momoparco
  白いもの
2005年12月31日(土)  

 午前中に窓の拭き掃除をした。毎日晴天が続いてはいるが、せっかく窓を磨いても、雨が降るとまた汚れてしまうので、窓磨きは大晦日にすることにしている。せっせと水で洗い流すと、レールの溝には汚れた水が落ちてくる。何枚もの雑巾を使って丁寧に拭きあげると、部屋が一段と明るくなった。

 それから、使い終わった雑巾を洗濯機に放り込んで洗ってしまおうと思ったのだが、おろしたての汚れた雑巾を見ていたら、何年も前に職場を退職された先輩のことを想い出した。

 Nさんは、結婚前には家事は何ひとつ出来なかったそうだが、結婚した先のお姑さんに一通りの家事はたっぷりと教えられたというひとで、職場では何も出来なかった遠い昔のことなど想像もつかないくらい、まるでこま鼠のようにクルクルとよく働き、その後姿を見ながら、私はいつも尊敬の念をいだいていた。

 彼女は、いつの間にしたのだろうと思うくらいにさり気なく仕事をした。何をしてもそつなく手早く正確で完璧。少しもこれみよがしなところがないから、とてもリラックスしていて、一緒に仕事をさせていただいても小気味良かった。

 彼女が使った布巾や雑巾の類は、それもまたいつの間に綺麗にしたのだろうと思われるほど知らないうちに真っ白に洗い上げられていた。それは、お姑さんから教えられたことのひとつだそうで、白いものは白く。

 雑巾は使ったら必ずもみ洗いをして、真っ白に戻しておかなければならなかったそうである。お姑さんはとても厳しかったそうだが、彼女の話し振りはそのことをとても懐かしんでいるようで、私はずい分仕込まれたと言っていた。

 仕込むという言葉も、ひとがひとを教え、育てていく場面で滅多に聞かなくなった言葉だろうと思う。ときどき、何かの席でお嫁さんのことを誉めるのに、お姑さんに向かって「良いお仕込みで」なんていうのを聞くことがあったが、かなり年配のひとだけだ。

 そういえば、話が飛ぶが、そして以前にも書いたが、ひとつの家に代々90年伝わる糠床で漬けられたお漬物をいただいたことがあった。いったい何人の主婦が代替わりしたのか、商家ではないごくごく一般の家庭の糠みそである。

 糠床は、一日でもかき混ぜないとどんどん悪くなってしまう、大きな樽に一番深いところまで手を入れるには二の腕まで浸かるというくらいの糠は、真冬ならどれほど冷たいことだろう。そうしたことを毎日続けるから、それを手入れというのだと知った。そんな風にしていただいた糠みそのお漬物の美味しさといったらなかった。手入れとは、日々続けていって意味があるのだろう。あのぬか漬けの味は、そうしたことを、代々のお嫁さんが仕込まれて出来たものなのだ。


 そして雑巾である。私は、着る物の白さには気を使ったことがあるが、雑巾は真っ白に戻るなどということは考えたことがなかったし、仕込まれるといった境遇ともなんだかかけ離れているような自分がいる。

 では、Nさんの家ではお嫁さんも大変なのだろうと思えば全く逆で、息子の子どもを三人も生んでくれたひとなんだから、家に来た時には何もさせないという話しなのである。それはたぶん、Nさん自身のお姑さんも、きっと厳しさだけでない接し方をNさんにしていたからではないかと思われた。

 汚れた雑巾を見つめていたらそんなこんなを想い出したので、今日は私も一枚一枚丁寧に手で洗ってみた。初めから面倒だと思わなければ出来るものであった。かなり気持ち良い。思えば色んなことに対してぞんざいになっていた部分がある。忙しいという言葉を隠れ蓑にしたような形で、細かなことがおざなりになっているのではないかと、少し反省をして、来年はもう少し細やかな家事をしようと思った。

 ちなみに、今年の始めに、TOMO さんの家(HP)の掲示板で、今年も、美しく過ごすように頑張りますなどという表明をしたのだが、一年経ってみて、まあ、なんとかまぁやれたかな?どうかな?というところである。手入れはあまりしなかったが。(痛!)

