momoparco
  ++ Honesty ++
2001年11月27日(火)  

 十三夜の綺麗な月が見えます。
 今日も一日、お疲れさま。

 晴れた日が続き、毎晩すこしずつ大きくなる月が明るく輝いています。
 瞬きをせずにじいっと見ていると、月の回りに青い輪郭が見えてきます。
 綺麗な青い光です。
 そのうちに月がもう一つあるかのように、大きな白い光が見えてきます。
 それから、白い光が月の上下に伸びはじめて、天高くからその白い光が、月を通ってまっすぐ地上に降りてきているようです。

 本当に、たった一度の瞬きもせずに、ただじいっと見ているだけでいいのです。


 このところ少し忙しくて、ちょっと疲れています。
 ゆっくりと音楽を聴いたりする時間もありません。
 でも、何もないのに聞こえて来る曲があります。
 何故か一日同じ曲が、頭の中で流れている事がありますよね。
 今日は一つの曲がメインで、時々ふとした拍子に別の曲が聞こえていました。

 Minnie Riperton の歌った” Loving you”

 ’74年に発売されたアルバム『パーフェクト・エンジェル』の中に収録され、シングルカットされてあっという間に大ヒットした Minnie の ”Loving you ”
 この曲の歌手の名前やタイトルを知らなくても、きっと誰もが一度はどこかで聞いた事があると思います。
 5オクターブ半の声域を持つミニーの、その高音部分がよく通る、小鳥のさえずりをバックに歌う明るいスロー・バラード。
 彼女はこのアルバムから少しして、悪性の腫瘍に冒され亡くなりました。
 病と闘い、死に直面し、どんな悲しみのどん底にいようとも、決してブルースを歌わなかったシンガー。
 「ブルーズは、悲しい感情で歌わなければならない。でも、私はハッピーな人間」
 私がこの曲を知ったのは、中学2年生の時。
 その時にはもう彼女はこの世を去っていましたが、それから随分と彼女の曲を聴きました。
 年長の友人に見せて貰ったこのシングルレコードの表紙には、溶けかかったソフトクリームを片手に持つミニーの明るい笑顔が写っていました。
 この曲と同様に、その一枚の写真も何故か忘れられないものです。

 一日この曲が流れていて、時々聞こえて来たもう一つの曲は Billy Joel の曲でした。
 この曲は、ピアノ演奏だけというのも何度も聴きました。
 でも、今聞こえるのは Billy Joel の歌声です。



 あと少し、忙しさが続きそうで、ページを作るのが止まっています。
 なんとか X’mas の飾り付けだけはしたいと思っていますが。
 みなさま、風邪など引かないように気を付けてくださいね。



  ++ メビウスの輪とクラインの壺 ++
2001年11月25日(日)  

 『メビウスの輪』
 これは19世紀のドイツの天文学者であり数学者のメビウスが発見した、有名な『表裏がなく面が1つしかない立体』です。
 これは『メビウスの帯』とか『メビウスの輪』と呼ばれ、面白い性質を持っています。

 身近にある紙を細長く切り、ひとひねりして(180度ねじる)その端と端をつなぎ合わせると簡単に出来てしまいます。
 表と裏、右回りと左回りの区別が付かない、しかもふちをずっと指でなぞってみると一度も指を離さないで縁をなぞる事が出来、更に帯の上を一回りなぞると裏側に行ってしまい、もう一周するともとの場所に戻ってきます。
 この輪の事は簡単に想像する事が出来ますね。

 端と端を繋ぐ時に、ひねりを入れずにぐるっと丸くした輪なら、二つに切れば二つに分かれますが、さて、この帯の真中に線を引いてハサミで二つに切ってみるとどうなるかご存知ですか?

 ところで、『メビウスの帯』と並んで有名な同じくドイツの数学者の発見した『クラインの壺』を想像する事が出来ますか?
 長方形の紙を筒にして、その端と端をつなぎ合わせるとドーナッツのような形になりますね。
 円筒を輪にした形。

 そのドーナッツをつなぐ時に、一方の端を自分自身に交差させて内側に入れて、もう一方の端につなぎ合わせると『クラインの壺』が出来上がる。
 というのですが、これ読んだだけでは想像し難いですね。
 幾何学サイトへ行って色々見て来ました。
 『クラインの壺』の理解については、あれこれ薀蓄があるようですが、図解やCGIで見ても何となく分かり難いものです。
 ただ3次元空間では、円柱のどこかに穴をあけなければならないのですが。

 形としては、動きも伸縮も柔軟な筒の何処かに穴を開け、その中に筒の端を入れていきます。
 そして、かた一方の端をもう一方の端につなぐには、つながれる端が内側に向かって入り込んで(内側にめくれる)行く形になりますが、そうしてつなぎ合わさった形は”裏表もなく端もない。”
というおかしな立体になっています。

 延々と蛇が脱皮するような、スルスルスルスル入って行くような、抜けて行くような。

 これ、言葉としては、『メビウスの帯』と同様にあちこちで使われていますが、皆さんはどのように理解していましたか?

 ちなみに大辞林では、
 ”二つのメビウスの帯を境界にそってはりつけて得られる、向きのつけられない曲面。クラインの管。”
と説明され、広辞苑では
 ”円筒の向きを逆の方向につなげたもの。二つのメビウスの帯を境線に沿って張り合わせても得られえる。表裏がない曲面の一例。”
 ですって。
 いかがですか?

