momoparco
  手紙
2006年02月28日(火)  

 これも先日、何気なくテレビを見ていたら、銀座でナンバーワンのホステスさんのドキュメントをやっていた。クラブ理恵のママすみれさん。芸能界ではお目にかかったことのない美しい方で、和服姿も凛としてシャンとして、一本筋の通った、といって芸者衆とはまた違う、あくまでも一流どころのホステスさんであった。

 もちろん、銀座で一番の座を張るには、それなりの頭の良さや技量が必要とされてしかるべきであるが、二十歳の頃にデビューしてかれこれ二十年というから、40代の前半なのだろう。お客さまはもとより、銀座の一流どころのママさんたちからの信頼も厚く、現在もまだ第一線に出ての活躍ぶりは、女から見ても魅力があり、今が一番美しい時、これからの銀座の女たちをまかせられるのは、貴女しかいないとクラブ順子の順子ママも太鼓判を押すようなひとである。

 もちろん蔭での努力も相当なもので、クラブのママを襲名するにあたっては、ご贔屓への配り物の熨斗も自らの手で毛筆でなされるが、その達筆ぶりを見ても想像がつく。日々の生活はもちろん、ストイックともいえるほど、徹底してママさんである。

 そんな彼女が一年ほどその世界からは退いた時期があった。女40にして迷うのは、自分はホステスとしては○だが、女としては×だという点であった。結婚をして家庭を持ち、子どもを生んで育てるという、女の幸せは何一つ手にしていない、そのことが、彼女のこの先を悩ませることでもあったのである。そうした女の幸せを、今からなら、まだ手にいれることが出来るのではないかというのが現在の彼女の年齢であり分岐点でもあるのだろう。結局、ずい分と悩んだ末に、一生銀座の女としてやってゆくことを決心し、クラブのママに納まることになるのだが、その葛藤は計り知れないものがあった。

 それからクラブの経営者への返事をしたためるのは、もちろん肉筆による手紙である。メールではない。私が感じ入ったのはその後のインタビューに答えたときで、最近の若い子(ホステス)は、お客さまにも気軽にメールを使う。忘れられないためでもあるし、気にかけている、また来て欲しいという意味でもある。しかし、メールは用もないのに打てるが、手紙は用がなければ書くことは出来ない。だから私はメールは嫌いだと言った言葉だ。言葉には出さないが、そんな姑息な手段でお客を掴んでいようとは思わないといった気概が、凛として含まれていた。・・・ように思う。

 以前、同じタイトルでこの場にも書いたことだが、元来私は、携帯のメールはあまり好きではない。私の携帯メールはほとんどが電報文で、いついつ会おう、では何時にどこ、それで終わるものがほとんどである。たとえひと月前の約束でも、原則としてどうにもならない事情で変更が起きた時以外、確認もせずに友人たちと逢うことができる。信頼のおけるひとたちとはそれで良い。目を見て話すのが本来の会話だと思うから。ただ、急を要する時、すぐに連絡がつくものとして携帯のメールはそこにある。

 大切な用件や、心をこめるものはパソコンの画面に向き合って書くか、ほとんどが便箋にしたためる手紙である。何の前触れもなく、いきなり着信音が鳴り、何かと思えば一行文の、いわば言ってみたかっただけの独り言のようなものを送りつけられると辟易する。たまたまヒマな時、ついうっかりのってしまって返事をすると、何度かのやり取りになることがあるが、そういうことがコミニュケーションであるとはどうしても言い難い。後から読めば何と虚しい行為だろうと思うのである。

 あのインタビューを見て、筋の通った女はやはり素敵だと思った。女から見た格好よさとはそうした部分にあると思う。男はたぶん逆だろう。隙があって、相手にしてくれるような女の方が好きなのだろうとそうも思える。それを女たちからどのような目に映るとは想像もしないだろう。

 何となくではあるが、大切なこと、神経を使ってしかるべきなことと、無駄な神経を使わなくてはならないことは、振り分けなくてはならないと思うようになった。便利になった世の中ではあるが、踊らされていては本来の大切なものを失ってしまうような気がしてならない今日この頃である。



  罪深く
2006年02月15日(水)  

