momoparco
  人生はおまけがあるから悪くない
2007年02月28日(水)  

 私には何もないけど、愛なら沢山あげられる。
 私には何にもないのよ。だけど愛だったらいくらでもあげるわよ。

 英語の歌詞の解釈をどちらにしようかと迷いつつ、今回は二番目のように少し斜に構えた風味でいつもの私らしくなく歌いますね。

 27日火曜日の夜は、ジャズライブに行ってまいりました。所は新宿、JAZZSPOT J。タモリさんのお店だとか。「岩谷泰行(piano)スーパーサウンズ」海原純子(vocal)吉原寛治(guitar & vocal)清水ゆかり(keyboard)山口良夫(bass)日高弘(drums)。私の目的は勿論、vocalの海原純子さん。

 海原さんは、女性のための心と体の健康管理に、ストレスマネージメントをふまえた「海原メディカルクリニック」のお医者さま。でありながら、テレビ、ラジオにも出演されていらっしゃるし、エッセイも数多くてご存知の方も沢山いらっしゃるでしょうね。

 私が海原さんを知ったのは、新聞の人生相談欄に時々回答をされていらっしゃるからで、お医者さまらしい的確なお答えの中に暖かな、何よりプラス思考のメッセージを受け取ることが多くファンとなっておりました。お医者さまにかかるなら、こんな先生がいいなと思える方でした。天はニ物を与えずといいますが、そんな事はありませんねぇ。とてもお美しくて憧れておりました。 

 さて、実際にお逢いしてみると(というか一方的にデスが・笑)、なんとなんと小柄な方なので驚きました。とても小さいのです。年齢は50代の後半くらいかな、お綺麗でしたよ〜。お声は低目、歌はしっとり、っていうか上手ですね、本当に。お話には笑わせていただき楽しい一夜でした。

 初めに店内に入った時には気づかなかったのですが、一緒に行ったひとから今あそこにいると教えられて、眺めてみればなんとまぁ入り口付近にいらっしゃった。ご一緒の出演者らしき方たちと歓談されていらして、さすがに遠巻きに眺めておりましたが、案内された座席はこれまた何と何と、手を伸ばせば届きそうな至近距離でありまして。トークの間には何度も目が合うという(そう思っている)ラッキーなお席。

 ライブが終わると、あちこちから花束が。私は生憎仕事帰り、しかもスタッフの理解によって普段では不可能なほど早めに職場を出させていただき、秘密兵器のアッシーを使い、横浜駅を走りに走ってあらかじめ検索していた湘南新宿ラインに乗るにも、上がりの階段ですっ転ぶという相変わらずのそそっかしさと危なっかしさで、イデデイデデとなりながらも辿りついたわけで、あっー!しまった!サインを戴くのにご本を持ってくれば良かったなどと思っても後の祭り。花束だって余裕がなかったし(泣)。

 それから、ほぼ満員の会場のそちこちの方が一個連帯となって名刺を差し出しながらお話をされていらっしゃる。よくよく見ると、そういえば、あれもこれもギューカイ(医学や出版、マスコミ関係)だな、と思えるような感じ。(笑)

 で、お会計を済ませると目の前に先生がいらしたので、思わずお話してしまいました。あのー私はただのファンです、新聞のご回答を拝読してからですって。(爆)そうしたら、目をまんまるくされまして。っぇ〜嬉しいですと仰ってくださいまして、手は自然に握手しておりました。何と小さな手でした。更に、何でお知りになられたの?と仰るので、インターネットですと。そうしたら、次回からお知らせをお送りしますから、ご住所をと、その辺りにあった適当な紙(お店のパンフみたいな・爆)に住所を書きまして、したらば!あら、私はお隣の駅出身なのよと。へー。みたいな。それから更に、その辺りにあった紙(爆)に、サインなどしてくださって、更に2ショット。
スタイリスティックスのライブの時も握手なんかして感激したんですが、ああ、人生ってこんなオマケがあるんですね。

 なわけで、お店の前でピースサイン♪
 



  LULU GUINNES
2007年02月12日(月)  



