momoparco
  さみしさを感じるとき
2005年02月28日(月)  

私は冬の夕方、そろそろ日が暮れ始めるころに
目の前を通りすぎる電車の
車内の灯りが煌煌と目に入る瞬間が一番寂しい。
電車の中はいつも電気がついているのだが
昼間はそれを感じない。

あたりはまだそれほど暗くなくて
ことさらに目をこらさなくても
色んなものが見えるのに
その夕一番の、車窓の灯りが周囲より際立って見える瞬間。

予告なしに突然よこぎる長い光。
周りの風景より、中にいるひとの顔がよく見えると思ったとき。
道に迷った子どものように心細さと淋しさが瞬時に襲う。
足元がおぼつかなくなるような、立っていられないような。

それから、少しずつ暗くなり
ポツリポツリと家々の明りが灯りだす。
辺りがすっかり闇になってしまうと、何故だか何も感じなくなる。
電車の明るさはただの日常に見えて
家々の灯りは暖かな団欒みたいで
夜空に星の見えない都会の、低いところにある星だ。
それを見ると、少しも寂しさを感じなくなる。
・・・冬の間に限っては。



  うけいれる目
2005年02月27日(日)  

 左の画像は、フォトダイアリーの初めに入れたもので、ご覧くださった方もいらっしゃるかも。(Diaryはこちらに全てまとめようと思います)

 これは私の好きな絵。
そして青山に行ったとき、ふと立ち寄った画廊で出会ったのが右の絵。(右の方、額に反射してこちら側の窓の光が写ってしまっています ^^;)

 初めはイタリアの風景を描いたスケッチに目がいって、それで立ち寄ったお店だが、お話をしているうちにカシニョールのことを言うと、なんだか嬉しそうに何枚かの絵を見せてくださった。

 横顔の絵が多く、その中で一番気に入ったのが正面を向いたもの一枚。
あのひとと似ているな、と思ったので、同じひとを描くのでしょうか?とお聞きしたら、カシニョールというひとは、事務所に女のひとが沢山いるのだそうで。きっと好みの女性ばかりに囲まれているのではないかと思ったり。(笑)

 こうして並べてみると、顔が違う。なのに腕の線や体つきはそっくり。どちらがお好きですか?

 とくに左の女性を見ていると、彼女が何かをうったえているというより、彼女はこちらを受容してくれている、とそんな気がしてくる。それは微笑みのある慈愛に満ちた感じではなくて、酸いも甘いもかみ分けて、そんな自分を少しだけ倦いている。といって、けだるいアンニュイ感でもなくて。
私は私を好きだけど、でも少し嫌いよ。みたいな。

 彼女は目の前にいる女友達の愚痴やら悩みをただ聞いている。どちらかというと受身の目。なんだろ、こういうひとにだったら何でも話してしまえそうな、そんな感じ。何にも言わなくても。そんな目がとても好きで。

 色調が強いのでどうかと言われたが、真っ赤な薔薇やガーベラやポピーと緑の葉、そんな風に思うと強さはそれほど感じず、玄関のいつも花を生ける場所にすんなり納まってしまう。だから花はかすみ草みたいなものを。すると彼女は直視されるより喜ぶ気がして。

 そんな私の深層心理ってなんだろうと思いつつ。



  唐突に
2005年02月26日(土)  

 目の前の子どもを見ろなんて言ったって意味不明だわね。(笑)
朝、時間がなくてせいていたんだけど、今読むとおかしいか。(爆)

まぁそういうわけで。 ^^



  X=殺
2005年02月24日(木)  

 ニュースを見ていると毎日のようにどこかで死んだ人が見るかっている。
死体のあった事件と言っても、一体それはどの事件の話かわからないくらいにあちこちに。ひんぱんに。

 かつて私が死体という文字を頻繁に見たのは、書店に並ぶミステリーの背表紙くらいではなかったかと思う。タイトルにその文字があるのは、それがまだ非日常的なことだったからなのかも知れない。といって、それはたぶんそんなに大昔ではない気がする。今ではそのような文字は本の背表紙など比較にならないほど報道で見る。

 切 刺 焼 埋 残 絞 轢 撲 変 ・・・

 こうした文字があちこちにである。何だかだんだん驚かなくなっている自分がいる。初めのうちは、ひどくショックを受けたが、次第次第に新しい形で次々と事件が起るたび、どんどん驚きが小さくなっているようなのである。嫌なことだが、慣れとかマヒといった言葉が思い浮かぶ。このままいくとどうなるのだろう。とても怖い。

 しかし、それは私がそうではない時代を知っているからの話で、生まれた時が今の世の中だとか、成長しているのが今の世の中といった子どもたちはどうだろう。マヒをするとかしないではなくて、そんなことが日常的になっている今、何も驚くことではないのだろうか。世の中がどんな風に見えるのだろう。そう思うとますます怖い。


