれた緑色の物体を不思議そうにぶら下げてやってきた。 「ねぇ、これ、どうしたの?」 ごつごつ、でこぼこのグロテスクな姿が面白くて、アプコ、けらけら笑う。 「面白い形してるよね。もしかして、これ、怪獣のたまごじゃない?」 何を馬鹿な事言ってんのよ、この人は・・・というように、しらけた顔でまじまじと私の顔をみあげるので、 「あ、ごめんごめん。ほんとはコレ、ゴーヤだよ。お料理して食べるの。 でもね、なんか、怪獣の卵に似てない?」 とあわてて、とりなして言う。 アプコ、冷ややかな目で母をにらんだまま 「見たことないから、わからん」 確かにそうでした。 母も怪獣の卵は見たことないです。 すみません。
アプコも少しずつファンタジーの世界と現実の世界をしっかり見分けるようになってきてるんだなぁ。 理屈っぽい大人びた発言をするときには、小さなお鼻がぴくぴくするのがまだまだ可愛いアプコだけれど、ファンタジーやたとえ話よりもちゃんとした理に適った説明を聞きたがるようになってきたことに最近気がついた。 ちょっとびっくり。 ちょっとさびしい。
「○○山、来る?」 しばらくして、アプコがつんつんと私をつついて、聞いた。 「へ?なぁに?きこえなかったよ。もう一回言って。」 「あのね、○○ヤマ!」 「え?何やま?」 よく聞き取れなくて何度も何度も聞き返す。 しまいにアプコがプッとふくれて、言い放った。 「ゴーヤーマン!」 はぁはぁ、あの一昔前のキャラクターグッズのあれですか。 もしかして、アプコ、ゴーヤーマンはいると思ってんの?
・・・・まだまだアプコのファンタジー時代は続きそう。 ちょっと嬉しい。
ご近所の独居老人Tさんが、とうとう、隣町の施設に入所された。以前から入所できる施設を探して空き待ちしているとは聞いていたが、今日、息子さんの迎えの車でいってしまわれた。 お向かいのMさんとのトラブルがエスカレートしていて、今にも一触即発かと周囲がハラハラしていただけに、Tさんの入所は実にタイムリーともいえるのだけれど、これといった予告もなく、すれ違う車の窓からの簡単な挨拶だけで行ってしまわれたTさんと息子さんに、ちょっと拍子抜けしたような、空虚な思いがどうしても残る。 とりあえずそれほど遠くの施設でもなく、途中で戻ってこられる可能性もないわけではないので、これでさようならというわけではないのだけれど、外出のたび、近所でぶらぶらひまをつぶしておられるTさんの姿をしばらくは見かけることがないかと思うとなんとなく胸が痛む。
「年をとったら、子ども達に面倒を見てもらうことは期待しない。老後のことは自分で考えて施設やホームなどに入れるように手配しておきたい」 子ども達の生活を尊重し、自分の人生の後始末は自分で行えるようにしたいという、現代の潔い「自立した老い」への憧れ。 近頃よく聞く進歩的な「老い」のあり方だが、私は自分自身の老後を考える時、見知らぬ人たちとの共同生活をしている自分というのをどうしても考える事ができない。 できる事なら、子どもや孫達の声の聞こえるところで、「もう!ばあちゃんはしょうがないなぁ」としょっちゅう小言を言われながら、さほど疎まれもせず、こじんまりと人生の終いの日々をすごしたいと思う。
一時期、身内が入所している「老人保健施設」をたびたび訪れていた事がある。休日にまだ幼い子ども達を連れて、おじいちゃん、おばあちゃんに会いに行く。 施設はとても明るく清潔で、たくさんの若いスタッフの方達がにこやかに老人達の身の回りの世話をしてくださっていた。比較的、介護の必要の少ない元気なお年寄りが多かったので、施設内では季節の行事や趣味の講座が開かれ、ホールに集まって談笑したりTVの時代劇を大勢でワイワイと見ていたりと、楽しそうにすごしておられるように見えた。 一人暮らしの孤独や周囲に負担をかけているという気持ちの辛さから開放され、心穏やかに老いの生活を送る事ができるならそれもよし。 そうは思いながらも、あの年齢になってから見知らぬ人たちとの共同生活は私にはちょっとつらいなぁと思わざるを得なかった。
