momoparco
  ガセネタ一番、電話は二番
2004年11月27日(土)  

 怒涛のような一週間、というほどでもないのですが、今週はアッ!という間に終わってしまいました。
火曜日は休日で、とても楽しい一日を過ごし、後はもう坂道を転がるような忙しさ。

 寝たと思ったら朝が来て、また寝たと思ったら朝が来て、その繰り返し(爆)というより、忙しさに供えて強制早寝週間でありまして、プライベートな時間を全てベッドの上で過ごすように生活を矯正していたのであります。
まぁ、恰好良く言えばセルフコントロールってやつ。って、要するにただの怠惰かもね。(笑)そのおかげで留守がちになり、掲示板へのお返事も遅くなってしまってごめんなさい。

 でも一つ発見したのですが、た〜っぷり睡眠を摂ると、翌日のスタミナが違うことはもとより、なんと目がスッキリしています。
視界もクリア、眼精疲労なんてどこ吹く風で、とっても快適。これは身をもって味わいました。まんざら捨てたものじゃない目、ということを。(笑)


 ところで、何です、オレオレ詐欺。いまだハバを効かせているようで。周囲でもその話は聞くのですが、昨夜どこかの日記を読んでいて、笑ってしまったのですが。

 何でも筆者は会社の同僚と飲んでいたらしい。しかしこの同僚が途中からとても気分が悪くなり、とてもじゃないけど飲んでいられない状態、というより眩暈がひどくて立ってもいられない状態に。

 時間も時間だし、近くのお医者さんはもうやっていないからってんで、救急病院へと連れて行きその場で入院とあいなって。
で、この方、同僚の家族へと連絡するために電話をかけたらしいのですが。
途中で電話を切られちゃったんですってさ。その後は何度かけてもお話中。ようやく電話が繋がると、なんとこの同僚の奥さん、オレオレ詐欺電話だと思って、入院先の病院へ問い合わせの電話を入れていたらしい。(笑)

 何だかねぇ、この奥さんの気持ちも分からなくはないんだけど、途中で切っちゃうこともないだろうに。とひとのことは言えない私。けっこうセールスの電話なんかにはとりつく島もないほど冷たいもんねぇ・・・。

 おかげで親切なこのひと、ずい分やきもきしちゃったんだそうな。そりゃ困ったろうなぁ。家族の心配を思うばかりに連絡を入れているのに、途中で切られちゃったり繋がらなくなったりと。急を知らせる電話が通じないと、その時間ってとても長く感じるじゃありませんか。お気の毒。

 そんなのを読んでいたら、2〜3日前に読んだ新聞記事を思い出しまして、どこかの地域ではこの詐欺に騙されるのを防ぐために、警察官が一軒一軒電話をして注意を呼びかけているそうな。

 ・・・、何か馬鹿みたいだと思いません?(爆)んなことしたってそれも詐欺だと思われそう。第一そんな手間ヒマかかることをするより、ガスは正しく使いましょうのステッカーみたいなものを電話の近く、目に付くところに貼るようにして配った方がよほど効果がある気がするんだけど。詐欺にかからない十か条とか書いて。

 なんかこう、やること暢気だよね。大体、相手が振込み先の口座を指定して来ているのだから、そこから手がかり足がかりにはならないのかな。銀行もボケっとしてないで協力しなくちゃしょうがないでしょうに、ヤラレッパじゃ脳がなさ過ぎ!なんて思うんでありますよ。最近は、被災地への寄付だと偽ってお金を騙し取る一味もいるとか。一回誰かが捕まって徹底的に痛い目を見ないと終わりがなさそうですね、この詐欺事件。

 で、明日も私は不在になります。(月末だし・泣)
皆さま、どうぞお気をつけて、そして良い週末を♪



  考えるおあし
2004年11月22日(月)  

 ピン札は何故かもったいなくて使えない。収集家でもないのに、それは財布の中の奥の方にしまい込み、もう折り目がついたり汚れたりしているお札の方から先に使おうとする癖がある。お札の価値に変わりはないし、財布の中にある限り、いずれ使ってしまうことになるのにである。そんな癖のあるひとは、他にもいらっしゃるのではないかと思う。あれは一体どういう心理か。