 最近、少年が小学校に入りこみ殺人を犯すという事件があった。このような、とりわけ年齢層の低い子どもによる犯罪は、マスコミがとてもセンセーショナルな伝え方をする。ニュース番組やワイドショーの中で実に沢山のコメンテーターが意見を述べる。実に色々なひとがである。ある種の識者であるらしい。そうしたひとびとがそれぞれの視点においてさまざまな意見を述べている。まるでみんなプロファイラーだ。

 そのような話を聞いていると、それは数学の方程式に似ていると思えてくる。片側に四則混合のさまざまな数字や記号が並び、それらは少年に内包されたX。プロファイラーたちはかみ砕いて説明する。こちらの識者、あちらの識者がよってたかって、それぞれの得意分野からこの式をひもとき、結局のところ出てくるのは=(イコール)殺人である。

 聞いている私は、なんだかわかったようなわからないような、結局のところただわからされたような気持ちになる。それはとてもお粗末な気持ちだ。何故なら、それをわかった(ような気持ちになった)ところで何も変わることはないからである。そのようなことは、青少年の犯罪ばかりでなく、他の犯罪においても今までにも沢山あった。

 そのたび数式はひもとかれ、=殺人ということになるのだが、だからといって、何かが変わったことはない。ひとは怖い怖いと身震いしながら、なんだか興味津々でいるのではないかと思ったりする。そのようなコメンテーターの言うことに、ひとつふたつ利口になったような気になり、わかったようなことを言い出したりするのである。

 それって。なんだか小社会の噂話にとてもよく似ている。どこにでもいる情報痛が、他人のことで何かあると
『ちょっと、聞いた? あの家のご主人・・・』とかなんとかいうあれである。
ある時はご主人の部分が、子どもになったり、奥さんになったり。そして居合わせた誰かとその件についてコメントをし合うわけで、そのことに詳しくない人に詳しいひとがさまざまなことをひもといてみせるわけである。

 ほとんどの場合、まったく他人のことだからどうでもよいことなのだが、興味の二文字がはずせない。結局のところ、興味津々=面白い ということになるのである。そして何も変わらない。
『へぇ〜へぇ〜』などと聞きながら、次の何かが起こるとサッと興味の対象が移行する。今までのことはまるでなかったかのようにである。本当のところどうだって良いのだ。対岸の火事。所詮他人事。

 コメントするひとたちが沢山出てきて色んなことを言い合うのは、私にはそんな井戸端会議の延長にしか見えない。無数に繰り返されてきた大がかりな井戸端会議。もしかしたら、心に暗渠を持つ次の犯罪者の活路を見出させているだけのような気がする。

 青少年の犯罪を減らそうと考える時、そのような井戸端会議は不要だと思う。誰が一体どうしてそれをしたのかと教えてもらうより、目の前の子どもをよく見ることではないだろうか。取調べも報道も専門家にまかせ、その事実を知るだけでよい。最も大事なことは、方程式を知ることではない。
・・・つづく。

 出かけなければならないので、続きはまた。

 皆さまナイスな週末を☆



  最も抱かれたかった男
2005年02月23日(水)  

 久しぶりに芝居を観た。まるで天からふってわいたような観劇の誘いがあったのは今月の5日。勿論ふたつ返事で行くと答えたのだが、まさか転ぶとは思わず、何としても観にいくためにこの日のためにコンディションを整えた。出演者に鹿賀丈史や市村正親と聞けば、それはもう垂涎の大舞台。

 デモクラシー ところは青山劇場。
キャストは、鹿賀丈史 市村正親 近藤芳正 今井朋彦 加藤満 小林正寛 石川禅 温水洋一 三浦浩一 藤木孝。
 
 物語の舞台は、東西両陣営の対立の象徴だった1970年代のドイツ。実際にあったスパイ事件をもとに大きな歴史の流れに翻弄されながら、懸命に生きた10人の男たちを描いた作品である。

 私は大分前、数え切れないほどの芝居を観たが、ある時期からそれをやめた。以来、いくつかのミュージカルを省けば劇場で観るのはもっぱら映画である。リラックスして観ることが出来るから。でもでも、ああ、やっぱり芝居はいい。

 舞台の芝居は三次元空間をフルに使う。奥行きも高さも重要だ。役者は180度以上の角度から見られていることを意識している。だから常に演技をする。

 映画やテレビのように、数台のカメラによって、見せられる場面を強制的に観るのではなく、目のやりたい場所のどこも自由に観ることが出来る。役者は、幕が開いて板の上にいる間中、どんな時でも芝居をしている。強制的に視線を引きつけることは誰にも出来ない。しかし、惹きつけることは誰に出も可能だ。

