股・戯れ言


BBS

電車爺

「最近の若い女は電車の中のマナーがなっとらん」

と嘆くおっさんは山ほどいる。
私も電車の中で化粧をしている女はよくないと思う。
睫毛どんだけ長くすれば気が済むんだよ、とか、目の大きさが5分前と違うんじゃないのか、とか思いがちだ。
まあ、かくいう自分も、たまにどうしても時間がなくて電車の中で眉毛書いたりグロス塗ったりするけども、そういう時には「ああ、今、とてつもなくみっともないことをしてるな自分」と思って恥ずかしくてたまらないのです。
まあ、恥ずかしいとか言ってる場合じゃない、眉毛がないと客先いけないだろ、と焦ってる時のほうが遥かに多いような気もするが。
まあ、「電車の中での女子のふるまい」というのはいつの世も攻撃の的になりやすいものだが、そんなに「なっとらん!」「マナー悪すぎる」と言うのならば、
世のオッサンどももこれだけは守って欲しいのだ。


一日一回は風呂に入れ!!!!!


本当に臭いんだよ!
吐き気を催すんだよ!
いい加減にしろよ!
電車の中で化粧をする女子も迷惑だが、匂いのほうが遥かに迷惑である。
おっさんの中の何人かは「自分は匂わない」とか「自分は臭いかもしれないが気にならない」などという謎の特権思想を持ってるようで、何食わぬ顔して電車に乗っている。
なんで「ああ、自分臭いな」「臭くてごめん」という自覚がないのか。
特に夜10時以降の、酒臭いのと加齢臭と不潔臭が入り混じったじじいなんか地獄である。あとトイレ入ったらちゃんと拭けよ。拭いてないような匂いまで混じれば、せっかくほろ酔いでいい気分になっていても台無しである。
これにワキガが加わるとさらに大変である。
車両がいっきにガス室に様変わりするから。
うちの父親なんかも最近は加齢臭が漂ってくるようになってきたが、平日は朝風呂に入ったりするのでまあよい。
しかし休日になるとなかなか風呂に入るのを嫌うので「たのむから入ってくれ」と家庭内の女ども(3人)で頑張って風呂に入れさせなければならないから大変だ。
こないだ父に香水をあげた。そういえば毎年あげてんな。
毎年大して減らないのでイライラするんだけど。


あと電車の中のマナーといえば、20代後半以上のメガネかけて漫画必死で読んでる男がお年寄りや怪我人や妊婦に席を譲らない姿を見ると死刑を宣告したくなるほど嫌悪感を覚えます。
あいつら、「見えないもの」って態度するんだもの。
おまえらのような社会的生産性ゼロの連中のほうがよっぽど「目に映らない生物」だというのに。



先日、会社の友達が酒をおごってくれるというので飲みに行った。
ビールを3,4杯飲んで、気ままな話をするのは毎度のこと。でも久々に飲んだのでおもしろかった。気分がよくなってじゃーねーと別れて東京駅に着いたところ、ホームの反対側でヨイヨイ(酔っ払ってるわけではない)のじいさんが傘を地面に落として困っていた。
どんだけヨイヨイなのかというと、ずっと小刻みにプルプル震えているのである。しかも右手にはちゃんと杖を持ってるのに、左手に持っていた傘を落として、体が支えられないというくらい、重度のヨイヨイなのだ。
こんなに震えてる老人を、私はコント以外で見たことがなかった。
とっさに傘を拾ってあげて渡して「次の電車にはちゃんと乗ってね」と告げて立ち去ろうとしたら
「乗り過ごしてきちまった、品川まで戻りたい」
と言う。東京駅は、山手線の右回りと左回りが同じホームにはないのである。
つまり、一旦階段を下って、隣のホームまで移動しなければならないのだ。
もちろん隣のホームに行くのは階段を上らなければならない。

こんなヨイヨイのじいさんが階段上り下りできるわけないだろう!

というわけで、「じいさん隣のホームまで連れてくよ」と申し出て先導することにする。
「あんたここで降りるんじゃないのかい?」と言われた。その通りだが見捨てるわけにはいかない。
だって、傘と杖を使って、いわばスキーのストックのように体を支えながら歩いているというのに、じいさん歩行速度は

1cm/分

くらいしかなかったと思う。どうやってここまで来れたのかが不思議だ。
亀でももうちょっと早く歩くだろう。
そんな速度に付き合ってられるか。「じいさん、もう私の肩につかまっておくれ」とむしろ頼んで、肩を貸してなんとか速度アップを狙ったのだが、やっぱり5分くらいかけて階段に辿り着いたのだった。普通に歩いてたら1分しないで着くってのに。
階段についたらついたでじいさんが騒ぐ。
向かって右側の手摺に辿り着いたら、「俺は左の手摺につかまりてぇんだ」
とわがままを言われる。なんだよオイ、とんだガンコジジイだな。
しかしそこはしょうがないので左側まで移動。
えっちらおっちらと階段を下りる。
じいさんは降りながら「かばんが重い重い」と言うので「なんでよ?」と聞いたところ

「エロ本が入ってんだ、エロ本を捨ててくれ。俺はこういうの大ッキレーなんだ」

という。
紙袋を持っていたのでああ、エロ本拾ってきたのかと思い(限りなく浮浪者に近いじいさんだったんだが、別に汚くはなかった。老人臭はプンプンだったが)「わかったこの袋あとで捨てとくわ」と承諾。
「エロ本をよぉ、渡されたんだ。俺はいらねぇって言ったんだよ」とどういう意味合いかわからん弁解をしており、はいはい、と思ってた
気がついたら軍歌を歌ってやンの。
どんだけ陽気なんだ!
階段を下りるのもとんでもなく遅いので「じいさん幾つよ?」と聞いたら78だと。そりゃ軍歌も歌うわ。
そして「俺はよぉ、全国いろんなとこに旅したんだ」だの「歌が得意でよぉ」だの得意げに話す話す。
私はこの老人に対して「じいさん」とか「わかったわかった、ジジイ」という口調だったのだけど、そういうのがかえって親近感だったのだろうか。
というか、私はじいさんにはできることはしてあげよう、と決めたのだ。うちのじいちゃんのおかげである。

なんとか階段を下りたら、このじじい、「ズボンがずり落ちたから上げたい」とか言い出す。
しょうもねぇなぁ。
さっさと直しとくれ、その間にエロ本捨てとくからな、と紙袋を捨てに行ったら大声で「全部捨てるんじゃねえ!」と騒がれる。
なんだよなんだよ。
「俺の持ち物も入ってんだ、捨てないでくれ!」というので中を見たらエロ本は一冊しか入ってなくて、あとはマフラーと毛糸の帽子と上着だった。
エロ本って一冊だけだったのか!
しかもその一冊ってのが

「義母さんがシテあげる」

という熟女エロ本だったので思わず笑ってしまった。
78歳にとってはこれは熟女モノでもないんだろうけど。
「わかったわかった、これは捨てとくからな」と受け取り、再び肩を貸して階段を上ったのだけど、どうも私がそのエロ本を手に持つことに対して噛み付いてくる。「俺はよぉ、こんな趣味はねえんだ!俺はこういうの大ッキレーなんだ!」
というのを繰り返す。
「別にどんな趣味だってかまやしねぇよ」と返すと(私もヨッパだったのでエロ本を手に持って東京駅を歩くことに何も感じてなかった)
「俺はよぉ、あんたみたいなのは好きよぉ」
というわけのわからんフォローを入れてくる。
幾つになっても男のボンノウってやつは!
不滅のボンノウ!