 最近新しいお札が出回っている。今までのお札と色味が似ていて、二千円札のような間違いは起こりにくいだろうと思う。この新しいお札の、しかもピン札は尚更に使いがたい。まだ珍しさも手伝って、貴重なもののように見えてしまうのだ。

 本物の収集家なら、新しいものなど見向きもしないことだろう。新しいものが出れば、旧札の綺麗なものが貴重になってゆくのだから。よく考えたら、お札なら新札も旧札も関係なしに、ピン札に弱い。一体何故かと思うがよくわからない。意味もないのに貴重なものに思えてしまうのも更にわからない。

 しかし今、一枚のお札を見つめて考え込んでしまう私がいる。これは親父の引き出しに入っていたヘソクリの中にたった一枚混じっていた、旧札のその前の一万円札である。何故かわからないがそれを見つけたとき、私はすかさず失敬して自分の部屋にしまいこんだ。深い意味もなく。
さて、一体これをどうしようか。



  眠たい病
2004年11月20日(土)  

 どうやらコレに罹っているようでして、Diaryの更新もなかなか。
もとい、Diaryだけじゃなくて、全体に更新が止りそうな勢いといいますか。
何かこう、コンスタントに更新していないと、どうかしちゃったんじゃないかとご心配をおかけするようで申し訳ないのですが、ただ単に夜になると眠たくて眠たくて仕方がないという病です。

 だいたい、仕事から帰って来た時点ですでに眠いわけです。それが8時を過ぎると更に眠くなりますが、さすがに夜の8時に眠りにつく生活は無理。食事をしたりお風呂に入ったりと色んなことがありますから、あれやこれやとするうちあっという間に10時にはなります。その頃にはもう眠たい病は絶頂点に達していて何だか苦しい。(なんだソレ)。で、それを我慢していると、ある時点を過ぎたときにいきなり復活!するのですね、それはもう長い間のネット生活でわかっているんですが。復活しちゃうと2〜3時間ハイになったみたいになる。(爆)でも翌日がひどい状態になるということも、もう嫌というほど身に沁みているわけですね。

 で、ここんとこ、私は考えていたわけです。何で我慢をしなくちゃならないか。(爆)たまにね、眠いのにDiaryを書き出すことがあるワケです。それは、その日一日の中で浮かんだあれこれなわけですからその日の内に書いてしまいたい、ある意味今が旬、というものなのです(私的には)。
で、そういうものを書き留めておこうと思うわけですが、どうにも眠くてまとまらない。だいたい、私の書くものまどろっこしいほど長いわけですから、なかなかまとまらないワケです。だったらもっと簡潔にしなさいと言われてしまいそうですが、それが出来ないところに私らしさがあるワケで(マテ)

 書きながら、ここはそうじゃない、それは違う、なんて何だかこだわりつつある私がいる中に、『眠い・眠い・眠い ( えこー ))))))))))))))))』と耳元で囁く悪魔がいるワケです。(そういう言い訳はいつものことですが)。
最近はその悪魔(睡魔といいますね、世間では)に素直に負けているのでありました。

 でも、これ何でしょうね。いくら早く寝ても朝はやっぱり眠たいの。一日のうちで、眠くない時の方が少ないみたい。昨夜もTVで『もののけ姫』をやっていたのですが、途中であえなくギブアップ。早々にベッドに入ってしまいました。で、そこで少し本を読むわけです。これはもう赤ちゃんが寝る前におしゃぶりをすると同じく私にとっては儀式なワケで、どんな時にも本を開く。まだ余裕がある時はずいずいと読んでしまうこともありますが、と〜っても眠い時には、薄れゆく意識の中でものの2〜3行で眠ってしまうこともあります。なんて、話がソレてしまいまいしたが、このところそんな日々です。

 お天気ですね。
皆さま、良い週末を♪



  フルコースより納豆
2004年11月18日(木)  

 昨日は18年ぶりに小学校の時の友人と会った。私たちが小学生の頃、彼女と私の家ははす向かいにあり、一緒によく遊んだ幼馴染だ。中学はそれぞれ違う学校へ進学したのでその後は近くにいながらもなかなか会うことはなくて、そのうちに彼女の家が引越しをしたために会うことは更になくなっていた。母同士も時々近況を伝え合う間柄だったし、彼女と私も手紙や年賀状のやり取りはしていたので消息が途絶えることはなかったが、それにしても久しぶりだ。