 暗転になり、舞台が暗くなっても、薄暗がりの中で誰かを追うことが出来る。だから、誰かと一緒に舞台を観ても、同じところを観ていないことの方が多かったりする。それが映画やテレビドラマと大きく違う。舞台芝居とはそういうものだ。

 それに発声がいい。セリフが明瞭だ。体はしなやか。舞台俳優が映画やテレビに出たがらないわけがよくわかる。乞食と役者は三日やったらやめられないというのは嘘じゃないと思う。色んな意味で。

 雲の上を歩くような気持ち。好きな役者さんたちと、同じ空間を共有することのありがたさをつくづく感じた。前から5列目で。

 それに・・・
私がこの観劇の誘いを受けた時、メールにはキャストに鹿賀丈史、市村正親 と書かれていて、私も色々あったので良く調べもしていなかったら・・・。

 なんとなんと!藤木孝がいるのである。それにはのけぞる私なのだ。
私は子どものころ、10才年上の兄や、9才年上の兄によく『抱っこして』と言った。疲れたとき、高いところにある物を見たいとき、兄たちに抱っこをせがんでいた。まだとても小さい幼稚園にも行く前だったと思う。

 その頃、藤木孝という歌手がいて、なんというか今思えばロカビリーみたいな、頭をリーゼントにした彼が時々テレビに出ていて、私は彼のことをとても好きだった。

 あのひと恰好いいと思った。他の歌手だのテレビに出ているひとには何の反応もしないのに、私はあの人にだけ反応した。ふじきたかしに抱っこして欲しいと何度も言った。彼がテレビに出るたびに。抱っこだから、単純な『抱っこ』。そのことを私はとてもよく覚えていて、その彼が今目の前にいて演技をしていることが不思議でならなかった。

 役の上で彼は、髪もあごひげも半分白くて、とても渋くなっていて、役どころとしては主役と対立する立場であるのだが、魅せられさ加減といったらなかった。だからよけいに雲の上にいた。

 なんだか私の中の、とても古くて小さな引き出しをきしきしと開けてしまったように、恥ずかしくて懐かしい気持ちになった。古ぼけた何かが、綺麗なままに見つかったような。少しでも力を入れて触れればもろけてしまいそうなものがあのときのそのままそこにあったというような。

 初恋のひとにめぐりあったとかいう気持ちとも違う。 
 大人になった今、すっかり渋くなった藤木孝と一緒にその場にいることで、まるで私は小さな幼児にもどり、目を輝かせて『抱っこ』をせがむ。両手をあげて。

 今はそんな一日の終わり。
酔い一日。



  痛いときに泣くとはかぎらない
2005年02月22日(火)  

 転んだ時に思ったのだ。
体にとても強烈な痛みを感じたとき、泣いたりするのはなぜかと。
何故そう思うのかというと、よく涙が出るほど痛いとか、泣くほど痛いとかいうから。

 想像外の痛みを感じたとき、肉体的にも精神的にも痛いという感覚の大きさにショックを受ける。体は、全身の血液がすべてその場所に突進したのではないかと思えるくらいに緊張するし、頭の中は、大急ぎで何が起きたのか決着をつけようと理屈の断片がかき混ぜられる。

 私は脚を滑らせる時点で次に起ることを察知していた。だから起こったことはただ再認識しただけなのだが、先に痛みを感じたりはしていない。次に知る痛みの大きさを予想もしていない。だがとにかく転んだ。痛いと思った。心身ともに痛みに集中するとき、痛みは時間を奪い、私のすべてはただそこに蟠踞する。実際にはたいした時間でもないのだが。

 痛いときに泣くかどうか、あとから考えてみたら、そうでもないということがわかった。その時私は感情がこわれかかっていたのかも知れないが、涙はいっさい出なかった。これより前にこんな痛い思いをしたのはいつだろうと考え、それはある朝、シャワーを浴びているときに、思いきり膝頭をカランにぶつけたときで、あの時は思わず泣いた。その時私の感情はどんな時だったろうと考えて、確かに泣きたくなるような朝だったと想い出した。

 痛い思いをした時に泣くのは、その時抱く感情による。改めてそう思った。同じことがあっても泣いたり泣かなかったり個人差があるのは、そのときの感情による。だから痛みは知覚ではなくて感情だと思うのだ。

 それから泣くということについて考えた。実際のところ私は涙腺がゆるい方だ。もう大分前に、結婚披露宴会場の演出というバイトをしたことがある。お色直しをすませた新郎新婦が入場の際にドライアイスを流したり、ケーキカットの際にシャボン玉をたいたり、座を盛り上げるための演出だ。笑っちゃうけど、これも商売。