たまに幼い子どもを連れた家族が面会に訪れると、近くにいるお年寄り達が次から次へと子ども達の顔を見にこられる。 「お年はいくつ?」「「飴、上げようか?」と声をかけてこられるのは大概おばあさん達。自分の孫やひ孫のこと、若い頃の子育ての苦労を必ずといっていいほど話して行かれる。幼い子どものやわらかい肌に触れ、おずおずと頭をなぜて下さるお年よりの頭に浮かんでいるのは、目の前にいるうちの子ども達ではなく、離れて暮らす幼き日の我が子や孫、曾孫さんたちのことなのに違いない。 入所者の老人達の熱烈歓迎を受けて、子ども達は帰りの車の中では決まってぐったりと爆睡していた。普段お年寄りばかりで過ごす静かな生活の中に、たまに訪れた子ども達の黄色い声やたどたどしい足音は確かにかなりご迷惑だったろうが、小さい子達の暖かい肌に触れる事で老いた我が身に若い生命のエネルギーを貪欲に吸い上げていらっしゃってもいたのではないだろうか。 整った設備の中で手厚い介護を受け、茶飲み友達や娯楽の機会にも恵まれて過ごす老いの日々に私が手放しに夢を描く事ができないのは、なぜなのだろう。
人生の終末期を施設で過ごされるお年寄りの方々には、それぞれそんな風に過ごしていくそれなりの理由や事情がある。 気持ちのよいスタッフに囲まれて、何不自由なく気兼ねなく快適な老後を過ごせる事のできる事を喜んで生活をなさっているお年よりもたくさんいらっしゃるに違いない。 それでも、施設へ行かれるというお年寄りに寂しさを感じ取ってしまうのは、無知な若いモンの偏見に過ぎないのかもしれない。 けれども、年齢を重ねたお人が地域や家族のいる場所で終の日々を穏やかに過ごすという当たり前のことが、とても贅沢な老い方であるという事に愕然とする。 「お母さんは自立した年寄りになんてならないよ。4人も子どもを産んだんだから、きっときっと若いモンの背中にしがみついて、ぶちぶち口煩いしゃあないばあさんになってみせるよ」と、今から散々子ども達に言って聞かせる。 果たしてウン十年後、母のずうずうしい願いは果たされるだろうか。
Tさんが施設に入られた事を、積年の喧嘩相手であったMさんに伝える。 「そら、よかったわ。もう一人で暮らすのには無理があったんや。」 Tさんがいなくなってセイセイしたとでも言われるかと思っていたMさん、「よかった」と言いながらもその声は心なしか元気がない。 「コンチクショウ!腹が立つ!」と激しい言葉でTさんをなじっていたMさんも、遠からず訪れる日の自分を思われているのかもしれない。 「いろいろ、世話、掛けたな。」 とMさんはバケツいっぱいの新栗をくださった。 「うちじゃ一人では食いきれん」 収穫した野菜や果物を、家族で分け合って食べられる幸せをいつまでもいつまでも手放したくない。 上手に年をとりたいと、ちょっと悲しくなったりした。
2,3日前、アプコの金魚の銀ちゃんが突然死した。 夏のお祭りにアユコがアプコのために金魚すくいでとってきた6匹の金魚のうちの一匹で、赤い金魚の中でたった一匹銀色のボディで、アプコのお気に入り金魚だった。 金魚すくいの金魚にしては元気いっぱいで食欲旺盛、もしかしたら何年も長生きする長寿金魚なんじゃないかなぁなんて考えていた矢先の事。 銀ちゃんは水草の間で静かに動かなくなっていた。 「死んじゃったら、しょうがないね。」 アプコは銀ちゃんをすくって、土に埋めた。 声は沈んでいたけれど、わぁわぁ泣くほどのショックは受けていなかったようで、まずは一安心。幸いほかの5匹の金魚は元気そうだし、一件落着と思っていた。
今日、アプコが慌ててとんできた。 「おかあさん、銀ちゃんを埋めたところにね、蟻さんがいっぱい来てるねん。どうしたらいい?」 銀ちゃんが食べられちゃうと必死の訴え。 可愛がっていた銀ちゃんのことを食物連鎖の学びのネタにするのはどうかなと戸惑ったけれど、もう6歳になったアプコには理解できる事かもしれない。 「あのね、蟻さんたちは銀ちゃんのからだを食べて、生きていくんやで。」 へ?と虚を突かれたようなアプコの表情。 「何で、銀ちゃん、食べちゃうのン?」 「アプコがお魚を食べたり、お肉を食べたりするのと一緒。蟻さんは銀ちゃんのからだを食べて、大きくなったり元気になったりするんやな。だから、死んだ銀ちゃんのからだはもう蟻さんたちにあげようね。」 「・・・蟻さんは、銀ちゃんを食べておおきくなるの・・・・」 アプコは小首をかしげ、しばらく考え込んだ後、 「あ、わかった!だから、なくならへんねんな。」 と大きな声で言って、スキップして行ってしまった。