 懐かしさもあるが、私は彼女に対してある種の印象を持っていて、それが年月と共にどんな風に変わっているだろうという期待のようなものがあった。何故そんな期待をしたのかというと、彼女と最後に合ったときは彼女の兄上が結婚をして間もない頃で、まだ彼女や彼女の姉上が一緒に暮らす家に入ったお嫁さんを、私は何となくだがとても偉いと思っていたので、彼女がそのひとのことを『気のきかない嫁』だといっていたことが印象深くてずっと記憶から消えないでいたからだ。それから18年、年月を重ねて小姑が二人もいる家に入ったひとの気持ちは彼女も察することが出来る年になっているだろうと思っていた。

 しかし、何だか違った。待ち合わせの場所ではすぐにお互いを見つけ出すことが出来たし、元気そうな姿で懐かしい気持ちになったのだが、歩きながら

元気だった?
元気よ

という話の次に
『おばさんもお元気?』と聞いたとき彼女は
『早く死ねばいいのよ』といった。

 彼女に初めて結婚話が出たときに、彼女の母上が相手の親のことを気に入らずこの話をぶち壊したことがあったが、それからしばらくして彼女は高校時代の同級生と結婚、そのときは幸せの絶頂にいるという手紙をもらったのだが、8ヶ月で離婚した。彼女は上辺だけしか相手を見ていなかった。
それから彼女はひとりでいる。

 今、彼女の母上は彼女のことがいつまでも心配で、あれこれ五月蝿く口を出しては親子喧嘩が耐えない様子だ。それに母上には少しずつ痴呆が始まり、ときどき言うことが支離滅裂になり、近所のひとたちにもあることないことを言い回ったりするらしい。大変そうではあるが、母上の年齢を聞くと驚くことにもう80にもなるという。子どものころにも、他の友達のお母さんよりはずい分年が上のような気がしていたが、正確な年齢など知らなかったしまさかそれほどだとは思ってもいなかった。その年齢になって痴呆でないひともいるが、それは仕方のないことだと思う。

 それからずっと、彼女の話は母上の悪口ばかり。心から面白くないというのが見える話しぶりはまるで私に喧嘩を売るようで、母上のことの八つ当たりをみんなぶつけるような感じだ。

 とにかく18年ぶりなのだから、順を追って話してよ

 そう思ったし言ったのだが、そんなことはおかまいなしに母上に対しての『苦労』は次から次へと終わりがない。その言い方があまりにも憎憎しげで、私としては楽しくはないし、言っちゃ悪いがその『苦労』は大したことじゃぁなかった。

 なるべく穏便に生活が出来るように、それとなくおばさんが病気なのはおばさんのせいではないのだから仕方のないことや、お嫁さんが面倒をよく見てくれていることに感謝すればよいことや、彼女は気ままなひとり暮らしをしているのだから、上手く接するようにすればいいのじゃないかというようなことを言ってみるのだが、助言など全て面白くないらしく、余計に喰ってかかられる。

momo ちゃんに何が分かるのよ?
お そう来るか。

 断っておくが、この日彼女は私のことはなに一つ聞いてはいない。それはそれでかまわないし、父が亡くなって日が浅いことで何をいうほど私もヤワじゃない。

 ねぇ、-新宿の母-って知ってる?

 唐突に彼女がいうその名前くらいは知っている。新宿にいる有名な占い師のおばさんのことだ。とてもよく当たるというので恋愛に悩む相談者が後を絶たず、行列が出来る占い師らしい。私はそういうものはハナから当てにしないたちなので、占ってもらおうなんて思ったことは1度もないが、彼女はそこへ行って来たらしい。そして自分と母上の相性を見てもらったら、それぞれの生年月日を見て、とても相性が悪いからつき合わない方がいいと言われたのだと鬼の首でも取ったように言った。

 だから、私はお母さんのことはもういいの、何にもしないし一緒に暮らしているわけじゃないからせいせいしてる。楽で幸せよ。ただ今一番の悩みは、お母さんとは絶対に一緒のお墓に入りたくない。そのためにはどうしたら良いかってことだけ。