 ホテルの披露宴会場は、客側からはいくつか隣り合わせの別の部屋だが、裏動線はつながっていて、30分置きに行われる挙式のあと、それぞれの部屋の披露宴は、やはり30分ずつずれて行われるので、私たちは秒単位で動き回る。そんな時に会場から会場へ最短距離の動線を歩くと、どこかの会場を突き抜ける形になる。もちろん、通り抜けなんてそんな顔はしないけれど。

 たまたま一つの会場では、新郎新婦が両親に花束を渡したあとであったりする。たいてい新婦が両親に手紙を読んでいたりして。私はたった数分、その場所にいるだけで泣けるのである。演出する側から言えば、あのシーンがあることは宴会のしめであるのだが、それを見て泣く私は何度自分を呪ったことだろう。自分自身があらかじめ設定した泣きの場面で泣くなんて忌々しいと。

 だから、テレビのドラマ、前後の脈歴も知らず泣きのシーンで思わず泣ける。一瞬の感情移入、ひたっている陳腐な私。だけど私は冷たい人間なので、次の瞬間にはもうそのことを忘れている。泣いたということではなくて、泣いた理由をだ。そう考えると、泣かせようとされていたものに泣くのは心地よくはない。だから、小説を読み、映画を観て、心のたかまりを覚えて涙が流れると安心する。前後の脈歴を知り納得のいく涙。私はそんな感動というものを食うために読んだり観たりしているのじゃないかと思うほどだ。私だってちゃんと泣けるのだと知るために。

 であるので、涙がこぼれるイコール泣くということではない。ただ単に感情におかまいなしに涙の出る装置がゆるいのだ。もし、体にもメーターがあるとしたら、私の涙点が低いということがよくわかるだろう。そんな点があるのかどうか知らないが。やっかいな装置だと思う。何故なら、そんな涙をうっかり見られてしまうと、誤解されてしまうことがあるからだ。涙はアクセサリーになるらしい。感受性が強いんだね、とか心が優しいんだね、なんちゃって。
ありえない。嘘泣き。

 なんだか書き足りない。まとまってない気がする。のではなくてまとまらない。痛いのと泣くのとを一緒に書いたからいけないのだ。だけどもう時間がない。今日はこのまま。

 あ、心が痛いっていうのは・・・。
またいつかにしよう。
急いで結論づけるものじゃないし。



  粋な黒塀も見越しの松もないけど
2005年02月20日(日)  

 え〜 おかみさんへ〜 ご新造さんへ〜
 いやさお富、久しぶりだなぁ・・・

 そういうお前は・・・

 っていうか、私が久しぶり。
なんだかよそんちにいるみたい。
お邪魔します。

 本当にお久しぶりになってしまいました。
皆さまお変わりありませんでしょうか?
昨日の朝は雪が積もっていて驚きましたね。
また滑って転ぶのかと思うと、表には出たくありませんでした。
私、雪道ではかならずすって〜んとハデに転びますので。^^;

 それにしても、こう間が空くと、どういうことを書いていいのかわからなくなるのですね、私。退化?

 ことの顛末は先週ずずず〜いっと書いたので、おわかりいただけていると信じておりますが。(笑)

 おかげさまで少しずつ良くなっております。
ホカホカカイロってやつ、腰に貼っていたのですが、ようやく今日あたり、その温かさを感じるようになりました。
それまで、何にも感じなかったんですね、神経が麻痺していたみたい。

 へっぴり腰でおりますが、中途半端な前傾姿勢などとらなければ、何とかお淑やかに動けるようになりました。
ご心配おかけして申し訳ありませんでした。
掲示板もすっかり遅くなってしまったし。

 アクシデントってどこにでもありますね。
自宅の階段が凶器になるだなんて、あたしゃ知らなかった。

 過ぎた昔を 恨むじゃないが
 風も泌みるよ 腰の跡
 愚痴はよそうぜ お富さん

 皆さまも、くれぐれもお気をつけて。
私ほどおっちょこちょいな方もいらっしゃらないでしょうが。

 先週は、最低限の家事しかしていなかったので、お休みになってみるとやはり気になるのは家中のほこり。あれもこれも後回しにして休息に努めていたツケといいますか、週末のおやすみはその支払いなど少〜しずつ。

 なのでなので、気がついたらもう23時になろうとしています。
お、そうこう書いているうち、だんだん書き方を想い出しました。
ですが、今日のところはやめておきます。
ごめんなさい。(笑)

 今週は、もう少しイキのいいあたしになっていられるかと。(希望します)
皆さまご無事な一週間を♪


 え〜 おかみさんへ〜 ご新造さんへ〜
 いやさお富、久しぶりだなぁ・・・

 そういうお前は・・・

 っていうか、私が久しぶり。
なんだかよそんちにいるみたい。
お邪魔します。

 本当にお久しぶりになってしまいました。
皆さまお変わりありませんでしょうか?
昨日の朝は雪が積もっていて驚きましたね。
また滑って転ぶのかと思うと、表には出たくありませんでした。
私、雪道ではかならずすって〜んとハデに転びますので。^^;

 それにしても、こう間が空くと、どういうことを書いていいのかわからなくなるのですね、私。退化?