ま、なんでもいいので
「うるせーよさっさと歩けよ」と行ったら「俺は脚がわりぃんだ」といきなり当たり前の、わかりきったことを言い出すので、
ものもらいで眼帯着用中であった私は
「うっせーよ、あたしゃ目が悪いんだよ」と返してやった。

結局、ホームを移動するのに20分くらいかかった。
「もう乗り過ごすなよ!捨てとくからな!」
と告げ、じいさんをホームに置いてゴミ箱に直行。
背後で「ありがとうなー」という声が聞こえたので手を振っておいたが、
さすがにひとりで熟女本を捨てるのはマヌケな行為であった。
おばさん(それこそ熟女)に捨てる現場を見られて、なんだか気まずかった。
いいことをしたはずなんだけどな、なんでこんなに罪悪感感じるんだ?
ボンノウまで預けられたのか?私
2005年04月15日(金)

高血中アルコール濃度圧ガール 後編

私は奥田英朗の著作は好んでおるし(「邪魔」は最高傑作!)、当然神経科医伊良部シリーズも腹を抱えるほど笑ったのだが、
「イン・ザ・プール」映画化はいただけねぇ。
伊良部の話し方は確かに松尾スズキっぽいなあと思うが、マユミちゃんは、私がちょっと前までクリスタル・ケイだと思い込んでいたモデルの人だった。
なんか違うなぁ。
いや、松尾スズキも含めて違うんだよ。
そんなスタイリッシュなもんは求めちゃいないんだよ。
だって、患者がオダギリジョーに田辺誠一に市川実和子ってなんだよソレ。
モデルとか集めればいいってもんじゃないと思うんだが。
特に田辺誠一は私認定「カズシゲに並ぶ、平成の一本調子役者」だっつうのに。
奥田英朗ってそんなにモデル雑誌な感じの文章じゃないのが好きなんだけどな。
(ああ、でも元コピーライターだったか、しまった)

まあ、「空中ブランコ」ドラマ化のほうが遥かにいただけないんだけど。
伊良部が阿部ちゃんって、もう奥田英朗原作を名乗らないで欲しい。
私は阿部ちゃんの顔は大好きだが、好きな作品の世界を侵害するのはやめてくれ。
だって阿部ちゃんって(否定したかないけど)、コミカルな役をやろうとしたら全部トリックと同じ演技になっちゃう人じゃないか。


そんな感じで沖縄の旅最終回

4/2
本来は二泊三日の予定だったので、この日まで泊っていたホテルとはおさらば。そのまま延泊してもよかったんだが。
窓から見える「前川ファミリー芸能館」という建物が気になってもいたんだが。
前川ファミリーというのは、看板に志村けんのへんなおじさんのような絵が書いてあるのでてっきり「ものまねパブ」だと思い込んでいたのだけど、実は民謡バンドなのね。しらなんだ。
そしてその看板の写真を撮り忘れたのは今でも軽く後悔。

土曜日の沖縄はあいにくの雨。
台風?梅雨?というくらいの大雨だった。
作業も既に終わっていたので、この日は完全自由だったのだ。前日も飲んではいたが、観覧車のママの勧めで「ウコン入り泡盛」を飲んだので二日酔いはしていなかった。
ただ、朝方まで飲んでいたので眠い。
実は前の日の晩に、「明日はどこに行こうか?」といろいろ考えは巡らしていたのだ。
沖縄出身、っても石垣島出身のみやらさんに電話していろいろと相談もしてみたのだけれど「あたし本島ほとんど行ったことないからわからん」と言われる。
もっともな意見だぜ。
でも、「マーならば、コザに行ったら楽しめるんじゃない?」とアドバイスされ、コザとは何処ぞや?と頭を捻らせたのだが、どうも米軍基地の近くにあってほとんど外国みたいなところらしい。
ってことは古着もあるのかしら?レコードもあるのかしら?
などと思うと胸が弾む。
それは是非とも行ってみたいナー!
バスで行けるのかなー!?(車運転できないから)

と思っていたが、現実は厳しいものであった。
観覧車のママに「明日、コザに行ってみようと思うんだよね」と話したら
猛反対を受ける。
理由は

「4月1日に、イラクからの帰還兵が大量に沖縄に戻ってきたから」

・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・

即決でやめました。
怖いってば。
レイプ必至だってば。

とくにオンナがひとりってのがよくなかったらしい。
この時が一番「ああ、私は沖縄に来てるんだなぁ」と実感した瞬間だったかもしれません。
奇しくもこの話をした夜は4月1日の金曜日。
沖縄中の警察がコザに大集結していたらしい。

というわけで、さて、何処に行こうかと思って、この日もみやらさんに電話。
コザに鬼畜米兵がウヨウヨいるらしいから行くの反対された、と告げると
ゲラゲラ笑って「それはやめたほうがいいね!」と言われた。
「しかも大雨降ってるんだったらどこ行っても一緒だから、首里城でも行ってくればー?ただ赤い門が建ってるだけだけど」
と言うので、ああ、首里城か、それもいいかもしれない、と思う。

地方出張行って名物的な建物を見るなんて初めてなんじゃないか。
観光するぜ、俺!

というわけで首里城に向かうことにしたが、その前に「地方のレコ屋に行きてぇ」と思い、ウロウロ。
でもどこに何があるのかリサーチしてなかったので(というかコザでレコードが欲しかったのよ!)、結局行ったのはタワレコ那覇店であった。
タワレコは全国にあって便利だなぁ。山形にはないけど。

まあ、私の好きなジャンルはやっぱりギターポップっつうかパワーポップっつうかアメリカの片田舎でギターギャンギャン鳴らしているようなインディーギターロックですから、何も沖縄で購入することはないのだ。西新宿でも行っとけという話だ。
そんな心を読まれたかどうかは知らないが、タワレコ那覇店はギターロック物がほとんどありませんでした。
よんぼり。

ってことはない。
別にギターロックなんか聴かなくていいのである。
その代わり、店頭でリトル・テンポの新譜が置いてあるのを発見し、試聴してギャー素晴らしすぎと心の中で騒いで購入。
「これを聴くと南国に誘われます!(すでに南国ですケド)」
といったポップ文章も購入の決め手であった。
あとエブリシングバットザガールのリミックス盤が出てたので買いましたが、それよりもカーティスメンフィールドのリミックス盤があったのに狂乱しました。
私はハウスも好きな女なんだ。

腹が減ったので県庁前の喫茶店へ。
前日、お客さんと泡盛を買いに行った際に、購入した酒屋の横にあった喫茶店が雰囲気よさそうだったので気になっていたのです。
たしか「チャイハネ」という喫茶店だったんだが、首都圏でよく見かけるアジアン雑貨の店「チャイハネ」とは無関係のようだ。
一軒家を改装したシンプルな内装にけだるいジャズが流れていて大変落ち着く店だった。
チャコライスという店独自のタコライスがおいしい。
ここでもみうらじゅんの本を読んでひとりで悶絶してたけども。