「あ、わかった!」とは言ったものの、アプコは銀ちゃんと蟻の関係の何をどんな風に理解したのだろう? 確かに新しい真実を見つけたときの輝く瞳で笑っていたけれど、アプコはどんな真理に触れたのだろう。 「だから、なくならへんねんな。」 なくならないものって、何? 蟻さん?蟻さんの食べ物?銀ちゃんの体?この世界に息づくたくさんの命? アプコに食物連鎖の厳しさを教えたつもりの私が、アプコから難しい禅問答のような疑問をポーンと投げ渡されて、びっくりする。 なくならないものって、なんだろう。 銀ちゃんが死んで、土に埋められて、蟻達に食べられてもなくならないもの。 もしかして、アプコは答えを知っているのだろうか。
「おかあさん、おかあさん、アタシ、ちょっと嬉しいな。 もうすぐ、銀ちゃんを食べた銀ちゃん蟻がたくさん生まれてくるんでしょう?」 銀ちゃんを食べた銀ちゃん蟻? それって、どんな蟻?お魚の形の蟻さんかな? 「ちがうよ。普通の蟻さんでしょ。」 あ、失礼しました。 アプコにはちゃんと分かってるみたいだね。 命と命の深いつながりの謎。
母は今日もまた、アプコに一つ学ばせて戴きました。
| 2004年08月22日(日) |
世代交代のメカニズム |
23日、24日は地蔵盆。 工房には小さな古いお地蔵さんがあって、毎年この時期になると、子どもたちの名前を書いた提灯に火をともし、お菓子や果物をお供えし、お寺さんに来ていただいて地蔵盆会を行う。 今は家族だけでごくごくこじんまりと行う行事だが、父さんが子供の頃には町内の子どもたちがこぞってやってきて、いろんな出し物をしたりフォークダンスを踊ったり、とてもにぎやかだったのだそうだ。 幼い頃に地蔵盆の経験のない私に、懐かしそうに語る父さんがちょっとうらやましかったりする。
お地蔵さんのお堂をきれいに掃除し、提灯のコードを張る。うちの子達やいとこたちの名前の入った赤い提灯をパリパリ開いて、コードにかける。新しい赤白の前掛けを何枚も縫って、子供たちの名前と生まれ年を書いて、お地蔵さんの首にかける。お花やお供えのお菓子を買いに回り、お線香立てやお佛花用の花入れをきれいにする。 毎年なぜだかこれらの準備は父さんの役と決まっていて、忙しい仕事の合間に買い物に行ったり、お掃除をしたりとばたばた走り回る。 「いつから、これは父さんの役なの?」と聞いたら、 「10歳ごろからずーっとやってるね。」との答え。 「じゃぁ、そろそろ息子たちに代わってもらわなあかんね。」 「でも、この時期は毎年、どの子もそろそろ夏休みの宿題に追われている時期だしね。」 なんとなく、子どもたちが小さい頃から、「子供たちへのサービス」とでもいうような感じで、大人たちが準備を整え、お菓子を用意して迎えていたうちの地蔵盆。本来はちょっと大きくなった子ども達が順番に小さい子達のために準備を手伝い、大人になって受け継いでいく、そういう行事だったのだろうなと気づく。 「オニイは今さっき暇そうにしてたから、呼んで来ようか。高いところの提灯は私よりオニイのほうが手が届くかも。」 そんな事を言っているうちにアプコがぴゅーっと走って帰って、いぶかしげな顔のオニイを引っ張ってくる。 「お忙しいのは承知しておりますが、ちょっと手伝っていってよね。」 提灯要員、一名確保。