汚れるのが厭ならば、生きることをやめなくてはならない。
生きているのに汚れていないつもりならば、それは鈍感である。
吉行淳之介



一緒にいてくれるひとがいれば、いつしかいてくれるのが当たり前となり、感謝することなど忘れてしまう。
それだけでなくて、足りないものを感じるとそれを責めたりしてしまう。
傷つくことを怖れるくせに、針ねずみのようになって傷つけていることに平気でいたりする。
いつも正しいわけではないのに、少しのスキも見せないでいようとする。
赦すことは赦されることでもあるのに、赦されていることなど気付こうともしない。
あたたかさを冷たさで返してしまう。
抱擁するより、狭量な心で計ってしまう。

・・・。
鬼がいて蛇がいて悪魔がいて。
それが私。



  咲きかわり
2006年02月14日(火)  

 この前朝のテレビの何かに、宮沢りえさんが出ていた。彼女を見るとどうしてもあの破局の時のことや、その後の痛々しい様子が思い出されて、画面のりえさんの後ろ側にどうしても重ね合わせてしまうものがある。

 彼女を見ると、何故か諦めという言葉を思い出す。それは決して後ろ向きでの意味ではないのだが、何かを諦める、諦めようと思うとき、それは理性や理屈の上でのことで、本当に感情そのものが諦めという域に達するのとは違う。

 もう諦めよう諦めようと思ううちは、じつはまだ少しも諦めてはいないし、むしろそのことを意識すればするほど、まだ少しも諦めていないということを思い知り、ことに対しての執着や未練を知る。わずかな執着でも未練でも、それにすがり諦めとは反対の何かを掴もうとあがくうちは諦めてはいない。本当に心の底から諦めきってしまった時には、もうそのことを考えるということもなくなるのだと思う。その時が来て初めて、物事に対しての諦めがついたということになる。

 感情の足し算や引き算などは無理な話で、あれをこうしてここに入れればおさまるとか、何が何してどうだからちゃらだとか、そんな風に思えることの方がとても少ない。実際には、積み上げたひとつひとつを丁寧にしまいこむか捨ててしまわなければ、ささくれが平らな状態には戻らない。諦めることの難しさを知るようになると、そもそも諦めたりはしなくても良いような状況にまでしか感情を湧きたたせないようになるのだと思う。執着しないように。

 あの件からは長い月日が経った。当時の、ふくよかで若々しさが弾ける彼女から想像していた美しさとは別な輝きを放って彼女は笑顔を見せていた。ひとは何かを得るとき、じつに多くのものを失っている。しかし、たとえどんなわずかな執着でも、そこに何かある限りつかめるものがあって、別な形で咲けるのだと思う。



  意識の外に
2006年02月13日(月)  

 病院の待合室にあった小雑誌に書かれていた、診療こぼれ話。

 =余命三ヶ月と言われた。おなかの中に赤ん坊の頭くらいに肥大した腎臓ガンがある。手術できないと言われた。しかし、抗癌剤も使わず、それほど痛みもなく、三年目に入った。
 余命六ヶ月と言われた。肝臓の半分以上を占める巨大な肝臓ガンがある。しかし、何事もないかのように二年が過ぎようとしている。 
 余命六ヶ月と言われた。直腸ガンを手術したが手遅れだった。肺に転移していた。しかし、仲間と一緒に好きな酒を毎日のように飲んでいながら、やはり二年が過ぎようとしている。
 ガンの性質と進行の速さから、医師は余命数か月と判断する。しかし、医師の誰もがこのような人に一度や二度出会う。何がそうさせているのだろう。共通点といえば、取り越し苦労をしていないこと。病気が意識の外にあるかのようだ。人知の及ばない領域がまだある。=





 母が最初に癌の手術をしてから丸三年以上が経った。退院の時、主治医からはこっそりと、半年以内に転移すると言われていた。放射線治療をすれば、寝たきりになるとも。その後転移は認められたものの、今も元気にして楽しく過ごしている。

 転院したことも大きい。昨年は、二ヶ月の放射線治療による入院に始まり、検査を受けながら新たな転移に抗がん剤の治療も行い、体力は痛々しいほどに落ちていたが、最初の主治医の転勤を追って転院を決意し、病院の体質の違い、医師の人柄や患者の性格の把握にも大きくよるところだと思う。ありがたいことである。