気を取りなおして、ファッションのお話です。
女性の場合は、ちょっとしたお礼やご挨拶に贈り物というほどではないけれど、何かの気持ちをさし上げる場面が多くありませんか?こうしたものって以外に頭を悩ませてしまうものだったのだけど、私の最近のお気に入りはルルギネス(LULU GUINNES)。

 ルルギネスはロンドンのデザイナーで、名門ギネス家(?)の出身だそうです。お洋服などはまだ日本ではあまりお目にかからないけれど、小物はちょくちょく見かけるようになりました。

 上の画像はハンカチと扇子。ご覧の通り非常にカラフルで可愛らしいもの。女というのはとかく、例えばスーパーで350円で手に入れたマニキュアであろうと、ふとした時に目に入る指先の色ひとつで何だか気持ちが浮き立つような単純なところがありますよね。

 なので、私がチョットした気持ちとして贈る時は、必ずさしあげる方が絶対に持っているアイテムを選ぶようにして、目先の変化を楽しんでいただくようにしています。金額的にもどちらにも負担にならないこうした品を選ぶと、ちょっと手を拭くときなどにおそらく自分では手に入れないものの素敵な気分転換になりますと、子ギャル世代からギャルの母上世代まで幅広く喜んでいただいています。そのくらいお洒落で遊び心満載で楽しいのです。


 それから、傘や手袋といったアイテムも、予算によっては喜ばれています。画像は雨傘と皮の手袋。送別会の贈り物や、数人でちょっとずつお金を集めて何かをする場合に代表で買いに行く時にはこのような物を選びます。勿論、傘や手袋を持っていない人はいないのだから、こちらも明らかに気分転換、ふたつ目みっつ目を狙います。夏の日よけ手袋も可愛いものがあるのです。

 あっ、ちなみに傘には黒いものもありますが、私は絶対に選びません。この数年、夏の日傘には特に黒が流行しましたね。日焼けに効果があるとされてよりいっそう種類も沢山出回るようになり、黒い日傘をさしている方も多く見られます。

 でも、敢えてオススメしないのは、遠目に見た時には夏のファッションに対して似合わない、というより黒い日傘に似合うファッションが難しいということと、近くで見た時に圧倒的に顔映りがよろしくないからです。折りたたみの黒い傘など、パッと見にはオサレで渋いのですが、差してみると年齢がそのまま、否もっと出てしまうのでご用心。

 例えば地下鉄や夜の電車に乗った時の車窓に映った顔、若者の場合には筋肉の影がほとんどないのに対して、ある程度の年齢になると明るい場所では目立たないこうした影が見られるようになるという、好きで年取ってるんじゃないわ影。これが黒い傘ですと案外気になり更に顔映りは暗〜くなり、確実に老けます。

 では、仏事の時などの日傘はどうしたら?という素朴な質問が出そうなので私の秘策を書きますと。(笑)傘の柄の部分に黒はやめましょうという事です。ここはゴールドがオススメです。というと、礼服のコーナーには置いていないので傘売り場で探すことになります。何から何までが真っ黒であることが正道とするならば、これは邪道という事になりましょうが、どんなになっても女は自分を美しく見せなくてはいけません。(爆)

 まぁ、傘の部分が黒ければ柄の色はゴールドでも差ほど不作法ではないと私の独断が言っております。ついでに、黒い傘を選ぶ時は必ず気心の知れたお友達と買いに行く事。傘の売り場は大抵屋根があり、蛍光灯の照明の下で選ぶことになりますから、自分で鏡を見て確認するよりもお友達に辛らつに批評してもらった方が確実に顔に対してふさわしい黒い傘が選べます。

 勿論、柄が気に入ったなどというだけで選んではいけませんというのは言うまでもなく、必ず広い場所で拡げて差してみるのが良いでしょう。なんちゃって偉そうですが、柄の色が光を反射してくれるゴールドとあまりしてくれないシルバーの違いだけでも全然顔映りが変りますから、売り場中の黒い傘を差してみて、悪友に良し悪しを見てもらいながらじっくりと選んでいただきたいとおもいます♪

 
 こちらはお財布やポーチなのだけど、こうした表から見えやすい物、普段頻繁に使うものには個性が強いので売り場でチョコマカ眺めて楽しむだけにしています。(右の画像の背面に写っているのはギフト用の箱です。)
この辺りになるとお値段も張ってきます。