 ことの顛末は先週ずずず〜いっと書いたので、おわかりいただけていると信じておりますが。(笑)

 おかげさまで少しずつ良くなっております。
ホカホカカイロってやつ、腰に貼っていたのですが、ようやく今日あたり、その温かさを感じるようになりました。
それまで、何にも感じなかったんですね、神経が麻痺していたみたい。

 へっぴり腰でおりますが、中途半端な前傾姿勢などとらなければ、何とかお淑やかに動けるようになりました。
ご心配おかけして申し訳ありませんでした。
掲示板もすっかり遅くなってしまったし。

 アクシデントってどこにでもありますね。
自宅の階段が凶器になるだなんて、あたしゃ知らなかった。

 過ぎた昔を 恨むじゃないが
 風も泌みるよ 腰の跡
 愚痴はよそうぜ お富さん

 皆さまも、くれぐれもお気をつけて。
私ほどおっちょこちょいな方もいらっしゃらないでしょうが。

 先週は、最低限の家事しかしていなかったので、お休みになってみるとやはり気になるのは家中のほこり。あれもこれも後回しにして休息に努めていたツケといいますか、週末のおやすみはその支払いなど少〜しずつ。

 なのでなので、気がついたらもう23時になろうとしています。
お、そうこう書いているうち、だんだん書き方を想い出しました。
ですが、今日のところはやめておきます。
ごめんなさい。(笑)

 今週は、もう少しイキのいいあたしになっていられるかと。(希望します)
皆さまご無事な一週間を♪



  蒼穹の昴
2005年02月16日(水)  

 このサイトの名前、プリズンホテルは、大好きな小説家、浅田次郎さんの小説のタイトルから無断拝借したものですが、ようやくホテルオープン一年以上も過ぎて、浅田次郎著の小説の感想文などUPしました。

 一昨日の水曜に書いたものなのですが、たまにはここでPRでもしようかなと思いまして。

 やはりこの作品からということになりますかね。というとプリズンホテルじゃないの?と思われそうですが、長い間に一番書きたかったものは、プリズンのようなものではなくて、どちらかというと、『地下鉄(メトロ)に乗って』だとか、この小説だったそうですので、こちらにいたしました。

 よろしかったらお付き合いいただけると、とても嬉しいです♪
メニューの Reading の中においてあります。

 では皆さま、痛くない、素敵な連休を。(笑)




  つまりもう何もするなってことね
2005年02月13日(日)  

 三連休はあと一日ありますし、連休でなかった方も明日はお休み。
きっと・・・、楽しくお過ごしのことと思います。
あ、今は深夜の3時です。
もう皆さん寝ていらっしゃるんでしょうね〜

 私は何かまた眠れなくなってしまって、ここにこうしております。
ん〜っとに私はばかでまぬけでとんまであほだと思うのです。
昨夕、一昨日転んだときに痛めた左の腰をかばっていたら、なんと今度は右の腰を捻ってしまい、軽く腰椎捻挫です。

ひえ〜!
っていうより、ひ〜〜〜〜〜!って感じ。
盆と正月一緒に来たみたい。

 なんだかまたハイになってしまってパソの前に座ったものの、立てないんですね。
あさっては一体どうなっちゃうんだろう。

 あ、そういえば。
職場の友に、右手の腱鞘炎にかかってしまったひとがいるんですが、彼女は本来右利きなので、本当に不自由そうです。

 例えば納豆をかき混ぜるとか、とろろ芋をすり鉢でするのに、左手でやろうとすると、カクッカクッとなってしまうといっていました。
手が円を描かず、直角に動いてしまうんだそうです。
そんな単純な作業でも、大変なんだなと感心(?)しました。

 私は左利きですが、左腕が曲がらなくてもけっこう同じことが右手でできちゃったりします。
これ、今回のことで発見したのですが。
だから仕事でパソを使うときには何の支障もなくて、助かったみたい。
よくよく考えたら、かき混ぜる系はどちらも大丈夫ですし、たぶん生まれつき右利きで、右手しか使ってこなかったというひとより不便はないのだと思います。
ゲイは身を助けるのかも。
あ、左利きってゲイじゃないか。
あ、それにあたしもゲイじゃないわよ。
何をいってるんだかわからなくなりましたが。

 で、今回のことでもうひとつ発見したのは、私の場合は何をするのにも最初の一歩、踏み出しの一歩は左足であるということです。
今更知るなんて、いかに意識していなかったかですね。
でも、それが右の腰に非常に響くんですね。
これ、癖なのでついついやってしまうのですが、その度にひー!っと息が止っております。