まあ、喫茶店出たあたりから首里城どうでもいいわとは思ってたんですがね。
ゆいレールの駅までは行ったのだ。
せっかくだし行っておくかとは思ったのだ。
しかし、信号待ちをしている時に暴風が吹き、傘がオチョコどころじゃなく、元の形がわからなくなるほど変形してずぶ濡れになった時に頭の中にドアーズの曲が流れ出したのでした。
ディス・イズ・ジエ〜〜〜ンド
ああ、これで終わりさコンチクショーめ。
ジム・モリソンもあまりの無様なサマに、笑いを抑えながら歌ってやがる。
いや、ジ・エンドまで行かなくても新しいホテルにチェックインしようと決める。

新しい傘を購入し、国際通りを歩いて再び牧志へ。
そしてある店の前を通りすがった時に、「あ!」と気づく。
前日の夜も観覧車に行くためにその店の前を通り過ぎたのだが、ガラス張りの店の中に飾ってある、レインボーな色合いのチェ・ゲバラがプリントされた長袖Tシャツが目を引いたのでした。
ああ、あれいーなー、お店開いてる時に行ってみようと思ったことを思い出した。(酒飲み過ぎて忘れてた)

店に入って近くで見てみると、実はそのレインボーカラーのゲバラがプリントではなく、フェルトで貼ってある事に気づいて驚いた。
完全ハンドメイドのものだったんだな。
当然一点物とみた。
気になってたんですよと告げ、試着させていただいたら、アラ、まぁ、ジーンズによく合う。上から作業着はおってもちょうどいい。
無論購入しました。
これからは右手にドライバー、左手にケーブル、胸にはレインボーなゲバラ、という作業員になります。どんな誓いだか。
購入時にレジ横を見たら、同じようにフェルトを貼って描かれた野口英世の長袖Tシャツが。ものすごく惹かれました。独創的なデザインだなぁ。
なんでも、そこの店は「made in okinawa」という店で、沖縄の若手クリエイターの商品を売っているセレクトショップなんだそうだ。
私が買った長袖Tシャツを作ったフェルト職人の方は沖縄で保父さんをやってる人らしい。

ここ最近、名古屋に行こうが山形行こうが秋田行こうが古着を買い漁っていた私ではあるが、沖縄では古着を買わなかったのはこのTシャツがあまりによかったためである。
野口英世シャツも欲しかったなぁ。
新作見てみたいなぁ。


ぼちぼちホテルにチェックイン。
仕事のメールを出すなどやってたら、テレビで新日の試合がやってたので
見ているうちに寝ていた。
要するに、首里城は行かなかったってこと。

でもせっかく沖縄に来たのだからどこかに行かなけりゃ。
というか、沖縄に3日もいるのに海見てないジャン。
靴下が濡れていたので、新しい靴下を買いに行くがてら海を見にでかける。
先ほど購入したリトルテンポを聴きながら歩いて海を目指した。

沖縄ってどこでも海に近いんだね。
リトルテンポのスティールドラム入りのゆるやかな曲が耳に心地いい。
海を見るには絶好のBGMである。気持ちが高揚する。
海風が強くなって、タバコの火を点けるのに何度も失敗した。
でも海が近づいてるのだ。タバコなんてどうでもよくなる。
リトルテンポを聴いてるのに、人通りが少なくなったのをいいことに鼻歌なんぞを歌っていた。
待ってろよ、なめらかな白い砂。
しなやかな南風、私の(大して長くない)髪を舞い上がらせとけ。


10分ほど歩いて海に辿り着いた。


港でした。


うわん、砂浜じゃないのかよ!
フェリーとか沢山泊まってるじゃねえかよ!
バスクリン色の海はどこなんだよ!
これじゃ「沖縄の海を見た」とは言えまい。(嘘ではないんだけど)

と、悪態をつきながらも防波堤に座ってしばらく海を鑑賞。
以前、山形の遊佐に行った時の日記
「私は海が怖いのである」
と書いたが、沖縄の海はそんなに怖くなかった。
なんでだろう。
東北だと、三上寛が歌うような情念を感じるからだろうか。
それもたまらない東北の魅力ではあるのだけれど。


そんなこんなのうちにすっかり夜が訪れ、昨晩仲良くなった社長さんと飲みに行く。
沖縄最後の夜の始まりである。
っても沖縄最後の夜のスタートは日本酒から始まったのだけれど。
くどき上手の辛口純米吟醸。
こんなところで庄内の酒。
社長さんはホントに酒の詳しい人でした。
酒の詳しい人と仲良くなれるのはうれしいなー泡盛の話もさることながら焼酎の話も興味深かった。もっといろんな酒を知りたいと思うことしきり。
あと、昨晩、なんであんなに英語で歌うのが上手かったんだろうとと思ってたら向こうで10年くらい暮らしていたそうな。納得。

その後「うりずん」という店へ。
昔ながらの家、という外見が情緒ある店だった。
ここでは泡盛は泡盛でも、花酒と呼ばれる泡盛を飲ませていただいた。
亀壷から移されたのは「どなん」という古酒。
飲んでみた。

口の中が灼熱の熱帯のようだ!!!

口、食道、胃、とどなんが駆け抜けたところがジリジリと焼けつく。
アルコール度数は60度らしい。そら焼けつくわ。
どっしりしっかりと、体中に「どなんアピール」とでも言おうか、存在感を刻印されていったようだ。
ダイナミック!マッチョ!
前々日に飲んだ「かねやま」が老練の職人だとしたら、「どなん」は(これも古酒なんだけど)若い、生命力に満ちた怪男児のようであった。
豪傑酒と呼んでしまいたい。
K1でいうとマーク・ハントみたいだった。ってどんな喩えだ。

うりずんはまた行ってみたい店でした。
泡盛の種類がハンパなかったし。

ほどよく酔っ払ったところで「観覧車」へ。
沖縄最後の夜だったからどうしても行きたかったのです。
この日は大盛況。ママの同級生が沢山来ていたらしい。
東京から来たという若い男子がいたんだが、
「急に思い立って、金曜の夜に正規料金で沖縄きちゃいましたよぉーー!!!」
とマンヨッパで言っていた。
自腹で7万オーバーかよ!
私も正規料金には変わりないが、経費だからな!
しかし、思い立って急に沖縄に行ってしまうという行動にはなんだか妬けてしまった。
私も急に思い立って東北とかやってたけど、まだまだだと思い知らされた。
旅のためなら自腹で7万も厭わない、というくらいの覚悟がなけりゃ旅人は名乗れねえよ。
そんな軽い絶望感もあってか、楽しい酒の場でありながらもいつもより酔っ払った。
店のBGMがキリンジになり(キリンジ好きの人がいた)、エイリアンなどを歌ったり、CKBをかけて貰ってハンサムなプレイボーイ歌ったりで楽しかった。
モチのロンで泥酔。

4/3

二日酔いでやっぱりこの日も沖縄そばしか食べられなかった。
沖縄は日曜日にようやく天気がよくなっていた。
遅いよ!
天気のよい海を見に行って、沖縄の旅を反芻したり。
吐き気は止まらなかったけど。センチメンタル泥酔者。