小さい頃は大きいお兄ちゃんお姉ちゃんたちに世話をしてもらい、大きくなったら今度は小さい子達の面倒を見るという世代交代のシステムが、昔はもうちょっとしっかり機能していたのだろうなぁ。 私達が子供の頃には、たとえば夏休みのラジオ体操なら、どこかの中学生のお兄ちゃんがラジオを持ってきてくれ、前でお手本の体操をして、出席のはんこを押してくれた。 今、うちの地域の子ども会では、小学生のお母さんたちが一手に企画や準備を引き受け、子ども達を楽しませてくれるが、その子ども達は中学になるとぱったりと地域のお祭りや奉仕作業には加わらなくなる。 子ども達にとって地域の行事は大人たちが準備してくれて遊ばせてくれるものになり、自分達が準備したり運営に参加したりするものではなくなってしまった。
たとえば剣道の稽古。 普段の稽古では、中学生は稽古前に小学生達の掃除の監督をし、整列させ、竹刀の不備や着装の乱れを直してやる。大人の先生方に混じって、中学生の子達は小学生の小さい子達の稽古を受けてやる側に回る。低学年の子達の力量に合わせて、ひょろひょろの面や小手や胴をひたすら受けてやる。ちょっと腰を屈めるようにして受けるのだが、時々初心者の的外れな胴や小手を防具の隙間の生身で受けて、痛い思いをしたりもするようだ。 それがひとしきり終わってから、今度は自分達が大人の先生方に稽古をつけてもらう。 小さい子達は先輩達を憧れを持って眺め、自分がその年齢になったら今度は自分が小さい子達の稽古の相手をする。そういうシステムが子どもたちの道場の運営の大きな助けになっていたのだろうと思う。 ところが、最近中学生になるとパタパタと道場をやめる子が増えた。 塾があるとか、学校の部活がいそがしいとか、仕方のない事情もいろいろあるのだろう。辞めるまでも行かなくても、「試験前だから休み」とか「ちょっとしんどいから休み」とか、自分の都合で稽古にでないことも増える。 「大きい子が小さい子の面倒をみる。」「面倒を見てもらって育った子が大きくなったら、また下の子たちの面倒を見る。」そういう、先輩後輩の輪が中学に上がるところでぷっつりと切れる。
今年、アプコの幼稚園の父母会は存亡の危機にあった。 いつもなら年度始めの行事の準備が始まっている頃なのに、まだ本部役員のなり手がない。本部が決まらないと子どもたちが楽しみにしている夏祭りやバザーもなしになる可能性がでてくる。「楽しい行事がなくなるのは困るわ」といいながら、誰も役員にはなりたがらない。わが子がお祭りを楽しめないのは困るけど、自分はお手伝いはしたくないという人が増えたのだろうか。以前の役員経験者からは「あんなに一生懸命お世話してきたのに、引継ぎ手がないなんて嫌になる」とため息が出た。 結局、どういう経緯かは知らないけれど、なんとかかんとか、今年の本部役員さんたちは決まり、夏祭りは無事開かれたが、当日リーダーとなって走り回っていた役員さんたちの中には、昨年度や一昨年度の役員経験者の顔がいくつも見られた。「なり手がないなら仕方がないなぁ」と頼み込まれて再度役を引き受けてくださった方も多かったのだろう。気の毒だなぁと思う。 まだ一度も役に当たってない人もたくさんいるだろうに・・・。
それまで散々、先輩達のお世話を受けて楽しませてもらってきたのに、いざ自分達がお世話する立場になると自分の都合を優先させて抜けてしまう。「人のお世話をするばかりで自分が楽しめないから」と不満の声があがる。 そういうのって、なんだかいやだなぁと思う。 誰かに世話してもらって楽しませてもらったら、一度は自分もお世話する側に回らなくては・・・。 そういう気持ちが長く続く行事や伝統を支える心棒になる。 個人の事情を優先させて、お世話する立場になる事を用心深く避け、美味しいところだけつまみ食いしていく風潮では、地域の行事や世代交代のネットワーク作りはどんどん難しくだろう。
提灯のコードに一つ一つ電球を取り付け、赤い提灯をともす。 お地蔵さんは小さい子どもらの守り神。 提灯や前掛けに子どもらの名前を記すのは、大事な次代を担う子どもたちの健やかな成長を祈るため。 お下がりのお菓子の袋をもらってはしゃいでいた子どもが、大きくなって今度は提灯をつるす手伝いをする。 世代交代のメカニズムは、こんな小さなところから少しづつ組み立てられていくのではないだろうか。
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