 ダメだコイツ。まず先にすることは、そんな占い師の所へ行くことじゃなくて、母上を病院に連れて行ってあげることじゃないかと思ったが、その頃には私は彼女に何かをいうだけ無駄だと思っていた。

 実をいえば会ってから10分でなんとなくそんな予感がしていた。待ち合わせの場所から食事をする場所へ行く間に、トイレに行きたいと言った私の言葉は無視だった。『何を食べたい?』というのでもなく、さっさと雑誌か何かに載っているレストランのページと今着いた場所を見比べて、『ここだここだ、あ〜いいじゃん』といって入っていく彼女を見たとき。ひととは怖い。ものの10分で何となくだが、彼女の色んなことが見えてしまっていて、それが予備知識のような役割りをもたらしていたのだと思う。

 友達の中には今までにないタイプのひとである。ということは私がまだ世間知らずだということだ。トイレは差し迫っていたわけではないが、何かが足りないと思わずにはいられなかった。違う話題を向けても話はすぐに逆戻り。私も楽しむことは諦めた。ずっと穏やかに話していたがそれ以上不快にはなりたくなかった。

 誰と話してもそんな風なの?
 え・・・?

 沈黙。私は相変わらず穏やかにゆっくりと食事を続けた。場所はみなと未来の洒落たレストラン。休日にはひとで溢れるこの街は、平日は嘘のように空いていてお店にお客は3分の1もいない。ソムリエ風の制服を着たウェイターやウェイトレスの動きも良く言えばゆっくりとしていたが、こんな場所にありがちの値段ばかりが高い店だ。私は話題が変わらない限り話しを続けたくなかったので窓の景色を見ながら静かに食後の珈琲を飲んだ。

 お店を出て少し歩くと、全ての葉がすっかり落ちた木があった。他の木にはまだいくらかの色づいた葉が残っているのに、種類の違うらしいその木はひと際高くて沢山の枝が織りなすさまざまな形ががとても美しかった。

あの木綺麗ね、カメラを持ってくれば良かった
そんなものに目が行くの?

 それからまた会話が始まり、彼女は仕事のことや恋愛のこと、趣味の話をする。徹底的に聞き役に回りながら18年の歳月を思った。多分この先も見えている世界は違うだろう。何もかもが今に始まったことではない。ものの見え方も考え方も、ほんの少しの所作も何もかも。お互いに別な道を歩いて来たのだ。そして多分、彼女も私も次に会うことはないと確信した。

お母さんがあの結婚さえ反対しなければ、私は今幸せだったのに

 そうなんだ、全てがそこにあるのは見えていた。だから何も言うことはなかった。もうそんなことの何を言う年じゃない。まるでそぞろ歩きのように散策しながら、色々な話を聞いて適当な相槌をうち、何となく駅に向かい、『それじゃあ』と言って私たちは別れた。何も残らない再開だった。あまりにも何も残らないことに私は少し驚いたが、そのくらいどうでも良くなっていた。


 帰宅して、喪中の葉書を書いた。10月の終わりにはもう年賀状が売り出され、早い人は早々に書き始めるから、その前に出してしまわなくてはいけないと思っていた。葉書の印刷は出来上がっていたが、平日の休みは全て父の色々な手続きに追われて動いていたので、ようやく落ち着いて宛名書きが出来るようになったのは昨日だった。

 それまで追われていた沢山の事務的な処理は、いつも宿題を抱えるような気持ちで落ち着かず、先週やっと山だと思われていた大きな手続きの申請が終わり、気持ちの上でも気が楽になっていた。

 葉書は。今年は父の分もあり、枚数が多くて時間がかかったが、一通り終えて知人友人にはひと言添えて書き終わると、本当に心底ほっとした。一つ一つの役目をつつがなく終えて肩の荷が下りたような、心が浮き立つような開放感だった。