 さて、来年の今日、私はこの「白いものを白く」について自分で及第点を与えられるかどうか。なんと書くのだろうかと思いつつ、一年を締めくくろうと思うのだ。


 この場所で、このご挨拶も何度目でしょう。
皆さま、今年も大変お世話になりました。
ありがとうございました。

 新しい年が、皆さまにとって、素敵な一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

momo*



  冷蔵庫がいっぱいよ〜
2005年12月29日(木)  

 ちょっと奥さん!聞いてくださる?
私は毎年、30日の午前中に買出しに行くんだけど、今年は少し早めに余裕を持って今日29日の午前中に行って来たの。ゴミの集配が、今年はゆっくりで明日が最終なのもある理由のひとつなのだけど。

 そしたらさ〜あ。(←のあは尻上がり)、レタスが何と398円もするのよ!びっくりでしょ〜?日曜日の午後、近くのスーパーへキャベツを買いに行った時にね、たった四分の一に切られたキャベツしか売られていなかったので、嫌な予感がしていたのよ〜。隠してるな?って。そうしたら、案の定でしょう〜。んもー、ほんとに失礼しちゃうわぁ〜。

 それなのにね、ルッコラだとかアンディーブチコリだとか、パプリカやクレソンは、いつもよりお安いのね。中国産じゃないかって?いやねぇ〜もー。それはないわよ、ちゃんと見たもの。とにかく、洋物野菜の方がお値段がお安いのよ!だからさ〜あ、私、レタスは買わずにこのお正月はそちらのサラダで行くことにしたわ。どうせ、初荷があって、その後は値が下がるんだと思うと何だかねぇ。普段の倍もするお野菜なんて買うの嫌だわぁ〜。

 まぁ、八百屋さんだって、お休みの間の売り上げがなくなっちゃうんだから、お正月って値が上がっても仕方のないことなのかも知れないのだけど、ここで締めないと、1月のエンゲル係数が高くなり過ぎちゃうものねーぇ。これ、長年の経験だけど。

 で、その分お肉やら、お刺身を奮発したの。お肉はしゃぶしゃぶ用を一kg.一度であっと言う間に無くなるわよね。それから手巻き寿司にするためのお刺身をあれこれと買ったら、袋がいくつになったかしら。あ、そういうのはね、パーシャルルームに入れてしまうのよ。冷蔵庫のひとつの引き出しが、スイッチひとつで冷蔵にもパーシャルにも冷凍にもなってくれるのよ。でも、冷凍はしたくないでしょー?調度凍る寸前の温度に保たれていると、味が損なわれなくてとってもいいのよ。これ、私としては良い買物だったと思うのね、こういう時にとっても便利で助かるの。もし、これから冷蔵庫を買うことがあったら、お薦めするわ。

 でもやっぱり美味しいものは、美味しいお店でいただくのが一番よね。そういう意味でも、やっぱり家での食費は締めないと。なんて、なんだかとってもドメスティックな話よね〜。



  すごいつれづれ
2005年12月27日(火)  

 相変わらず寒いですね。
若干日が伸びてきたようで、嬉しい気もしています。

 クリスマス、いかがお過ごしでしたか?
私は特別なクリスマスではありませんでしたね。25日は仕事でしたし。24日のイヴの日は、お墓のお掃除に行ってまいりました。まだ少し早いのだけど、気になっていたので。

 寒かったですね〜。スポンジやら雑巾やらでせっせと磨いていると、体は暖まるのに、手はゴム手袋をしていてもちぎれるかと思ったくらい、北風が強くって。

 時間をかけて、丁寧に掃除を終えて、たっぷりのお花とお線香を手向けると、お定まりの一服をつけて、墓前に供えました。あそこ、横浜あたりからランドマークタワーを中心にかなり見晴らしが良いので、晴天のその日は気持ち良く。

 煙草好きだったひとが、体のためにとうるさく言われて禁煙していたのだけど、風に揺られて昇っていくお線香と煙草の煙を眺めていると、そんなことは大したことじゃなかったのではないかという思いにかられます。何だってやっぱり生きてるうちだよね、というような。


 ついでにお墓の話をしますと、我が家の場合、例えばお盆でもお正月でもない平日の昼間であろうと、墓参りをするのに墓地にひと気がまったくないということがありません。入り口から父のお墓の10mほど手前に、さる方のお墓があるからなのです。