 あ、またくだらないこと書いてますね。
すみません。
それにしても、そろそろ落ちないとね。
なんかこう、眠れないのに何もしていないと落ち込んでいきそうで・・・。

 こういうの、イーシャンテン地獄のくせに、危険を省みずにドカンと振り込んでハコになったっていうんですよ、きっと。

 素敵な日曜を☆



  イーシャンテン
2005年02月11日(金)  

 麻雀で、手牌にあと一つ調度良い牌が来るとアガリ、という状態のことをテンパイといいます。よくテンパるなんていうのを聞いたことがおありでしょう。それまでに誰からもポンだのチーだのと鳴いていなければ、リーチをかけることも出来るし、もちろんヤミでひっそりと待つこともできる状態です。

 で、イーシャンテンというのは何かというと、そのまたあと一つ手の中に調度良いのがくると、そのテンパイになれるという、テンパるもうひとつ前の状態のことです。

 ところが、なかなか思ったような牌がこない。手の中の状態が整ってくるということは、他の三人も同じような状態かも知れないし、誰かはとっくにテンパっているのかも知れないとなると、捨てる牌にも気を使わなければならず、そうそう思うようにはいきません。

 そのイーシャンテンが何度も続くことがあります。良い感じになっていたのに、誰かが先にアガってしまうとか、反対に誰も上がらず流れてしまったりとかが続くことがあるのです。

 するってぇと、だんだん嫌になってくる。(爆)とてつもない良い手で上がられたのなら諦めもつくのですが、そういう時に限ってまた、誰かがやっすーい手で上がったりするもんだから、余計にストレスが溜まってくるわけです。その状態を何とかしたいと思うのに、どういうわけだか次もその次もそんな感じ。結局お終いまでそんな風に何もできずに、フラストレーションが絶頂のまま続く時のことを、イーシャンテン地獄といいます。(爆)

 麻雀をする方には覚えがあるのではないかと思います。
えっと、もう前ですが、お友だちの掲示板にイーシャンテンと書いたら、意味を教えてと返信があったので、ここに書いてみました。



 一昨年あたりに坐骨神経痛というので腰を痛めて、しばらく腰が痛かったのですが、痛みが薄らいだなと思っているころから、今度は膝が痛くなりまして。膝を曲げると何だか膝の裏側が痛いわけです。なんだかお婆さんみたいですが、膝の中の方が引っ張られるような感じがありました。

 その頃腰はもうなんともなかったのですが、どんどん膝の状態が悪くなり、父の葬儀の頃には、正座することができませんでした。左側だけなのですが。気になりつつ過ごしていたのですが、お医者に行く時間もなくて。

 そして、今からひと月くらい前には、何だか一日が終わると左側のふくらはぎの筋肉がやけに張った感じがするのですね。特に沢山歩いたとか、運動をしたのでもないのに。そうこうするうち、その張った感じが朝からするようになり、だんだんひどくなってきて。

 ある夜、あまりにそれがひどいので、ジーンズの裾を上げて我が脚を見てみると、なんとなんと!左の脚が右の足の倍ほども膨れ上がっているじゃありませんか!

 それはもう、浮腫んでいるというより、パンパンで。よく見ると、腫れにともなって全体の皮が引っ張られているので、ツヤツヤのピカピカ!(爆)まるで臨月の妊婦さんのお腹のようなのでありました。
 なんじゃこりゃ〜!って、松田優作じゃありませんがね、そう思いました。翌朝には少しおさまっているのですが、やはり張った感じは取れないし、それに少し痺れもあって。

 整形外科の先生から、それは腰から来ているといわれて、ようやくかかりつけの鍼の先生のところに行きまして、鍼やら温灸やらテーピングをしていただいて、日に日に良くなっておりました。もう膝なんか曲げても何をしてもちっとも痛くないし、あんなに腫れあがったむくみもほとんどなくなり、だんだん自分の脚に戻ってきたなと、ようやくこれで私も五体無痛〜♪なんて、今朝思っていたのです。

 このところ、保温をかねて腰痛のコルセットをはめていたので、それも効をなしたのかも知れません。このコルセット、ご存知ですか?背骨の両脇あたりに、幅三センチくらいの厚い金属の板が入っていて、それが腰を支えるのでとても楽なのですね。背筋の変わりとでもいいましょうか。

 今朝はるんるん、やっと私もリーチだわ♪なんて思いつつ、両手に荷物を抱えて階下へ降りていきました。

 で、足を滑らせて階段の上に転びました。っひ〜〜!!!痛いの何の!!!両手に荷物を持っていたので階段の角がもろに腰を直撃。それに肘も打ってましてしばらく声も出ず、動くことも出来ず、固まっておりました。あ、痛い〜痛い〜って何度もわめいておりました。