そのまま空港へ。
飛行機トラブルが起こって出発が遅れたりした。
沖縄から帰りたくないなーと思った気持ちがちょっぴり伝わったのかもしれない。

東京に戻ったらプライドを見に行こうと思ってたのだけれど、
その日はそのまま帰宅した。
たぶん沖縄があまりに楽しすぎたからだ。


観覧車は本当に本当にいい店でした。
3日間通い詰めてよかったー
ママさん、本当にありがとー。
そして社長さんもありがとー。
沖縄で出会ったすべての人にありがとー。
忘れちゃいかんが、お客さんもありがとー。



帰って寝ようとしたら目に違和感を感じたのだが、
翌日起きたらくっきりとものもらいになってました。
私は疲れるとものもらいになるのである。

間違いなく遊び疲れなんだけど。


また近いうちに2000マイル飛び越えてみるとしよう
自腹で正規料金はまだまだできそうにないが。
でも沖縄は「ウジウジしてねえで飛び込んじまえよ!」ということを教えてくれた土地かもしれない。
じゃあ今度は7マンを自腹で越えてみようかしら。
まあ、上司が「沖縄出張、無理矢理作っちまえばいいんだよ!」とか言ってたけど。
出張に関してはいい会社なんだよな。
2005年04月14日(木)

高血中アルコール濃度圧ガール 中編

怒涛の更新。
ヒマなわけじゃあありません。

4/1

作業当日。
前日の酒がたんまりと残っていたがのろのろと外出。
いやぁ、どの酒を飲もうが、翌日、かがんで机の下に潜って電源やケーブルを抜いたり差したりするために下を向き続けていれば気持ち悪いね!
下を向くのが心底しんどかった。
下を向くと、口から手を突っ込まれて内臓を引っ張り出されそうになるのである。
そして頭にもずくが絡まってるような感覚に陥るのである。

だったらそんなに飲むなっつう話なんですけどね。
作業先でお茶を出してもらったんだが、それを飲んでも水分が足りやしない。
南国での作業は心なしか他地方よりも陽気なもんであった。
いい意味で緊張ストレスから解放されているというか。
しかし、作業場に来ていた別の業者の人の浮かれっぷりはハンパなかった。
作業しているというのに電話で「俺ね、今、沖縄来ちゃったのよぉ、うらやましいでしょぉ?あ、今日頼んどいた弁当、食べちゃっておいてねーケケケケケ」とか自慢し続けてた。
仕事中に言うなっての。
ハタで聞いてた人間全員苦笑。

作業は滞りなく終了。
終了後は秋田のときと同じく、お客さんと泡盛を買いに行く。
事前に「泡盛はスーパーや酒屋で買うといい」と聞いていたので迷うことなくスーパーへ。いろんな泡盛があるなーそしておみやげ屋より遥かに安いな。
しかし私もお客さんも昨晩飲んだ「かねやま古酒20年」の味が忘れられなかったのだった。もはや贅沢病の域。
だがそれはスーパーで売っているわけがなかった。一杯3400円だもんな、一本ならばいくらなのだろう。
で、結局スーパーで買ったのは「のまんじゅう」だけであった。
その後国際通りに出て探したのだが見つからず。
ただ、普通に買ったら2万5千円くらいすることがわかった。たけーよやっぱ。
購入したのは「残波ホワイト」でした。普通だったわ。

その後牧志に出て、市場に行って島らっきょうを買ったり豚の頭を見たりして普通に観光。らっきょは臭いけどうまい。
この市場の辺りも含めて、沖縄は台湾に似ているなぁとつくづく思うのです。
距離的にも近いからだろうか。
市場の食堂は「ランチタイム 午前11時から午後9時まで」と書いてあった。
そういうユルさも台湾っぽいよ。

まあその日は酒が残っていたので沖縄そばくらいしか食えなかったが。

お客さんはその日で東京に戻ってしまった。
さあ、こっからがバカンスの始まりである。(前日の飲みはバカンスに非ず)

といっても、沖縄は夜になったら一気に天気が悪くなってしまった。
天気が悪くなる前から具合が悪かったし、状況も悪かったし、腹の具合も悪かった上に気分も悪かったという悪いこと尽くしだったのでホテルでダウンをしていたのだった。
いわゆるふて寝というやつか。
まあ起きたら軽くメシでも食って「観覧車」に再び行こうかなと思ってたら
起きたらすでに夜10時過ぎだった。
なんか腹も減ってないし、そのまま観覧車に行ってしまえ、と思い雨が降る中「観覧車」へ。
この日は金曜日だったので、金曜の夜は混んでるのかなー座れないのかなーなどと思ってたんだけどまだ混みだす前だった。よかった。
「名刺忘れてっちゃたでしょー」とやっぱり指摘される。ごみんなさい。
で、着いて早々にやっぱり泡盛。

前日まで泡盛に怯えていたのはどこのどいつだったんだ。

前日はマンヨッパだったので気がつかなかったんだが、壁を見てみたらエンケンのフライヤーが沢山貼ってあった。
わー!エンケン好きのママさんの店だったんだ!
うれしくなってエンケンの話をいろいろとしていたら、店のBGMも「幾つになっても甘かあねェ!」にしてくれた。
うひゃー。沖縄でエンケン聴きながら飲めるなんて!感無量。
純音楽の道や男のブルースにしびれつつ、幾つになっても甘かあねェではゴゴゴーとかコーラスを入れてしまう。
沖縄で四畳半ロックな気分になれるとは!
電氣菩薩からエンケンに繋がるなんて、この店と知り合うのは必然だったのかもしれません。絶対に縁があったとしか思えない。

その後、お客さんが何人か来て、映画の話になる。
スコセッシの話やらタランティーノの話やらをしていたのだった。
スコセッシといえば、かの「タクシードライバー」も藤村さんとこで出している純米酒になってるし。
なにかといろんなことが結びつく場だと思った。
と、その時、前日もこの店で会ったおじさんが「映画に出たことあるよ!」というので何の映画かと尋ねたら

「ザ・カラテ」

というやつだった。
この時はその映画がどんな映画か知らなかったので、マス大山の極真空手ものなんだろうなぁと思ってたんだが、その後調べてみたら

>黒い強拳、世界を制す!世界の強豪、日本に集結!
>その真っ只中に帰ってきた、沖縄小林流七段・山下タダシの閃光必殺技!
>ブルース・リーに古武道を指導し、
>全米に空手ブームを巻き起こした男・山下タダシが、
>日本凱旋主演第1回作品として、空手の真髄を披露した痛快アクション映画。
>キャストは山下タダシを中心に、山城新伍、堀越陽子らが出演している。

というシロモノだった。
沖縄小林流七段って!
ブルース・リーに古武道を指導したって!
なんて「映画秘宝」の匂いがプンプンする映画なのだ。
でもそのおじさんはただのヨッパの陽気なおじさんで、やたらとオリオンビールを飲まされた。
そういうさりげなさがいいんだよな、沖縄は。
サブカルがサブカルをひけらかさずに、自然にそんな話が飛び出るあたりが。
(ああ、清酒タクシードライバーも映画秘宝と縁のある酒だったわ、いろんなことが本当に繋がっているなぁ)
この時、なつかしの歌謡曲がBGMでかかってたんだが、相良直美の「世界は二人のために」が流れたら「この人ホントにレズだったんだっけ?」とかいう話になってた。