 生家は貧しいお家だったとかで、大きな敷地があるわけでもないのですが、今は遠くから見てもひと際目立ちます。この墓地は、どの家も通路から数段あがって各家々の敷地の入り口になるのですが、その方の場合、亡くなってからは小さな門扉状の扉がつけられ、中へは自由に出入りできないようになりました。

 目立つ場所に、「墓石にジュースやビールをかけないでください」と書かれた札も立ち、門扉の手前に線香台が置かれ、山のようにお花やら食べ物が供えられ、勿論、門扉の中も、両側には置いていかれたお花たちが所狭しと並べられ、それはもう華やかなお墓です。

 そんなわけで、ファンの方が二人、三人と連れ立って、色んな時にお墓参りにいらっしゃるので、ほんと、いつ行っても誰かしらと行き交います。女性の方が多いようです。亡くなられてからずい分と経つのに、ファンのひとってすごいなと思います。というより、美空ひばりさんがすごいのでしょうか。

 そういえば、ひばりさんが亡くなられた時に、友人の母上など、青春がなくなってしまったと嘆き悲しんでいました。しばらく元気がなかったもの。最近になって、亡くなられたときはまだ52歳という若さだったと聞いて驚いたりしました。私が物心ついた頃には、ひばりさんはとうに大人の歌手で、ずい分隔たるものを感じていたので、もっともっと年配の方だとばかり思っていたのですね。お年を聞いて見ると、亡くなられるとは誰も想像しなかった年齢だったのではないでしょうか。

 私には、青春そのもの、といったひとがいないのだけど、ひばりさんのお墓の前を通るたびに、ああ、とっても大きな方だったのだなといった感慨を憶えます。

 なんだかつれづれ過ぎですが。



  祈るばかりですが
2005年12月23日(金)  

 昨日の朝のニュースでは、日本海側は大雪警報が出ていたのだが、昼間になると、雪は、日本海側だけではなくて、降っていないのは、関東の一部と九州の一部だけの地図を見た。あのような日本地図を見たのは初めてのことだ。

 かなり前に、新潟県のネッ友とチャットで話をしていた時、「もしかして、雪がロマンチックだなんて思っていないだろうね?」と聞かれたことがあった。真冬になれば50〜60cmの積雪は当たり前、二階からしか出入りできないような状態で、外を歩けばいつも水浸し、それでも恰好をつけている高校生など、シモヤケは当たり前なのだとかで、雪なんか好きでも何でもないといわれ、ひどく納得した。

 今年の11月、雪国の方のブログで、大雪が降る窓の外の画像と、「今年もまた悪魔がやってきた」というポエム(詩?)を読んで、計り知れない思いにしみじみとした。そして、昨日の雪と新潟の停電である。真冬の停電とはどれほどのことだろう。


 数年前の夏の夜、私のところでも落雷で停電したことがあった。どちらかといえば電気のブレーカーが落ちて我が家だけ全ての電気が消えてしまうことはあっても、地域一帯の停電など初めてのことで、そのあまりの暗さに驚いた。

 普段の横浜の夜は、明るい町の灯りが影響して、夜でも今のように空気の澄んだ空なら雲の形でさえはっきりと見えるくらいに明るい。漆黒の闇などあり得ない。家一軒の電気が消えても表からの光がある。しかしその時は、それが何もないのである。本当の真っ暗闇。

 阪神の大地震の後で、かなり大きめな懐中電灯や、蝋燭を用意したものの使うことがなくて、だんだん棚の後ろの方へ追いやってしまっていたのだが、あの時ばかりは、もっと手近なところにいくつか分散させておかなかったことを後悔した。何しろ、その場所へ行くまでが何も見えないのだから。結局、自分の家の中を、携帯の光を頼りにおそるおそる歩くというていたらく。ほんとに。

 あの時は真夏だったので、エアコンやファンヒーターが使えなくてもしのげたが、間抜けな私は電話が通じないのに唖然とした。電話は電話線だけでなくて、電気も使われていることをすっかり忘れていたからである。

 どれほど電気というものに依存して生きているのか、あるのが当たり前のように感じていたものが消えると、いかに何も出来ないかをつくづく思い知った。実際に手も足も出なかった。