*〜 LULU GUINNES 公式サイト 〜*
*〜 ヤフオクはこちら 〜*

 バックなどは、ヴィクトリア&アルバート美術館など、多くの美術館で展示されるほど芸術性の高い物だそうで、これは薔薇のバスケット。幻のレアものとされていてお値段は5桁だとか。お花の部分が蓋になっている、バケツ型ですね。やはり個性が強いものですが、パーティーなどで使われるようです。
 ココまで来ると好みがハッキリしますし余程ファンの方でないと飽きが来るものでしょうし、私も欲しいとは言いませんが。(笑)
ささやかな気持ちにはタオルハンカチなどオススメです。

 今日は頑張って書いてみました。^^



  超自我
2007年02月05日(月)  

イド、自我、超自我
<id, ego, superego>
 
「イド、自我、超自我」は、精神分析学者フロイトによって提唱された、精神構造を3つに分けた概念。
 
フロイトによると人間の精神構造は「イド、自我、超自我」から成り、その中でイド(id)とは、人の精神エネルギーの源泉に当たる。
 
■イド(id)
イドは快楽原理に基づいて、本能のままに「今すぐあれがしたい」「これがしたい」という欲求を出して満足を求める。
 
■自我(ego)
このイドの上に存在し、理性的にイドをコントロールするのが自我(ego)である。
 
 自我は本能的な欲求を現実にあった形にする役割や、その欲求をかなえるために必要なプランを立てるなどといった準備行動を作り上げる。
 
例えば、「嫌いな仕事でも家族の生活のためだ」と思い、仕事を続けることは自我の働きによるものである。
 
■超自我(super ego)
最後に、超自我(super ego)とは常に道徳的、意識的であろうとする部分である。子どもは親から叱られたり褒められたりすることで、行動の善し悪しを学ぶ。
 
幼い頃は親の判断基準に従っているが、成長するにつれ「これをやっては他人に迷惑がかかるからやってはいけない」と自分で判断できるようになる。
 
この意識が超自我である。
 
超自我は自我の意識よりも強く、イドを律する。つまり、自我はイドと超自我の間に立つ調整役であり、三者の関係はそれぞれ自動車、ドライバー、交通法規になぞられることができよう。

転載元リンク


 自我は心の主とも云える存在で、自分のことを「私」と感じる部分、つまり、自分を自分と意識(認識)できる部分であるらしい。しかし「私」を感じる部分でありながら無意識的でもある。

 快楽原則を持つ欲求(エス)と、良心の塊のような優等生でしばしば融通の利かないところがある超自我の中間的な役割にあって、バランスを取り、社会に適応しようとするのが現実原則を持つのが自我。

 しかし、超自我が強すぎると、コントロールを取るのが難しく、時として自分自身を縛ったり苦しめたりしてしまうという厄介なことが起こってしまう。

 超自我が作られるのは子供の頃や若い時に受けた教育や環境に因るところが多く、自分が自分として感じられる以前に潜在的に植えられているもののようで、なかなか自己コントロールが難しい。

 その「世界」にいる事によって出来上がった無意識の中の超自我を、その「世界」から一歩表へ出た場所から眺めると「中」と「外」の違いがわかるのだが、それがわかるということは目から鱗が落ちるほどの衝撃である。

 しかし、自分を培って来た超自我はそう容易く変質させる事は難しく、一歩「中」に近づけば再びもともとの超自我に支配されそうな危うさがある。

 トレーニング次第で超自我を本来の姿に戻すことが出来るそうだが、その場合、最も大切なことは欲求(エス)に耳を傾け、できるだけ欲求に忠実になることだそうだ。つまり、自分の心に忠実になることだそうである。

 今、私に一番必要なのは心の声に耳を傾けること、嫌な事は嫌だという事、だというのは昨日カウンセラーから聞いたお話である。
 話の理屈の上では大いに納得できるものだが、実践しようとするとそう簡単には行かない。考えれば考えるほどわからなくなりそうだからである。しかし、話す事によって絡んだ糸がほぐれて行くような実感はある。蚕が糸を吐き出して外側からあの堅い繭を作るのだとしたら、私は逆に内側からその糸を少しずつほどいているような、そんな状態なのかも知れない。



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