その後に来たお客の人がこれまた不思議な人だった。
もうすでにマンヨッパで来店したらしく、英語で大声で歌う歌う。
さっきまでいた人たちも陽気だったが、輪をかけて陽気で泡盛のうんちくを話したりする(歌の合間に)
AORをこんなに聴いたのは久々かもしれん。
ママが「お客さんに合わせてBGM変えるの」と言ってた。

名刺を貰った。
名前、読めにゃい・・・!
でも社長って書いてあった。
酒卸問屋を経営しているらしい。そら泡盛に詳しいわけだ。
それ以上にえらく気分よく歌うので、社長さん感は皆無であった。
「ギター弾く」とか言い出してたし。その場にないのに。
それにしても沖縄の人ってその場で仲良くなるのがうまいね。まあ酒の場だから尚更なのかもしれないが、ホントに普通に皆話してて、「知り合いですか?」と聞くと「ううん」とあっけらかんと答える人が多いのに驚く。
まあ、なんにせよ、隔たりなく飲めることはいいことだ。
あと年齢の隔たりも感じさせずに飲んでくださる方が多くてこれも大感謝。
幾つになっても甘かあねェが、幾つになってもこういう風に飲んで行きたいものだ。

そんな感じに夜も更けたので、「観覧車」を出、社長さんに連れられ社長さんの知っているカラオケスナックへ。
沖縄に来てカラオケスナック行くとは思わなかった。
ディープ沖縄おもしれー。
店に入るとママさんがマラカスを振っていて陽気ぶりがビンビン伝わってくる。
そして「公務員何が悪いさー」と管を巻くおじさんに、
「硝子坂」を熱唱するクラブのチーママがいるという
ほんとにディープな空間だった。
私ももうすでにヨッパだったのでおじさんがアツく語ってる姿を見て「いやぁ、沖縄、おもしれーなー」を連発してたのだった。
そんで「笑うところじゃない!」と怒られたけど。でも陽気だったのでゲラゲラ笑ってたけど。
調子に乗って「冬のリビエラ」を歌ったりもした。「森進一離婚記念!」とか言って。


そんな具合にその日も大いに酔っ払って終わったのだった。
沖縄は、皆が同じレベルに酔っ払ってくれるので自己嫌悪しないで済むのがいいよ。


2日間が酔っ払ったまま過ぎ、ついに翌日は最終日・・・


ではない。
ホテルでダウンする前に、帰りの便を日曜に変更していたのだった。
そういうことは忘れません。
すなわち、2泊3日の旅ではなく
3泊4日の旅になってたわけだ。

ホントに沖縄おもしれーよ。
2000マイル飛び越えた甲斐あった!
連れて行っておくれどこまでも、高気圧ピープルたちよ。

自分の中で沖縄に対する憧れがいまいちなかったとか言ってたのはどこのどいつなんだ!まったく!


続く
2005年04月13日(水)

高血中アルコール濃度圧ガール 前編

ってもうガールって歳でもないんだけどな。
まあ山下達郎へのオマージュってことで。

3/31

沖縄全然期待してねーよ飲みに行くしか思いつかねーよと出発まで散々いろんな人に言っていたのだけれど、GO-GO'sの「ヴァケーション」を聴きまくったりしてイメージトレーニングしてました、実は。
あ、ヴァケーションじゃなくてちゃんと仕事なんですけどね。

昼間までに仕事をこなして、羽田に急ぐ。
♪なめらかーなー白い砂は〜
などと高気圧ガールを歌っておきながら、乗ったのはANAではなくJALなのね。なぜなら!俺は絶対!JALスイカ派ですから。(やや嘘、熊本から帰ってきたときはANAだった)

それにしても出張なんで沖縄までの航空代は正規料金なんだが、その金額が!

往復70000円!

たけーよ!
自腹じゃ絶対出せねえよ!

タイ往復航空券プラス宿つきでも7万より安いだろう。まあ、経費なので別にいいんだけど。でも立替しんどい。
飛行機の中ではみうらじゅんの「Love」を読んでいたのだがひとりでゲラゲラ笑う箇所多すぎ。午後3時過ぎの、比較的空いた便ではあったがスチュワーデスに怪訝な顔をされた。

軽く寝ているうちに飛行機が着陸態勢に入り、雲の切れ間に海が見えたと思ったら、
目の前に大きな島が浮かんでいたのでした。

これが沖縄か!
君はこんな体をしていたのか!(「失楽園」の時の古谷一行風)

あいにくの曇り空であったため、海のきれいさは上空からはわからなかったが、それでも海の上に浮く南国の島を目にした途端、こーれーはいいところに来たなぁと心が躍ってしまったのだった。
飛行機から降りるとむあん、として南国の空気がまとわりつく。
わー空気がぬるい!東京に比べて遥かに蒸し暑い!ジャケットとか着てきて失敗!

那覇着後はホテルに荷物を置いて、すぐにお客さんと合流。
お客さんはこの蒸し暑い中、ちゃんとスーツを着てたのだった。えらいなぁ。めちゃくちゃ暑そうだったけど。
私より先に那覇入りしていたお客さんは、すでに「いい感じの飲み屋があるあたりはチェックしといたから」とのこと。さすが酒飲みのアスリート!
というわけでお客さんに連れられ、その界隈(観光客用ではない飲み屋が並んでいた)を散策し、「ここよさそうじゃないですか」と決めて入った店は
「回」という店であった。
何も調べないで入ったけど、人気のある店なんだな、こうして見ると。
とにかくお客さんと「当たりでしたね!」と喜ぶ。

沖縄行く前に沖縄出張経験済みの方々から
「沖縄は料理が飽きるよ!とくに魚がうまくないからね」
と言われていたのだけれど、
なんの衒いもなく「刺身が食べたいんですけど」と頼み、
出していただいた赤マチ、シチューマチは見事な白身魚、というか鯛で、あっさりしていて美味でした。歯ごたえもよかったし。
とにかくどこに行ったって、白身魚しか食べない女なんだぜ!
(the WHO風に言えばエニウェイ・エニハウ・エニホエア白身魚女。ってこう書くと半漁人みたいだな。楳図かずおの漫画に出てきそうだ)

料理もさることながら、私はこの日「那覇に飲みに来た」わけですから当然泡盛を飲みました。
泡盛を口にするまで、どんなに私の中で「泡盛に対する偏見」がうずまいていたことか!
酔ってベロベロになって、声がでかくなって、いらんことを言い過ぎて、翌日の胃の気持ち悪さと頭痛と吐き気と腹痛、そして自己嫌悪の津波が押し寄せてくるという地獄絵図が・・・
って、地獄絵図のわりには1ヶ月に一回くらいそんなことやってるわけだが。
しかし、郷に入れば郷に従え。今までだってそうしてきたじゃないか。
日本酒だって山形でンマイのを飲んで魔の水と思わなくなったじゃないか。

