momoparco
  初セイコー?
2002年12月21日(土)  

 母の初めてのガンセンターでの受診の日には、近くの診療所からの紹介状を持参していたので、総合の受付でその内容は確認されて、改めて婦人科への受診の問診票を書くように渡された。

 母はこの日、近視用の眼鏡をかけてはいたが、老眼鏡を持って来なかったので、字が書き辛いから私に書いてくれという。
そんなことはお安い御用なので、受付の前の大きなカウンターに並んで立ち、質問を一つ一つ私が母に尋ねて答えを書き込んでいった。
初めのうちは、生年月日やら、身長、体重、婦人科なので初潮は何歳か?といったオーソドックスな問診であったが、その次にある質問を見て目が点になる。

初交は何歳でしたか?

ええ?
そういうことがいちいち関係あるのかどうかは、眉唾だと思ったが、とにかくそう書いてある。
私はとにかく、この人の病気を良くしてあげたいという気持ちが強く、聞かれたことには答えなければいけないような気がした。
が、しかし・・・何と聞けば良いのでしょーか!
そんなこと、知ってますか?

私「ええ〜っと、アレはいつ?」
母「え? アレって何?」
私「だからさ、アレよアレ・・・。 初えっち」(爆)
母「ええ? はつえっち? 何それ?」
私「ええっと、だからさぁ〜」
といいつつ仕方がないので、問診票のその質問を母の目の前に突き出す。
母「ええ〜、初セイコー?」
私「そうそう、それそれ、初セイコー」
母「そうねぇ・・・ええっとほら、あんたのアニキはいくつだっけ?」
私「はぁ? 何でアニキの年が関係あるのよ?」
母「だから、結婚して次の年にあの子が生まれたんだから、あの子が生まれた年の前よ」
私「ふーん、アニキを生んだ時には何歳だったの?」
母「えっと、何歳だったかしら・・・とにかくあの子の年より一つ前」
私「ちょっと待ってよ、結婚したのはいくつの時?」
母「そんな事も知らないの?」

私だって、母の初えっちの年なんて、生まれてこの方気にしたこともなければ、考えてみたこともない。
母にしてみれば、なんでそんなことを娘に聞かれなければならないのかと、この時それぞれに動揺していたらしい・・・。
いくら話しても、母は何年前としか言わないし、私は昭和から平成に変わって何年前に母が何歳であったのか、そんな単純なことがすんなりと出てこない。
すると、脇で見ていた案内係りの人が、母娘の騒ぎを見るに見かねたのか、ニコニコ顔で
「あの〜、もしよろしかったらこちらをお使いになってくださいね」
と差し出してくれたのは、なんと年齢早見表。
いや〜〜、そういう問題じゃないんだけど・・・。

母「まぁ、いいわよいい加減で、そんこと。一つや二つ違うからって、どってことないでしょ」
私「ま、いっかぁ〜 適当で。」

 それ以上この質問は深く考えないようにしたが、これは母ぐらいの世代の人にしか聞けない親子の会話ではないかと思う。
その頃の人はまだ、婚前交渉などあまりなかったろうし、まして大抵の人は初セイコーの相手と結婚したのではなかろうか、と思うのだ。
勝手な想像だけど。
もう少し世代の若い人には、そんな質問親子で出来ないわよねぇ。

 仮に、私か母かどちらかの立場になったとしたら?と数人の友だちにこれを話したら、みんなが口を揃えて「困る」と言っていますが。
 
 あなたなら、どうします?



  日付が変わったので
2002年12月20日(金)  

 もう一つ書こう、今日はハイなのね。

大したことじゃないのだが、この頃目が霞んで気持ちが悪い。
これは視力が落ちているせいで、この数年、パソコンに向かう時間が長いせいか、どんどん目が悪くなっているような気がする。
視力は今1.2に下がっている。
もともと視力は限りなく2.0に1.5であったから、この差は非常に不快なもので、かつて見えていたある距離からのあるものが、ぼうっと霞んで見えると非常に疲れる。
焦点がくっきりと合わないのが、これほど疲れるとは思わなかった。
と、このようなことを誰に言っても、それだけ見えていれば問題ないと言われてしまう。

でも気持ち悪いのよ。




  映画っていいですね
2002年12月19日(木)  

 少し前の休日、ジツに久し振りにフリータイムを得てて映画を観て来た。
 急なことだったので、何をする予定もなかったが、最近の引きこもり(?)にはうんざりもしていたので、とにかく外へ出ようと思い、行きつけの映画館のサイトで今何をやっているのか調べていたら、エディー・マーフィーと目が合ってしまった。

 エディー・マーフィーは私にとって、映画俳優の中では格が違う大スターである。
映画好きへ100の質問、の中にも書いたが、彼が画面に出てきてニカっと笑ったら、それだけでもうこれから楽しい時間を保証された気がする。
夢を与えるとはこういうことなんじゃないかと思えるのである。
それは、スターにとっての必須条件ではないだろうか。(笑)