 それなのに夕食になり、何でもない漬物のきゅうりや、ただの野菜炒めや納豆や、そんなものを口にしながら急に涙が出てしまった。父はとても食いしん坊で、漬物や納豆なんかよりは、懐石やフルコースの方が好きだったのに、法事の席での懐石料理や今日のランチの時には全く思いもしなかった気持ちが湧いて出た。父がいたら、食べさせてあげたいのに・・・。何故きゅうりなのか、何故野菜炒めなのか分からない。ただだたそう思った。

 一通りの書類手続きは楽しいものではなかったが、父のために出来ることはもうそれしかないと思っていて、それを一生懸命したことでまた何か役目を果たしたような気がしていたが、そんなものを一生懸命やっても父は帰らない。同じ一生懸命なら、もっともっと生きていて欲しかった。たとえ管に繋がれたままでも、どんな姿になっていようと、生きてそこにいる、ただそれだけでもいいからいて欲しかったと心底思った。そう思うと止らなくなった。

 父が聞いたら『俺はごめんだ』というだろう。その時は私もそう思って納得をした。それはずっと変わらないと思っていたのに、ほんの少しで気持ちは変わった。こんな風に思うなんて思ってもいなかったことだ。きっと、これからもまた変わってゆくのだろう。一体どんな風に思うのか分からない。今はただ会いたい話したいと思うばかりだ。



  今のひとたちって
2004年11月10日(水)  

 あるいは最近のコたちってわかんないと、そう思うことがしばしばある。
その時私はふと思うのだ。そうやって『今の』とか『最近の』だとかそういう言葉が最初に来るのは、やっぱり年なんだろうかと。
 
 それは例えば、年配の方がしばらく座っていたところから立ち上がるときに、『よっこらしょ』とか『どっこいしょ』だとかいうのと違いはないのではなかろうかと。

 つい最近、私と同い年の友人が、正座から立ち上がるときに、テーブルに片手をついて『あ〜どっこぃ』と言ったのを聞き逃すことが出来なかった。『んも〜、いや〜ん』ってな気分だ。そうしたことはある日ある時音もせずに忍び寄っていて、気がついた時にはするっと通過しているらしい。

 先日私は昼間の電車に乗っていた。車内は比較的空いていてほとんどのひとが座席に腰かけ、立っているひとはまばらな状態。私は空いている座席に腰かけてふと前を見ると、年の頃ならはたちをいくつか過ぎたくらいの女のひとが座っていた。彼女は足を組んで、高くなった方の膝の上にA4サイズくらいの紙を広げて何やら熱心に書いている。仕事に行く途中の大事なメモか下調べでもしているのだと思った。とても膝下が長くて、背の高いコなんだろうと思った。それから私は手元の文庫本に視線を落とした。

 私と彼女の席は電車のドアのすぐ脇だったので、各駅停車の電車では乗降客が一番行き来する場所だから、あまり彼女のことは見えなかったが、ある駅で特急の通過を待つときにはかなりのひとが降りて行き、目の前に誰もいなくなった。

 ふと顔を上げて彼女を見たら、まだ何か一生懸命に書いている。彼女の脚はさっきと位置が変わっていて、書き物の表面が見えてしまった。そして私は驚いた。な、な、な、な、なんと、彼女の書いていたのは履歴書なのだ。

 履歴書なんてこれから仕事をするために、仕事をさせていただけるかどうかお伺いを立てるときに出すものだから、私がかつてそれを書いたときには、テストの答案を書くときと同じくらい緊張したし、慎重になったし、それにある種の思いがあった。思いとは、履歴書を出す以上はその場所に属したいという願望があって、それを叶えたいという思いのことだ。

 だからそういうものを書くときには、一人で落ち着いて、丁寧かつ慎重に、集中して書くべきものと決めていたし、誤字脱字がないように下書きするのは当然。更にもっと字が上手だったら、などと思ったりしながら書いたものだ。こんなところにだって粗相は禁物だと思ったのだ。そしてそれは当然だとも思っていた。

 しかし、目の前の彼女は通勤途中で化粧をする『今の若い子』と同じようになんの緊張感もなくそれをスラスラ書いている。履歴書には住所や年齢だけじゃなくて、小学校の時からの学歴なんていうものを書く場所があり、電車の中は他人がいて、そういうものまで知らない誰かに見られてしまうではないか。いや、もしかして見られても恥ずかしくないような学歴なのかも知れない。もしかしたら、あれはもう父親や叔父のコネで話の決まった仕事先へ、形だけでも出しておくようにと言われ、しょうがないから書いているものなのかも知れない。