つうわけでレッツトライ泡盛。
最初はお店の人に勧めてもらった「宮の華」をば。

とにかく泡盛=度数が高いという頭しかなかったので
一杯飲めば雷に打たれたように一気に酔っ払うんではないかとヒヤヒヤしていたんだが(今までいろんな酒を飲んできてそんな風になったことは一度もなかったっつうのに、ものすごい思い込み)

飲んでみる。

ひょうきん族の「ひょうきん懺悔室」のように、酒の神が目の前で手を交差してバッテンが出て、水がドバーっと落ちてくるような衝撃を受けるものだとばかり思っておりました。

が、実際には、酒の神が手でマルを作ってくれたかのようだった。
まろやかでポワーン。
なんて飲みやすいのでしょう。
香りもきつくなくて、あたかも水のように感じる。
神の光が差したかのように穏やかな気分となったのだった。
ああ、私は泡盛に全速力で謝らなければならんね。
水のようにするりと喉を駆け抜けると、まろやか、穏やか、のちに愉快になるのだから。

そんな風に陽気に愉快になったらもう泡盛を飲む手を止められない。
お客さんと次々に飲む。飲むたびにするりと体を駆け抜ける泡盛は、まるで沖縄という島を駆け抜ける爽やかなブリーズ(大瀧詠一風)のようだ。
仕事の話もさておき、酒好きのお客さんですから、話す話題は酒ばかり。
「お酒の味の表現方法に乏しいのが悔しい」
と私が漏らしたのだけれども(上記までの表現を見てもおわかりだろう。単にボキャブラリーの欠陥なんだろうが)、ワイン通のお客さんによると
「ワインと言うのは大体〜系と味(匂い?)が分類されてね、泥系とかスパイス系とかあるんだよ。で、その表現をどう自分なりにアレンジするのかなんだよね」
ということらしい。
そうなのか、納得だ。ちなみにお客さんの最上級のほめ方さZOKKON、な香り表現は「小学校の時、校庭で転んで口元についた泥の香り」らしい。
私も精進することにしよう。

と、そんな話をしていた私の目に飛び込んできた貼り紙が
「本日の泡盛 かねやま古酒20年」
というものだった。
20年物の古酒かーこいつはめでてぇな、と気軽に眺めていたのだけれど
値段を見てたまげました。

一杯 3400円

一杯なのかよ!一本じゃないのかよ!
「いやぁ、あれすごいっすね」と感心しているとお客さんが
「せっかくだから飲んでみようよ、ワイン一本買ったと思えば安いもんだよ」
と陽気に誘ってくるではないか。
ディス・イズ・酒飲みの発想!
が、私は根が「安物買いの銭失い」な人間なので怖気づく。
一杯3400円×1=一杯700円×約5杯などと換算している自分がにくい。
しかし先に注文したお客さんが一口飲んで「たのんじゃえ!」と言った瞬間、自分の中の「せっかく来たんだからいいじゃねーか贅沢しても」性分に火が点いてしまい、頼んでしまいました。

目の前に出てきたグラスの中には、わずかな量のかねやま古酒が。

手がブルブル震える。
高い酒なので、ロックにすることすら勿体ない。無論ストレートである。
震える手で口元にグラスを傾けると、もう、「年季」「熟成」としか言い様のない香りが鼻孔を突く。香りにも地層のようなものがあるんだろうか。年輪のようなものがあるんだろうか。さっきまで飲んでいた3年ものや5年ものの古酒の香りを何重にも重ねたような、高らかな香りが吹き抜けているのである。
先ほども書いたけれども、普通の泡盛はそんなに香りがきつくないように感じたから、尚更だ。いや、それは氷を入れて冷えていたからなんだろうか?日本酒がそうであるように、泡盛も常温のほうが香りが花開くんだろうに。
重厚な香りに導かれて、液体そのものに自分の粘膜が触れる。

舌に触れたわずかな量の液体が
ズシンと響く。
なんちゅー高密度の酒なんだ。

そして舌からじわじわと痺れていくのだった。
なんちゅー甘美な痺れなんだ。

体の奥のほうへと流れていった後に残るのは、
火照りと満たされた感であった。
口腔がまろやかさに包まれる。


口の中で見事な打ち上げ花火が咲いたのかと思った。


「酒は百薬の長」と言う言葉があるが、かねやまは傷口に吹きかけたら一発で治るような酒でもあった。
いやぁ、飲んでおいてよかった。渋らなくてよかった。
しかもその店では結局お客さんが奢ってくれたのだった。
本当にありがとうございました!



かねやま古酒に完全に気分をよくしてしまったので、2軒目行きましょーということに。
もう2軒目といえば、そりゃ藤村さんに紹介してもらった「観覧車」しかねェ!
もうこの時点でかなりのヨッパだったので、場所もうろ覚えだったんだが、国際通りを歩きに歩いてここらへんじゃねえかな、と適当に歩いていたらなんとか辿り着いた。
小さなバーでした。
しかし!
もう入った途端に「ああ、那覇でいい店を発見してしまった!きっとこの先しばらく通うようになるんだろう」ということに気づいてしまったような気がする、
直感で。
おそるべし「ちょっと飲みに行きたいからといって地方まで行って飲んでしまう人種」(=俺)の直感!
へべれけな状態で「電氣菩薩を飲みに来たんですよぉ」と告げるとママさんがあらまー!と感心しながら出してくれました。

沖縄で岩手の最高大吟醸に再会するなんて!
2000マイルどころではない。
日本って素敵な国だなぁ。

電気菩薩を飲むのは、思えば1月初めに喜久盛の蔵にまでお邪魔して、樽から直接飲ませていただいた(関係者以外で世界初!)以来なのだった。
あ、違ったわ、酒田に行った時にお土産で持ってって、日本海の海の幸を堪能しながら飲んだわ。
電気菩薩も日本を股にかけるお酒だなぁホント。

那覇で飲む電気菩薩は、東北の雪の中で飲んだときと同じように、一口目の東北男児のマッチョなアルコールっぷりがズギャンと打ちつける衝撃(それこそエレクトリックショック!)ののちに、ライスフルーティーな香りとふくらみが広がって全身を幸福感が包み込むのだった。それこそ菩薩のまなざしの如し。
日本のどこに行ったって、電気菩薩は絶対的普遍なのである。
でも、やっぱり雪深い中で飲む電気菩薩とはちょっと違ったかな。
東北でストイックに向き合うよりは、精神をアッパーな方向に導くためのリラックス酒という心持ちで飲んだからかもしれない。(東北でもアッパーに飲んでたけど)
菩薩さんも南国の陽気の中でアロハでも着てるんじゃねえか。
お客さんも「おもしろいお酒だね」と言っていた。

電気菩薩でつかのまの日本酒気分を取り戻した後は再び泡盛。
瑞泉を飲ませてもらったんだが、私はよくわからなかったが、どうやらそれはニューヨークボトルというやつで、そこからお客さんの華々しいお話が。
でもそういうのをサラっと言うのがこのお客さんの素晴らしい所以である。
それくらいから俺、泥酔。
ママさんに貰った名刺を忘れて帰るという失態。
でもしっかりと「明日も来るからね!」と告げたのだけど。通いつめることだけは忘れない、だって直感が働いた店なのだから。