 とにかく、エディー・マーフィーと目が合ってしまい、しかも競演はこれまた珍しく、ロバート・デ・ニーロ、いいでしょ〜(笑)
というわけで『 ショータイム 』を観ることに。

 この映画館は比較的大きくて、館内にいくつ劇場があるかしら。
気力があったら、もう一本観ようと調べていると、デンゼル・ワシントンの、『 ジョンQ 』もやっているし、その日はたまたまレイトショーでトム・クルーズの『 マイノリティー・リポート 』の先行ロードショウもやっている。
どちらにするかで迷った迷った。

 でも、『 マイノリティー・リポート 』はこの先まだしばらくは続くだろうから、今回は『 ジョンQ 』で行こうと思っていたのに、いざ『 ショータイム 』が終わって表へ出ると『 マイノリティー・リポート 』を観るためのお客さんがずらーーーっと階段の下の方までグルグル並んでいる状態。

こういう時、人の心理というか・・・
何だか観ないと後悔しそうな気になって・・・私だけか(笑)
結局あっさりと『 マイノリティー・リポート 』のチケットを買ってその場に並んでしまいましたね。

 映画の話は、いずれ CINEMA の部分にでも書くとして、いや〜久し振りに映画を観て余は満足じゃ の世界でした。

 やっぱり映画はいいですね。
劇場でふんぞり返って観る映画。
迫力と非現実の世界でめぐるひと時の小旅行。
生き返った気がしました。いい気分。
実はもう一本観る気力と体力はあったのに、午後2時過ぎに出かけていったので、これが限界。
映画館で映画がない。
レイトショーは夜9時、10時から始まってもいいと思うのにねぇ。

え?帰りの電車がないって?
ん〜、じゃあ朝まで観よう!




  なんとなく
2002年12月15日(日)  

 母が紹介されてガンセンターへ行った日は、父も同じく別の病院へ行っていた。
父には父の持病があり、その医院から心臓の病気を疑われて紹介された専門の病院への受診の日であったからである。
 まさか母がその場で入院するとは誰も想像せず、母の病気は婦人科系のものであったので、付き添いは女の私がよかろうということになっていたのだ。
 しかし実際には、母はその場で緊急入院をし、父は父で同じ日に検査入院の日が決まったという。
それは母の手術の翌週あたりであった。

 心臓の検査の入院というのは、腕のあたりから心臓にカテーテルを通し、造影剤を送り込んで心臓の血管の働きを調べるもので、この後数時間は絶対安静、仰臥したまま寝返りどころか足の一本も動かしてはならないという仰々しいものである。
 
 父も母同様に、それまで何の自覚症状もなく、一応念のための検査ということで本人だけでなしに周囲も軽く考えていた。

 検査には家族が付き添う必要があるというので、この日も父の病院へつめていたが、本来ものの一時間で終わると言われていたはずの検査は、なんと二倍以上の時間がかかり、それは腕から入れたカテーテルが肩の辺りで止まってしまったせいで、急遽足の付け根からの検査に変更したとのことなのだが、このような時、待っている家族にいちいち知らせは来ないので、何かあったのかと焦燥は深まり、検査の後で母の病院へ顔を出すことになっていた時間がどんどん遅れ、母もさぞかし心配しているだろうと思うと気が気でなくなった。やれやれである。

 そうして、父の検査の結果を聞くために後日改めて医師の話を聞くと、何と心臓の血管は4カ所も詰まり、筋肉の働きそのものが、通常の60%しかないというのである。
つまり、心臓の収縮が健康な心臓より少ないというわけ。
そうして、ここでもまた手術を勧められる。
はぁ、ブルータスよお前モカ。
モカじゃないよキリマンだよ。
なんて、不謹慎な冗談を言っている場合じゃない。
もうほんと、どっと疲れがピークでありました。

 母の病院でもそうだが、この医師との話、インファームド・コンセプトというのは、説明&納得&合意と言えば聞こえはいいが、要するに何で手術をしなくてはならないか、しなければ身の保障はしないよ、という話から始まって、それではお願いしますとなると、手術をするにあたっては、あんな心配やこんなリスクがあるけど納得するね、いいねいいねオレらやるよとまぁそんな聞けば聞くほどこちらがやりたくなくなるような恐ろしい話を沢山した上で、はい、それではここにサインを、となるわけで。
これは非常に疲れるのである。
よくあるでしょ、風邪なんかでお医者にかかって、診察を終わってから、いざ薬を貰って診察料を支払う時になって、そういえば、お風呂に入っていいのか効き忘れたわ、なんてこと。