 病は気から・・・言い得て妙である。




  古いコート
2006年02月12日(日)  

 忙しい中に風邪を引いてとうとうダウン。普段熱を計る習慣はないので、どのくらいの熱があったのか定かではないけれど、しんどかった。ベッドの中でとろとろとまどろみながら、何度か夢を見る。現実と夢とのはっきりとした境界線のないまま、曖昧に漠然と茫洋とあらゆることが錯綜しては消えていった。希望と絶望と、失いつつあるものにすがりたい気持ちと、引きかえに新たに手に入れようとするまだ見ぬものへの固執。


 子どもの頃、三学期に熱を出すと学校を一週間ほど休むことが恒例だった。始めの数日は熱のためかただ眠っているが、だんだんと回復し出すと少しずつ起きている時間が長くなり、そのうちに退屈を持て余すようになった。

 あの頃、風邪を引くと、首に長ねぎを焼いてガーゼに包んだものを巻かれた。今になっても、何故なのかわからないが、とにかく体が温まるか何かのおまじないのようなものらしく、当たり前のようにそれをされた。

 私はその長ねぎの匂いが嫌いで、自分の首の辺りから漂うあの香りにただなんだかとても恥ずかしい思いでいた。ある時テレビのドラマを見ていたら、深窓育ちの令嬢が風邪を引いて、同じように首に白いガーゼを巻かれているのを見て、その匂いを許しても良いと思えた。

 少し良くなると、昼間はずっと起きていて、好きなことをして過ごし、夕方にはまた熱があがりまた翌日には白いガーゼを巻かれるその繰り返しを数日過ごし、ようやくお許しが出るとやっとあの匂いから開放されるのであった。


 今は一年で一番寒い季節だが、今日のように天気が良くて風が柔らかいと、まるでひと足早く春がすぐそこに来ているような錯覚を覚える。

 春が来ると生活が新しく変わっていたのは、いつくらいまでだったろう。学生の頃は、新学期が始まりそれなりに心構えが新しくなり、今年の課題のようなものがあった。大人になると、子どもの世話をしていれば、それなりに生活の変化はあるが、自分自身の変わり目はそうした季節の変わり目とは関わりがなくて、ある時漠然と岐路に立っていたりする。

 忙しさにかまけて、岐路に立つことを気づかず、あるいは気づいていても気づかないでやり過ごしてしまうことの何と多かったことだろう。何かのスタートを切るのに、本来季節など意識することもないのだ。

 出かける支度をして鏡に写る顔を見ると、やけに冴え冴えとしていた。またいけると、内側から見えない光りがさしたように。やっとあの白いガーゼがはずれたような気がしている。ぬぎすてる時にまた何かが変わるのだと思う。



  あんたのバラード
2006年02月11日(土)  

 男性の歌う女言葉の歌に心を捕らえることがある。15〜6年も前の話になるけれど、ノエビア化粧品のCMにコスメティックルネッサンスというシリーズがあった。妖艶な女のイラストを背景に、人気歌手が自分の持ち歌とは別のヒットソングを歌うもので、化粧品のCMにしてはまったくらしくない斬新な、忘れ難いお気に入りであった。

 それぞれが本来ヒット曲だから、原曲のまま流れてもよさそうなものだが、別な歌い手によって歌い変えられると(そのような言い方があるのかどうか)、意表をつくと同時にまったく別な味がした。口の中を切ってしまったときの血の味とでもいうか。といっても、全てではないから、やはり歌い手の何かが大きいのだとは思うけれど。元歌よりもずしずしと響くのである。

 当時、この歌を歌っているのは一体誰なのかと気になって仕方がなくて、その会社に勤める知人に教えてもらったりした。私がとても気に入っていたのは、宇崎竜童の歌う「絶対絶命」、世良公則が歌う「別れの朝」、松崎しげるの「グッバイ・マイラブ」つのだひろの「経験」桑名正博の「どうにもとまらない」イミテーションゴールドは、もんたよりのりで、どうしてもタイトルの想い出せない上田正樹。しかし、特に上田正樹の声がなんともいえなかった。