3軒目はさらに泥酔でほとんど記憶ナシ。


という具合に結局、泡盛飲もうが、日本酒飲もうが、焼酎飲もうが失敗するのである。
飲み方が悪いんだ、飲み方が。
いや、飲むと調子に乗るという性質が悪いんだな、たぶん。


次回に続く
2005年04月12日(火)

高血中アルコール濃度圧ガール 序章

先週、目の奇病(単なるものもらいなんだが)のため、午前休を取っていた時にたまたまテレビショッピングの番組を見たら、ゆうたろうが石原裕次郎のコスプレなしで、素のままで出演していた。
髪とかもナチュラルで、一瞬誰かわからなかった。
「こいつ、ゆうたろうに似てるなぁ」と思ってたらホントにゆうたろうだったからビックリしたもんだ。
というか、ゆうたろうって、もう既に石原裕次郎の格好をしなくてもテレビに出ることが可能なタレントだったのか!知らなかったぞ。
春一番もある時期から猪木のマネをしなくてもテレビ解禁となってたが、あれは浅草キッドの番組内だけのことだったからな。午前中のテレビショッピングとはワケが違う。むしろゆうたろう>春一番なのか?
一体いつの間にブレイクしてたんだゆうたろう。
そのうち「ゆうたろう 熱愛発覚」とかもヤフーニュースに載ってしまうんではないか。
そもそも、こんなに「ゆうたろう」という単語を連発したのは初めてだ。
そしてもっと驚いたのが、一緒に「素のゆうたろう」を見ていた妹が
「やっぱ、石原裕次郎にそっくりだよね」
と一言漏らしたこと。別にコスプレしてないのに!
それでいいのか?ゆうたろう。

と、ここまでを書くためにゆうたろうのページを何個か見たんだが、
会社でゆうたろうのHPとか検索してるとホントに恥ずかしいな。
後ろを通った人に見られたんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたぜ。


つうわけで昨日の宣言どおり、3月終わりから4月初めにかけて沖縄に行ってきた話をば。

まあ、出張だったのですがね。
それまで東北出張専科であったのになぜか唐突に上司から「沖縄行き、決定!」と言い渡される。

南国!
トロピカル!
高気圧ガール!

こういうこと言うから「実年齢、35歳でしょ?」って言われるんだろうな!

が、正直、沖縄行きを言い渡された際には困惑してしまいました。
なぜならば、「沖縄行くんだったら、車が運転できなければダメだぞ」と言われたからなのです。
いちおう免許は持っているが、当方車の運転はできません。
免許取立ての時に3回くらい運転した程度だ。
それから早3年。
運転なんて忘れちまいました。私にとって免許証は、お金のかかる身分証明書でしかなかったのです。

しかし上司に「そんなんじゃダメだ、特訓しろ」と言われ、上司による「会社内教習」が開催された。
車庫から車を出すだけで「死んでしまう」と半泣きになりました。上司は「バカヤロウ、車庫出しで死ぬわけないだろ」と言ってたが、私が両足を使ってアクセルとブレーキを踏もうとしている姿を見て
「ああ、これはホントに死んでしまうかもしれない」
と思ったらしい。
さらに、上司が教官になって2日間教えてもらった後、3日目は先輩による教習だったんだが(本格派会社内教習であったのだ)直線200m走ったところで「中止!交代!」を言い渡されたのだった。
そういや私は仮免試験の時も本免試験の時も「試験中止!」を言い渡されたんだったなぁ。
仮免時はセンターラインを大幅に超えて、道路を逆走したから。
本免時は車庫入れでブレーキ踏んだつもりがアクセル踏んでて急発進したから。
それなのになぜ免許持てたんだろう。謎だ。

そんなわけで沖縄ではタクシーを乗り回すことが決まる。

沖縄行きで困惑してしまったのは、何も車の問題だけではない。
北は行き慣れているし、知り合いもいる。日本酒も旨い。
が、南国は初めてなのですよ。
知り合いもいないのですよ。
何よりも泡盛で泥酔とか失敗をしたことがあったのですよ。
不安だったのです。

ま、正確に言えば仲良くしているみやらさんは石垣島出身だし
日本酒や焼酎でも失敗しているのだから、というか酒を飲んで泥酔は日常茶飯事なのだからいまさら泡盛こわいとか言ってる場合じゃないんだけど。
でも自分の中で沖縄に対する憧れがいまいちなかったのでした。
サーフィンもダイビングもやらない私にとって、白い砂、青い海に対する思い入れは皆無。
しろいすな、といえば、わたしのーあしあーとー、というふしぎな島のフローネの歌はすぐに思い浮かぶんだがなぁ。
(余談だが「ふしぎな島のフローネ」と「南の虹のルーシー」はよく混同するんだよな、主に「南の島のフローネ」と言ってしまいがち)

しかも作業は金曜日。土日は仕事ナシなので日曜まで滞在可能。
なのに「沖縄でここに行ってみたい!」というのが皆無なんて、一体どうすりゃいいんだ。泡盛も苦手だし、飲みに行ってもダメかもしれんってどうすりゃいいんだ。
ここはおとなしく、金曜出発の土曜帰りにしておこうか・・・
などと沖縄に対してひどく消極的な考えでおりました。


ところが!
ひょんなところで救世主現る。
秋田出張時に日本酒を一緒にしこたまのんだお客さんが
「俺も沖縄出張行くことになったよ!現地で飲もうよ!」
と連絡してきてくれたのである。
しかも「3月31日から行くから、31から那覇来ちゃいなよ」とまで言ってくれてるではないか。なんというありがたいお誘いなのか。しかもこのお客さんはとんでもなく酒が強いので楽しいこと間違いなし。
こんな誘いを断らないわけがないではないか。

さらに、藤村さんから「那覇で電気菩薩が飲める店があるんですよ」という耳寄りな情報を教えてもらう。
おお、行きますとも。沖縄訪問先ができてヨカッタ!(いや、仕事で行くのだから訪問先はあるんだが)

というわけで31日から行っちゃいました、2000マイル飛び越えて。


2泊3日の顛末は次回に続く
2005年04月11日(月)

5月の旅僧団

なんとなくマンヨッパで気分が良いので短く書いてみる。

俺の旅は4月末に仙台へアラバキロックフェスティバルを見に行くことなのですが、5月の旅の目処が立っておりません。

候補地
1.青森(長年憧れ続けた土地!ブルーフォレストシンドローム返上!)
2.福岡

なんですよぉぉぉぉぉぉ!(炎上)←ターザン山本風
ライバル候補地として九州が浮上してきちまいました。
そういえば九州はまともに行ったことねえや、と思ったので。
いまんところ7割の確率で福岡に行きたいとか思ってるんですが、「それ以外にもこの土地いいぞオイ」ってのがあったら教えていただきたいのれす。
ちなみにそれ以外だと行きたいなと思ってるのは山陰地方。王禄を飲みまくりたい。結局飲みなんだ俺は。
金は旅のためならいくらでも出せるんだ。(それ以外は渋るが)
意見とかくださる方はウェル歌夢です。(メールは8thekey@infoseek.jpでございます)