 まぁ風邪は万病のもとと言いますが、この場合のお話と、命に関わる手術のお話とは緊張の度合いが違い、まして話の内容は普段耳にしたことのない専門用語ばかり。
メモを取るにも、手動漢字変換もおぼつかず、後で疑問を抱いてもこの医師を捕まえて話が出来るのはいつになることやら、という訳で、鬼のような集中力と普段全く回さない頭の細胞を総動員して・・・。

 今回のことで、このような場面が一体何回あったか。
頭は生きてるうちに使えとか言いますが、しばらくはいいやと思っております。




  Lauryin Hill
2002年12月13日(金)  



 このところ気がつくと彼女のCDを聴いている。
リズムが心地いいのね。

 私の音楽の好みはほとんどと言って過言でないくらい偏っていて、
(音楽だけじゃないって?そうかもね)
よくマニアックと言われますが、本当にブラックなものが好き。
たまにそうでないものも聴くんだけど、やっぱりこちらに戻ると生き返るような気がする。
 子供の頃から慣れ親しんだ音楽は、体の中に血となって流れているようで、懐かしい場所に戻って来たような気持ちになれるのです。
つまり、落ち着くってことですか。

 とても疲れて帰って来たのに、何かをしなくてはならない時などは、Funkyな曲に限るし。

 もう一つの月の部屋では、どうしても The Stylistics の”誓い”という曲が流したくて、ある時それが実現したのですが、この曲は知っている人は知っていて、知らない人は全く知らない部類の曲でしょう。
 でも多分、彼らの曲で”You are everything”という曲があって、これはもう同じく彼らの”Only You”と同じぐらい知られているのではないでしょうか?
え?知らない?
ほら、あのビジー・フォーがよく物まねやるあれだってば(笑)

 ところが、この曲を ダイアナ・ロスとマービン・ゲイが二人で歌っているのがあるんですね。
これがね、ダイアナ・ロスがとっても可愛くてセクシーで、あんな風に歌えたら私も歌ってあげたいなんてね。(笑)

 話がそれちゃいましたが、Lauryin Hill いいですよん。




  おひさです
2002年12月11日(水)  

 なんとなんと2ヶ月ぶりのダイアリー。
いくら何でも、こんなに長い間が空くとは夢にも思っていませんでしたが。
なんとかぼつぼつと、少しずつでも手をつけようかな と思い始めた矢先にもう一つの部屋があのようなことになって、真に遺憾であります。(笑)

 向こうの部屋をご覧いただいた方は、ご存知と思いますが、部屋の画像を全てジオシティーよりのリンクで持って来ていたのがよろしくないそうでして。

 ページを始めた頃は、ジオではそのような規則はなかったし、ガイアの画像アップローダーが壊れていたのもあり、いい気になって倉庫代わりに使っていたのが、まぁ要するに同じようなユーザーさんが多くなって制限が厳しくなってしまったということで。
うかつにもそれを知らずにいたために、ガイアックスの方から、アクセス制限を受けてしまったということは、あちらのメニューの細い場所にちまちまと書いたんですが(笑)

 まぁ、この話にも裏があり、微妙に第3者が絡んでいたというわけで・・・。
といいつつ、こちらに非があるのは火を見るより明らかですので、今どうしたものかと考えつつ、といってちょっと面倒だと思ったり。

 私にとってページ作りは、100%遊びであって、それ以上でもそれ以下でもありません。
まして、現実逃避の場所でもないし、ただただ楽しく明るくやりたいと思っていましたので、色々な意味で残念に思っています。
が、すぐにどうすることも出来ませんし、今の所こちらのページは何も言われておりませんので、ひとまずここに書いているわけです。

 本当に長い間ご無沙汰いたしました。
復帰といっても、更新が以前のようにマメ(どこが?)には出来ませんが、しばらくはここでチマチマとやって行こうかなと思っております。

 
 長い間の休止の理由については、特に書いておりませんが、この部屋の上の部分に【過去】というのがありますが、その頃のダイアリーが一つ残っていました。

 その時には書いたものの内容が暗いので、後から消してしまったのですが、この部屋に書いたものは、その場所にバックアップを取っており、同じものを残していたのが、消し忘れたままいたようです。
そちらをご覧いただければ、さわりぐらいはお分かりいただけると思います。

 その後のこともボツボツとこれから書くかも知れないし、わかりませんが・・・。


 この部屋に関しても、いつどうなるかは分からない、明日にも閉鎖されてしまうかも知れないということで、
これは→ここに←作ってあります。
いずれ引っ越してもいいかなと思っております。
ガイアのメニューがないのと、プロフィにちょっといたずらをしてみたくらいですが。(笑)

 なんだか久しぶりに書いたのに、わかりにくくて妙な具合になってしまいましたが、とにかく元気です。
 またよろしくお願いいたします。

 momomoon より




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