 仕事に行かなくちゃならないのに、痛くて体が動かないのですね。どのくらい伸びていたかしら?少〜しずつ動かしながら、脊髄や神経系統は大丈夫そうだなと、筋肉を傷めた感じだなと思ったのですが、何も出来ないくらいに痛くて。やっとやっと起き上がって、靴を履こうとしたらブーツなんか、かがめないからファスナーが出来ない。左腕は曲げることも出来ないし、仕方がないので、スニーカーを履いて・・・と。

 こう、スリットの入った黒いタイトスカートに、スニーカー履いてるの、たぶんあたしだけだと思いつつね。だけどどうにもならないです。動かせるのは膝と右腕だけ。体を真っ直ぐにしたまま上下することしか出来ないので、花魁道中のようにおそるおそる歩きながら、バッグに入っていた鎮痛剤をとりあえず口に放り込み、なんとか水なしで飲みこんで・・・。

 痛かったですよ〜 ほんとに。歩きながらなんだか情けなくなって来ました。やっと膝も腰も良くなってきていたのに。一体なんだろう、これって、そうこう思ううち腹が立ってまいりまして。なんかこう、ばかやろーとか叫んでそこいら辺にあるものを蹴っ飛ばしたいくらいなのに、痛くてそんなことも出来やしない。(爆)実に腹立たしいじゃありません??

 でもいつもの倍も時間をかけて歩くうち思ったのですが、これ、ちょっと打ち所を違えば大変なことになっていたなと。脊髄損傷だとか、脳挫傷だとか、まぁ考えれば考えるほど色々浮かびまして。私の場合、あとでよく見ると、コルセットの金属の部分に直撃したので、それがくっきりと線がつくほどに曲がってしまっていたのですが、それがなかったらと思うとぞっとしないです。裂傷は免れなかったでしょうし・・・。

 で、これで済んで良かった、とようやく思うにいたりました。早い話が打ち身ですから。職場の皆さまも本当に親切、優しくしていただいたので忙しい今日の日も無事に終わることができました。ほとんど座ったきり、なるべく動かなくてよい状態にしてくださって、本当にありがたいことでした。

 それなら早く寝ればいいのにと思われそうなのですが、実をいうと寝るのが怖くて、ただ今深夜2時過ぎです。(笑)転んだとき、頭も打っていないですし、首の筋肉やら、思わぬところに力が入ったと思うのですね。それに一日無理な姿勢でいたので、どこか無理があったと思うのです。実は、一度寝てしまったら、朝にはどうなっているのかと思うと、それが怖くて寝られない。ですのでこうして牛の涎のように、なが〜なが〜と書いているわけなのです。実はけっこう痛いんですが。(自爆)

 皆さまもお気をつけになってくださいね。もしあの時・・・、なんて考えても仕方のないことかも知れませんが、家の中の階段でだって、立派な事故につながりますし、本当に身をもって味わいましたね、こういうの。(あ、前にも階段で転んだんだけど、その時は上るとき・笑)

 あ、精神的には大丈夫です。決めたんです。これでもう厄は落ちたぞ!と。はい、あとはもう矢でも鉄砲でも持ってきやがれ、すっとこどっこい、てなもんです。それで済めば痛いのなんかなんでもねぇや、というかんじ。これがダメ押の一発でしょうか。いや、ほんとうにそう思えちゃって。

 でね、やっと腰もよくなり、膝もよくなり、もうすこしという所でまた振り出しの私。実はこういう状態のこともイーシャンテン地獄ともいったりするのでございますよ。




  (* ̄m ̄ ) っぷぷ。



  Sans toi mamie...サン・トワ・マミー
2005年02月06日(日)  

  二人の恋は 終わったのね
  許してさえ くれないあなた
  さようならと 顔も見ないで
  去っていった 男の心
  たのしい 夢のような
  あのころを 思い出せば
  サン・トワ・マミー
  悲しくて 目の前が暗くなる
  サン・トワ・マミー

           街に出れば 男が誘い
           ただ意味なく つきまとうけど
           このあたしが 行きつくとこは
           あなたの胸 ほかにないのよ
           サン・トワ・マミー
           風のように 青空をさまよう恋
           サン・トワ・マミー
           さびしくて 目の前が暗くなる
           サン・トワ・マミー

サン・トワ・マミー
日本語訳/岩谷 時子 作曲/アダモ うた/越路 吹雪




 神様が、もしも一曲だけ、とても上手にうたをうたえる力を下さるとしたら、私はこのうたをうたいたい。

 私の職場にはカラオケ好きな年配の方が沢山いらっしゃる。先輩たちは定年間近な年齢なのだが、何故かそれぞれの方の趣味は偶然にもカラオケで、ちゃんと先生に習いに行かれ(全然違うところで)、特に女性は、年に数回の発表会には素敵なドレスやウィグまで用意して望まれるという本格的な力の入れようだ。