つうわけで鉄割見に行った話も書きたいが、明日以降は沖縄バカンスの話などを。
以上、ヨッパの戯れ言更新でございました。
2005年04月10日(日)

モリゾープレイバック90

モリゾーさんが生まれたのは1914年のこと。

1914年というのは第一次世界大戦が勃発した年らしいが、この頃は第一次なんて頭文字はついていない。その時代の人は第二次世界大戦が起こった時はきっと、「第二次かよ!」と突っ込んだことだろう。知らないけど。
上野では東京大正博覧会なんてものが開かれ、日本初のエスカレーターがお目見え。東京駅も開業し、明治に花咲いた文明開化もたけなわの時代であったことだろう。カチューシャかわいやわかれのつらさ〜、という「復活」の歌がかつて日本で流行ったらしいというのは私も「復活 文庫版」の解説で読んだことはあったが、ちょうどこの年のことであったようだ。
なんて感じの1914年、すなわち大正3年。モリゾーさんは7人兄弟の末っ子として埼玉の奥地に生まれたわけである。
兄弟が7人もいるわけだから、モリゾーさんが生まれた時には大分年上の兄さんや姉さんがいたんだろう。
モリゾーさんが9歳の時、おそらく小学校に通っていたんだろうけども、大きな大きな地震が起こった。東京のほうの山を見ると、山の向こうが真っ赤に燃えていたらしい。モリゾーさんの家は埼玉の奥地だったから火災などの難は逃れたようだ。

その後、小金井に出ていった兄弟を頼って東京に出てきた。昭和の初めのことである。
時代は戦前の日本。軍国主義もたけなわな時だったのだろうが、そんなことよりも東京に出たくてたまらなかった。モダンなものに対する憧れが相当強かったらしい。
兄さんの一人が建築事務所を開いていたようで、そこを手伝いながら夜学で大学に通い、建築をおぼえた。そんな技術の腕を買われたのか、志願したのかはわからないのだが、軍の技師助手として中国へ。
上海や満州を5年ばかり転々とする。
技師だったので徴集されずに済んだという強運の持ち主でもあった。
単に身長が足りなかったのかもしれないが。
終戦前に帰国し、小金井から高円寺に移り住んでいた兄さん達を頼って高円寺に住む。
この時、高円寺の下宿の向かい側の家に住んでいた娘さんと出会って、お見合いをして結婚。
モリゾーさんが30歳の時だった。当時にしては遅い結婚だったかもしれない。

兄さん達の家の近くに土地を買い、建築事務所を開こうかとも思ったが、ほかの兄さんの食料品を買い付ける仕事(ヤミ市とかのために買ってたんだろうか?不明)を手伝うことになってしまい、建築事務所の話はオジャン。
毎日、高円寺からチャリンコで築地まで出かけ(!)食料品を仕入れるのに精を出していた。
この買いだしの間に腰を悪くしたようだ。
モリゾーさんは末っ子だけど、兄さん達思いだったのだな。そして人一倍シャイで口数も多いほうではなかったので、一人だけ大学に行っちゃったことなどで態度をでかくしたりはしなかった。
自分の土地に掘っ立て小屋を立てて食料品屋を営んでいたが、区画整理で区に土地を持ってかれちゃったりする。
そして、やっぱり建築士の免許も持っていたし、それなりに自分の建築したものを残したかったのかもしれない。いや、単に建築費を浮かせるためだったのかもしれない。とにかくそんなわけで新しい家を設計して、見事に建てたのだった。
新しく建てた家で再び店を開く。乾物屋であった。

モリゾーさんは新しいモノ好きだった。
だから、自転車にしてもカメラにしても8mmにしても手に入るようになったらすぐに購入してたしなんだ。
中国滞在中はギターも弾いた。「モダンだなぁ」というのが口癖だった。
機械いじりが好きでギターが好きでカメラが好きで、そのうえ自己主張控えめだったというのは、かなり男子度が高い人だったのだろう。結婚も遅かったし、ヘタすりゃ今で言うD.Tの域だったのかもしれないな。

若いうちに戦争だの外国生活だの食料買いだしだのいろいろ経験したからだろうか、60を過ぎたあたりから乾物屋もいつのまにか駄菓子屋に転身。
そしてモリゾーさんは店先でひなたぼっこを楽しむ身分となった。
店先にはビニ本販売機が置いてあったり、スタンドで普通にエロ本を売るというかなり教育によろしくない駄菓子屋だったが、モリゾーさんはそんなことおかまいなしに毎日、毛糸の帽子をかぶりながらニコニコと店番をやっていたのだった。

駄菓子屋のおじいちゃんになってから、階段から落ちて何度か入院。
リハビリのためになぜかバイオリンを始めた。
「おじいちゃんはもうボケちゃってるから」と言われていたが、話しかければ普通に受け答えをしていた。ぼけちゃっていたのではない。元々口数が少なかったのだ。
もう危ないかも・・・と言われ続けてから10年以上平穏に暮らしていた。
モリゾーさんの人生は前半スパートをかけていたけど、後半はクールダウンだったから長く続いていたのだろう。

そんな具合に2005年。モリゾーさんは90歳になっていた。

日本は懲りもせずにまた戦争に兵を派遣したりしていたので、昔の戦争を知っている人だったら「まだやってんのかよ!」と突っ込んだとこだろう。

今年の冬は寒くて、モリゾーさんはちゃんちゃんこと毛糸の帽子がなかなか手放せなかったけれど、3月も中頃になり、外が陽気になってくると散歩に出かけたりもするようになった。
もう少ししたらもっと外に出ようとも思っていたのだけれど。

ある日の晩ご飯に、マグロのぶつ切りを食べたのだった。
マグロは堅くなかったけれど、90歳のモリゾーさんには堅い食べ物だったらしい。
あっという間に喉に詰まってしまって、コロッと逝ってしまった。
あんまり苦しまないで逝けたようだ。
自分の作った家で天寿を全うできたようだ。


それが私の祖父、モリゾーさんの一生。


私はじいちゃんに何もしてあげられなかったな。ごめんな。
うちのターミネーターこと妹は、じいちゃんの写真好きの血を隔世遺伝で継いだみたいだけど。(って私もいちおう腐れエンジニアなので、技師という点では受け継いだのかもしれないが)
ああ、私はじいちゃんの行った場所に行ってみるとしよう。
その人生を旅してみよう。

と思っていた矢先に、会社から日帰り出張が命じられる。
場所はなんと、じいちゃんの生まれ故郷である埼玉の奥地。ちょうどじいちゃんが逝っちゃってから一週間後のことだった。こういうことってあるんだな。
というわけで作業の合間を縫って、じいちゃんが見た山々などを見てみました。
あっちの山の向こうが真っ赤だったのかもしれんな、などと勝手に想像してみる。
幼い頃のモリゾーさんもおおむらさきを追ったりしたんだろうか。
私は遠出をすると、いつも頭の中に「遠くへ行きたい」を流れさせるのだけれど、この時ばかりは頭の中を「ふるさと」が流れたのであった。

♪ 兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

ああ、この曲が流行ったのもちょうど1914年のことらしい。


それじゃあ次は上海に行くかな、私は。
2005年04月08日(金)

字読みづらい!けどメッセージフォームです


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