 そうだ、彼女はソルボンヌ大卒で、どこかの社長令嬢で、花嫁修業だけじゃなくて、少しは社会経験もあります、というようなことのためにちょっとだけ働いたことにするためだけのものなのかも知れない。だから、履歴書なんてものには願いも重みもないのかも知れない。就職難なんてまったくの他人事なのかも知れない。だから、誰に見られようが少しくらい汚くなろうが、何も困ることはないのに違いない。

 しかし、途中から彼女の隣に座っていた中年の女の人が、彼女が履歴書を書いているとわかった途端、それを横目で熱心に読み始めたときに、一度も彼女の顔を見直さなかったということはきっと大した学歴じゃないんだろう、などとまた思ったりした。

 そうしてそうやって色んなことを勝手に思っている私は、いわゆる『オバさんは思い込みが激しい』と言われるようなことをしていると気がついたりもするわけで、いやはやなんともなのだが。

 こういうのは一体なんだろう。やはり『今の子ってわかんない』だ。そうやって自宅と公共の場所とで同じことがやれるということも、履歴書のようなものを揺れる電車の中で不安定になりながら書けるということもわかんない。

 そうだ!あれはきっと下書きなのだ!とそう思いたかったが、一枚しっかり書き終えた彼女は、鞄の中から朱色で履歴書在中と書かれたお馴染みの封筒を出して、四つに畳んだ履歴書を入れ、裏側の糊のついたシールをはがしてしっかり封をしたのである。

 もしかしたら、履歴書は丁寧に書くなんていうのは実は私だけの神話で、ああやって電車に乗りながら、脚を組みながら、メモ書きのようにちまちまと書いたものだとしても、就職できる子はしれっと出来てしまう、それが世の中というものかも知れない。



  - 肩ごしの恋人 -   唯川 恵
2004年11月07日(日)  

 小説が読みたくて、それも今まで読んだことのない作家の本で、軽くて爽やかになれて、かと言ってドロドロではないけれどひとの心の裏も表もあるような、それは短編ではなくてそれでいて面白い本はないかな、なんて贅沢な気持ちでふらりと立ちよった書店でみつけた小説。

 唯川恵というひとの小説は読んだことがなかったし、どうしてこの小説にしたのか未だに分からないのだけれど、表紙の帯に『第126回 直木賞受賞!』と書かれていたので、退屈はしないかな?なんて無責任な感覚で選んでみただけ。ビデオショップでビデオを選ぶときに『アカデミー賞受賞作』と書かれているものにすると、あまり外れたことがないからとういうような感じです。



 何があっても自分が主役、自分が幸せになるためにしか生きていない。そのためになら誰だって敵に回せるし当たり前にそうして生きている、自分が大好き一番愛しているというタイプのるり子と、何をしてものめりこめず理知的で冷静。およそ女を敵に回したりはしないけれど、自分のことが一番信じられないという萌。

 二人は5歳の時からのつき合いで、るり子はずっと好き勝手なことをし放題。何かにつけて困った時には萌を頼り、尻拭いをさせたり萌の私生活に首を突っこんではかき回したりと、いい加減萌が愛想をつかして大喧嘩になって離れようとしたこともあったのだけど、28歳の今となっては二人の関係は家族に近く、お互いにお互いを放ってはおけないような腐れ縁に情が混じったような関係である。その情は暖かい。もともと女友達のいないるり子にとって、何でも言いたい放題なことを言ってくれる友達は萌しかいなかった。

 物語は、るり子の三度目の結婚式から始まり(結婚相手の信行だってもとは萌がつき合っていた)、披露宴の席で萌は隣に座った柿崎と知り合い、少しずつ深い関わりになっていくのだけど、柿崎は元萌の彼氏で唯一萌がモノに出来なかったという男だ。何故なら彼は、るり子ではなくてもっと条件の良い娘と婚約をしたからだ(そして今は既婚者である)。