 雪国ではない地域で大雪に見舞われた場所にお住まいの方、お察しいたします。とても他人事とは思えません。私のところでも、大雪が降れば生活はマヒします。ええ、もう完璧にお手上げです。私のところは高台なので、私などとても歩けません。情けないけど。
 
 それから、雪国にお住まいの方、今年は寒波とか言っておりますが、せめてしのぎやすい冬であってくれたらと思うばかりです。

 それから、新潟の地域の方、昨年の地震といい、今年は穏やかに年を越すことができますよう、心からお祈りしております。

 みなさま、年末年始にかけて、つつがなく過ごせますように。



  
2005年12月17日(土)  

今年も忙しい年ではあった。相変わらず、慌しく、息をつけないほど目まぐるしい時が過ぎたと思う。体だけでなしに。

 年の初めから今までに、いくつの事柄を終えてきたのか、想い出すだけでも忙しい。どれもこれもが大切なことで、それらをひとつひとつ、無事に終えられたことを、とてもありがたいと思う。

 秋になって、母が転院したことも大きい。三年前の、一番初めに担当してくださった先生の後を追って、転院した。先生の移動は春先だったが、ちょうど放射線治療の真っ只中にいたので、すぐに移ることは出来ずに様子をみていたのだが、様子を見てお願いしたところ、次の担当医の先生も快く紹介状を書いてくださった。最初の先生は、この先生の先輩にあたり、すぐに電話を入れて、お話を通しておいてくださったのは、とてもありがたいことだった。

 久しぶりにお逢いした先生は、相変わらずとても穏やかで、母の性格を良くご存知である。一番適した治療は、先端の医療だけではないのだと思う。母にとって、それが一番の薬なのだろう。同じ病気で過ごすのに、こうも違うものかと思えるほどに、穏やかな日が続いている。今度の病院はとても近い。先生への信頼と、近さという安心感が、心に余裕を持たせてもくれる。

 風が向きを変えることがある。何もかもがそちらに向かうようにと、風が背中を押してくれるような時がくる。穏やかな流れに乗って、無理なく伸びやかに過ごせる時が来ることもあるのだと、あらためて思う。良い年を過ごせたのだと思う。



  古畑任三郎
2005年12月14日(水)  

 そろそろ嫌でも嘘みたいに年末で、今日はお休みだった私は、晴天に煽られるように掃除の真似事などしておりました。で昼間はほとんどつけないテレビを時計代わりに点つけたままでいたら・・・。

 午後二時ごろ、聴き慣れた音楽が流れてまいります。
古畑任三郎のテーマが。
空耳かと思ったんですね、初め。先にわが耳を疑って、それから音の出どころらしいテレビを見ると、なんとあの古畑任三郎のオープニングが始まっているではありませんか。白と黒と赤のあれ。幻覚かと思ったんですね。っていうのは嘘ですが、再放送しているんだなと認識したわけです。そして、細切れの出演者の中に、見つけちゃったんですね、市村正親さんの顔。ほんの一瞬を見逃しませんでした、私。

 当然、掃除はそっちのけで、珈琲を落としてソファーに座り、鑑賞のポーズと相成りました。補足しますと、私あのドラマ大好きなんですね。まず、田村正和さんは、どんな時にも好きな俳優の中から外せないお方。それから、三谷幸喜さんの脚本もまた大好き。あの方喋りはすごく照れ屋で苦手なので、対談を読むと面白いお方でもあります。
そして、市村正親さんも、大好きな俳優さん。あの方けっこうおちゃめ。ああ、最近篠原涼子さんと結婚(婚約?)されましたが、そういうことはもう、あれです、ぜんぜん良いわけです。

 たまたま家にいた今日、正和さんと市村さんの共演となれば、棚から牡丹餅みたい。しかも、市村さんの役は、オーケストラの指揮者で、指揮をする場面で流れるのが、またまた大好きなボレロなんですよ。もう、いたれりつくせりではありません?私のためにあったみたい。

 あのドラマ、音楽もいいんですよね、流れる曲が、全てオリジナルのオーケストラか JAZZ 。ああ、とっても良かったです。それしか言いようがないのですが、あのドラマご存知でしょう?犯人は初めからわかっていて、要するに刑事古畑と容疑者のやり取りが醍醐味なんですけど。
ええ、もう、とっても・・・。良かった。っていうか、何でも良かったみたいですけどね。(笑)