 だから、というのではないのだが、職場の忘年会にカラオケはつきもので、毎年必ずそんな皆さまの歌声を聴かせていただくことになる。お一人お一人のレパートリーはそれほど広くはないのだが、それは本当にとても上手で、あとからうたう私たちは、なんだかもうとても恥ずかしくてヤケのやんぱちにならないとうたえたものではないのである。

 一人の方のレパートリーに、越智吹雪さんの曲がある。その方のうたううたは『ろくでなし』なのだが、越智吹雪さんは私の母がとても好きで、子どものころ、時々テレビでお見かけしたことがあり、なんだか馴染みがあるような気持ちだ。

 記憶の中の越智さんは、綺麗な両肩を出した華奢な体を、キラキラと光る白いドレスで包んで、斜めにつまむようにしてマイクを持って、少しだけ揺れながらときどき目を閉じて、だけどいつも甘く微笑んでいて、粋でせつなくて自然で軽やかだ。

 あのころ、越智さんがおいくつでいらしたのか知らないけれど、同じような年齢(らしき)の歌手を見ても、おばさんとしか思えなかったのに、歌詞のほかになにも鎧わない越智さんは、とても素敵な大人に見えた。

 テレビをうっとりと見つめる母の横顔のむこうで越智さんは、さながら天空の彼方からふわりふわりと浮遊しながらおりてくる真っ白い羽のようで、ああ、なんて素敵なんだろう、歌の意味などわからない子どもの私もなんだか魅入られていたのであった。

 ある年の忘年会で、私はどうしてもこのうたが聴きたくなり、その方にお願いしてうたっていただいた。あまり練習していないけど、と言いながらもうたってくださったそのひとを見ながら私は一緒になって口ずさんでみた。

 おや?と思った。始まりは微笑みで、途中まで軽やかに口ずさむことができたのに

  たのしい 夢のような・・・

 ここの部分になったら、ダメだ。どうしても顔がひきつり、そのうちにゆがんでしまい、口ずさむことさえできなくなってしまった。それは音程が苦しいとかテンポが難しいといった歌うことの技術ではなくて(テクなどもちろんないし、難しいには違いないのだが)、この部分になると一瞬にして涙がいっぱいにあふれて、顔がゆがむほどに泣けてしまうのだ。

 それから口ずさむのはやめて、ただそのひとを眺めていた。この感覚はなんだろうと思いながら。今まで生きてきて、このうたに何かあっただろうか。いくら考えても想いだせるのは、素敵な越智さんの羽のような軽やかさだけで、私自身に重なるものは何もない。それなのに一体どうしたことだろう。

 それから、ときどきこのうたをひとり口ずさんでみることがある。あれから何年たっただろう。ふといきなり口ずさんでみるのだが、心がどんな時であっても、同じ箇所に来ると顔がゆがんで涙があふれる。これってどういうんだろう。私はふわりふわりと舞いおりる柔らかな羽にはなれなくて、雨に打たれて泥水におっこちたぐちゃぐちゃの羽だ。ああ、とってもみじめなのである。

 そういえば、忌野清志郎がこの曲を歌ったことがあった。日本がまだ景気の良い頃、ノエビア化粧品という訪問販売の化粧品メーカーのCMがあって、女心が綴られた色々なうたを、その曲の持ち主ではないほかの誰かが歌うのが、ハイセンスなイラストの後ろに流れていた。歌い手はみんな男性で、歌唱力のあるダミ声やしわがれ声と、せつない女言葉はとてもよく合っていて、それはそれで斬新で愉しみだった。その中に忌野清志郎のサン・トワ・マミーもあって、おお、それはそれでナイスと思った。偉大な岩谷時子さん。だから私には歌えるのじゃないかと、安直な素人の私は脳細胞まるだしの単純さで思ったのだが、いつになってもやっぱりだめだ。ブラボー、忌野清志郎。一体なんだろうこれって、わからない。因幡晃の『わかって下さい』や、五輪真弓の『恋人よ』は、何とか最後まで口ずさむことが出来るのに。せめて口ずさむだけでもいいのだが、どうやったらできるようになるのだろう。これを書き終えて、歌詞を眺めながら口ずさんでもやっぱりダメだろう。明日もあさっても、おそらく来年もさ来年も顔がゆがんでしまうだろう。

 たぶん、こんなうたを越智さんのように微笑みながらうたえるようになるのには、うたそのものを習うよりもっと違う何かが必要なんだと思う。技術とは違う何か。そう、私にはまだ年季が足りないのだ。ひととして、女として、大人としての年季。この曲を口ずさむたび、ああ、まだまだなんだなあたしって、そう思い知らされるうたなのである。



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