 思いがけずに一気に読んでしまいました。軽くて読みやすい、そんな表現がぴったりでした。私は二人のどちらのタイプにも属していないなと思いつつ、どちらかといえば冷静な萌に理があるようでいて、るり子の言い分にも拒否できないものがあったりと。

 愛しているとか好きとかいう言葉は日常に沢山見かけたり聞いたりする言葉だけど、実際に愛しているということはどういうことなのか。誰かを愛していると思っていることは、実は実際は誰かを愛している自分を愛しているのじゃないかということ。好きという言葉にすると勿論そのひとのことが好きなのだけど、好きだという感情で日々過ぎていけるのは、そのひとのことが好きな自分のことが好きだからじゃないかなと。

 その時に、相手のことを愛している、というのと、そういう自分を愛しているという気持ちは混在していて、どこからどこという境界線のようなものはないのだけど、いや実際には境界線があって、だけどそれを気づかないふりをしているのじゃないかというような。そういうことで溢れているのじゃないかというような感覚。

 例えばひとを心配するというのに、その人のことを同じ気持ちになって心配するのと、自分自身が安心したいから心配するというのとの違い。前者なら、いつまでも相手の悩みが解消されるまで気を揉みつつ見守ることができるだろう、でも後者なら早く元気になれなれと悩むより焦りを抱かせるのではないだろうか。包容とエゴの混在、とでもいうか自己愛の強弱というか。それはずっと私の頭の片隅にあった感覚で、この二人の対比で浮き彫りになってようでした。


 一気に読んでしまったのは、ストーリの展開が面白いからというのではなくて、彼女の物の書き方だろうと確信しています。解説で江國香織が『唯川さんの小説においては、ひとつずつの言葉が辞書にのっているときと同じ顔をしてそこにある。普通なら強すぎる印象を与えてしまいがちな言葉もアルファベッドみたいに機能的かつあっさり存在できる』と書いていて、笑ってしまったのだけど、本当にそうだ。そこが最も私に合っていたのだと思う。

 なんとなくだけど、最近面白いとされる小説の文章には、言葉に沢山の装飾をまとわりつかせたような物が多くて、しばしば私は辟易していた。窓ガラスにつたう雨だれは、まるでこらえきれないほどにふくれあがった涙の雫みたいにあとからあとから曇りガラスを泣かせている・・・、みたいなふくらまし方というか表現というか。そういうのを詩的だとか情緒的だとかいうんだろうが、どちらかというとそこまでの描写はこちらの想像にまかせてもらいながら読むほうが好きだ。

 台本を読んで舞台を創る演出家のように、読みながら私なりに舞台を想像(創造)するほうが楽しいので、さして重要とも思われないところにまであまりにもそうした表現が散りばめられていると、食傷気味になってしまうからだ。

 そうしたことは好みだから、だから何だということではないけれど、彼女のストレートな言葉の点在はとても好ましかった。ただ直木賞とかってよく分からない。(笑)もともとどういうのが賞を獲るに値する小説なのか皆目分からないのだけど、読後に充実したぐったりさ加減というのはなかった。大沢在昌の新宿鮫シリーズで直木賞を受賞した『無間人形』や候補に上がった『毒猿』は、とても心地よいぐったり感があったのだけど。



  目です
2004年11月06日(土)  

 しばらく更新が止ってしまいました。
せっかく訪問してくださっていたのに、ごめんなさい。

 この数日、夜になると目の疲れが激しくて、画面を見るのが辛いので、あまりPCの前にいられませんでした。

 皆さまもたま〜にこういうことってありませんか?
特にこのDiaryのような背景が真っ白な画面を見ていると、目が痛くて涙が出て来るようなとき。
そのうちに、黒っぽい背景でも字を読むのが辛くなってしまったり。そういう感じでしたので、チョットおサボリになってしまいました。
(でも今日は本を一冊読んでしまいましたが・・・^^;)

 最近、どうも遠くを見るとぼやけていたりします。そのうちに、それが気持ち悪くて頭が痛くなることが多くて・・・。きっと視力が落ちているのだと思います。はぁ、何とかしなきゃ。

 日中は調子が良いので、明日のお休みはもう少し早目に立ち上げてみます。

 気温が高目で過ごしやすい週末ですね。
明日も良いおやすみになりますように。



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