 正和さんは確か62歳くらいになられるんですが、あの肌の色艶だとか、皺のなさだとか、一体どうなっているんだろうと思いつつ、もしかしたら、コラーゲン注入とかしているんだろうな、なんて考えつつ、そういうことはどうでも良いのだと思いつつ。

 市村さんの方が5〜6歳お若いのに、お肌は疲れ気味というか、あちらが何も手を加えていない、いわば使用前なんだろうな、なんて思いつつ、それもまたいいと思いつつ。追い詰められて、『ごめんなさいね』なんていう時の洒脱な感じが、さすが舞台人を感じさせて楽しい演技で。それにしても、正和さんのあのキラキラ輝く瞳って一体何なんでしょうね。いたずらっぽい目の輝きがまたねぇ・・・。

 お正月は三夜連続で見せてくれるらしいです。吉報です。今度、あのサウンドトラックを買ってこようと決心しました。今日は、たったの一時間で幸せを感じた日でした。



  桃井かおり
2005年12月12日(月)  

 先日テレビで、何かのパーティの席にいる桃井かおりさんを見た。和服だった。美しかった〜。

 真っ黒な髪に、真っ黒な着物、伊達襟は、はっとするような真紅。ひゅうひゅう〜。素敵に仇っぽい。

 桃井かおりさんは好きだったのだが、なんとなく無視をしていた。みんながみんなして、彼女の持つ大人の香り、あのけだるさ、煙草、グラス・・・、そんな素敵な彼女のことを憧れを持っているせいで・・・。(笑)
それと、あの桃井節がチョットだけ・・・嫌いというのではないのだけど、勿体なさを感じていて。

 昔むかし、はぐれ雲に出ていたときの、おかめさんの役だとか、古畑任三郎に出た時の、あの感じだとか、インタビューに答えているときのあの感じが好き。桃井節ではないときの。

 で、あの着物姿でコロリと参る。
このところ、私自身が着物に凝っているせいもあって、やっぱり大人の女は着物よね〜というのもある。ゴージャスだものね。素敵だものね。と。(笑)



  Sea shell
2005年12月05日(月)  

 むかしむかし 私の何代目かの前世は海の底にいた。
どこの海の何だったのかはわからなかったけれど、何故かずっとそう思っていた。その後の途中の前世では、私は炭だった時もある。焼かれたり、燃えて灰になったりした気がしないので、たぶんどこかへ行き着く前に、土に還ったか風化したのだと思う。炭としては、あまり役に立たなかったと思う。それよりも、もっともっと、ずっと前の前世が海底にいた。何も憶えているわけではないけれど、そんな記憶があったから。

 かすかな記憶だと、南太平洋だとかインド洋だとかそのあたり。凍てつくような冬の、白く氷の風が撒いているような海ではなくて、すぐそこにある太陽が赤く照りつけて表面はいつも熱い海。燃える夕陽が、空と海をオレンジ色に滾らせて、ぎらぎらと沈んでゆくような時にも、熱も光も届かず、ほとんど何も見えないような深いところ。何かで、海底のシーンを見るたび、とても懐かしくなる。

 ある時、大きな貝を見た。白い真珠貝のような形をした、とてつもなく大きな貝。それを見た時、あれだと思った。貝は、殻が硬くて柔軟な動きはしないと思っていたら、大きな貝は、二枚の殻を、羽のように大きく広げて、まるで蝶のようにひらひらと、くるくると舞っていた。海の底は広くて、決して泛かぶことはない大きな貝が、自らの意思で優雅に乱舞する。例えばアンモナイトだとか、そんな風に化石になって残ってはいなくて、それは、ただ、そこにいて、生きて水のような感情を持っていた。

 ときどき魚がやって来て、目の見えないそれは、もしかしたらシーラカンスのように通り過ぎた。それから、他の小さな魚が、大きく開いた私の貝殻の内側を、しずかに啄ばんでいたかも知れない。その時の何物かだった誰か、何代か後の誰かと、今また気づかぬうちにめぐり合っているのかも知れない。

 今はお互いに気がつかないけれど、そのときもきっと、色んな形になって愛し合った。人間でいる今と同じに。
そして語り合った。
いつまでも...
ずっと...
死んでも愛している...
だとか
未来永劫に...なんちゃって語り合っていた。



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