 よく考えてみれば、それぞれの歌手の声はいわゆる美声というのではないと思う。どちらかといえばしわがれたような、絞り出すような、目の前で会話をしたらざらついた感じのするような気がするのだが、女言葉の歌になると俄然心に沁みいってくる。

 あんな風にしてCMになって流れるくらいなのだから、やはり何かがあるのだろう。それが何なのかわからないけれど、あんな風にしてCMになって流れるくらいなのだから、やはり何かがあるのだろう。それが何なのかわからないけれど。未だに男性歌手、それもしわがれたような声で歌われる女言葉の歌が好きだ。同性が歌うよりも同性に慰められているような気がして、錆びた痛みが心地よい。



  未完の日記
2006年02月10日(金)  

 私のお気に入りだった方(今は残念なことに書いていらっしゃらない)の過去ログを読んでいたら、ダメ男について書かれたものが見つかって笑った。
海外ミステリーについての書評からなるものなのだが、その中に
「海外ミステリーの主人公として白羽の矢を立てられることが多いのは、なんといってもダメ男である。
ダメでない男はいないと断言できる。」
というところから始まって

 「アル中、女にだらしない、規範意識がゆるい、下品、離婚、人格破綻者・・・と色とりどりのダメ男の典型が登場するが、タフで真摯な主人公も、どこかダメが漂うのである。どうしても。

 こんなにダメでも生きていける。
 これほどタフでも所詮ダメ。

 ま、そういうものを読んでいると、何となく慰められる。
 まったくもって自慰小説を読み耽るのと選ぶところはない。
若いのも中年も年寄りもみんな不完全な存在として描かれる。
 追うものも追われるものも同じ。

ともかくも、男は、泣いても笑っても、逆立ちしても、世界のどこで叫んでも、穴を掘っても、飛び降りても、走り回っても、記憶を失っても、何をしても、ダメなものはダメなのである。
 
 そういうことが絶対に分からない女に対しては、絶対的に関心がもてない生き物であり、とどのつまりダメがわかる男に対してばかり、どこかで共感を抱いてしまうのである。

 こんなことをいくら書いても、やっぱり、ダメ男であることには変わりはない。
 たとえ悪魔でも、男はやっぱりダメなのである。
 それと分かっているのに、海外ミステリーを読むのだから、もはや救いがたくダメなのである。
 バカだろうが利口だろうが、結局、ダメなのである。
 とても悲しいことだが、やっぱり、ダメね。
 ふふふ。 」

 と締めくくられていた。(笑)

 
 ときどき思うのだが、男には闘争本能というものがあると深く感じるのは、K1だのプロレスだのという格闘技を見ている時の、男たちの男たちによる男たちへの絶叫を見ているときだ。
例えば「イーノーキー イーノーキー」みたいなあれ。「」の中に入る名詞は誰であっても、一致団結したように吐き出される団体的陶酔的うねりの熱さ。

 どうして、男が男にあれほど熱狂出来るのかと考えると、どうしても男同士にしかわからない『何か』を感じずにはいられない。お互いの持つそれを、リングの上のヒーローに重ね合わせて、いや、体を借りて燃焼させようとしているようだ。それが何だと考えるに、共通するのが例の本能なのではないかと、実感も体感もしたことがないから想像だがそう思う。

 だって女は、女からとても好感度の高い女優が格闘技に転向したとしても、例えば黒木瞳に「ヒートーミーヒートーミー」なんかやらないだろう。では、子どもの受験だのにあれだけ熱心になれるのは何故なのかというと、あれは闘争心ではなくて競争心だと思う。女にあるのは競争心。

 男は元来ロマンチストだし、子どものままという感じもする。あの熱狂ぶり。特にスポーツに関して。

 それを友人に話したら、それは種の保存、生き残りのための精子であるときからの本能だといわれた。何億の中から生き残るために、すでに熾烈な闘争があったからだと。男は『生き残らなくてはならない』のだそうだ。しかし、男はそれ以外は何も出来ない。のだそうである。(笑)できないんだと。

 だからね〜、男は生まれてくれば母親に甘え、結婚すれば嫁に甘え、そして年取れば子どもに甘え、ずーーーーっと甘えっぱなしなんだよ。

 みょー、に説得力があるんだよね、これ。(笑)
  つづく・・・





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