 ちょっと頭がこんぐらがっちゃうお話でした♪



  ++ 網網月的電脳空間浮遊考 ++
2001年11月24日(土)  

 掲示板に『 インターネットでの人との関わり方って、難しい 』という書き込みをいただいた。
 色々あって、HPを閉鎖するそうです。
 その詳細は分からないので、あれこれ言えませんが・・・。

 
 パソコンの普及急増で、インターネットを利用する人は大変多くなった。
 携帯電話でもネット活動(?)が出来るようになり、メールを始めとして、更にネット人口は増え、パソコンが無くても インターネットを利用する人の数は凄い数字だとは思うが、だからと言ってみんながみんなネット利用者かというとそんな事は無い。
 
 依然としてインターネットとは縁のない人もまた無数にいる。
 メールなども勿論使わず、連絡したい時には電話か手紙。
 たとえ何日かかろうとも手紙を書く人もまた、沢山いるのである。
 そういったネット無縁の人々にとっては、ネットの中の出来事など、全く無いに等しい。
 というか、無い。
 無いと言ったら何にも無い。
 つまりは、オマケの世界です。
 何にも無い場所で、いざこざが起きていたとしても、なんて事は無い。
 
 
 なんて事はないんだけれども、その中に入り込むと、なんて事があったりしてる。(笑)

 インターネットの利用方法は、無料と有料に別れていて、有料と言うと、代表的かつ分かり易いのが、アダルトサイトへのアクセスやえっち画像の入手やなんか。
 そういうのは、かなり悪徳なサイトもあるので、特に海外のサイトなんかにうっかりハマると、法外な料金請求が来て後々まで大変なメにあうらしい。
 高い月謝を払うようです。
 他にも色々。

 無料の場合は、まぁほとんどの人が安心して使っているのではないかと思うが、利用者は大きく分けると二つのタイプに別れると思う。
 
 一つは、単純に情報の取得のみにネットを利用する場合。
 例えば映画館や美術館の催し情報だとか、何処かへのアクセス(交通のね)方法だとか、何か商品の情報が知りたいとか、リゾート地でのホテルの空き部屋情報だとか、レストランの予約だとか、その他色々あるね・・・。
 つまり、情報受け入れ専門で、 いくつかの検索機能を駆使すれば、有余る程の情報が得られ、これはこれでかなり便利に利用出来る。

 もう一つが、私を含む参加型の人々。
 色々なページに訪問して、掲示板にメッセージなどを書き込むとか、自分自身でもHPを作ってしまうとか。
 たまにチャットなんかにも参加したり、ネット麻雀なんかもやってみたり。(笑)

 こういう参加型というのは、当たり前だが、自分以外の他人と接するので、ネチケットなる言葉が適応される場合が多々ある。
 例えば最も大切なのが、自分自身の個人情報を簡単に流さない、という事。
 勿論他人の個人情報など流せば立派な犯罪である。
 まぁ、そういう犯罪ちっくなものでなくて、一番簡単で面倒な事が起こり易いなのが言葉のやり取り。
 人の掲示板に誹謗中傷など書き込めば、それを見た管理人を始め、他の人が不愉快な思いをする事は必須なので、そういう事はやめましょう、とか。
 チャットなどでも、匿名性を利用して、口汚い言葉で他人を罵る事だとかは、『 大雑把に言えば、Web上に載せると言う事は、不特定多数の人間が目にするんだから、多くの他人が不愉快になるので慎みましょう 』という事かな。

 つまりリアル社会とそんなに変らないって事ね。
 人が不愉快になると分かっている事はしないようにしましょうね、なんて事は極々当たり前のルールでしょう。

 なんだけれども。(笑)
 それがなかなかそうでもないらしい。
 掲示板の書き込みなんかでも、相当なモノを見たこともあるし、された方がついにとうとう閉鎖してしまったり、かと思うと、された方が、相手をサラシモノにして相手のページを閉鎖に追いやったり、始めは好意的に始まった関係なんだろうに色んないざこざがあるようです。

 どれも言葉だけのやり取りなので、理解が千差万別で、誤解が生まれたりするととたんにタチが悪くなる。
 始めは遠まわしに抗議的であったのが、次第に双方エスカレートして、売り言葉に買い言葉のようなやり取りになってしまったり、更に数人の常連グループのような小社会が出来上がっていると、その中での人間模様などリアル社会と寸分違わない構図が出来上がったりしている。
 
 ネットの中での会話というのは、文字と文字だけのやり取りなので、簡単に言うと、会話の基本はナッテはいない。
 私の言う会話の基本というのは、”相手の目を見て話をする”という事なんだけど。
 いくらネットで何度も会って話したとしても、メールでのやり取りがあったとしても、実際にお互いが目の前にいるのとは全然違うでしょ。
 仮に電話であっても、気心知れた永年の友人なら、元気そうに振舞っているけど、かなり落ち込んでいるな、なんて事も分かるけれど、パソコン継由の会話で、昨日今日の知り合い同士、一体どの程度相手の気持ちが忖度出来るかというのは大変に疑問です。
 
 リアル社会では初対面であっても、お互いが実際に目の前にいるから、第一印象を得るための情報が一瞬のうちに入手出来るけれど、ネットの場合は、実際に相手がどんな顔をして笑うのか、どんな顔をしてご飯を食べるのか、何も知らないわけでしょ。
 それでいて、実際よりも良く見える傾向にあると思うんですね。
 美しい人は更に美しく、そうでない人もそれなりに。(笑)
 だって、自分を語るのが自分だからね。
 まぁ、外見だけの事じゃなくて。
 心身ともにバーチャル。(笑)
 
 それで好意的な感触であったとしても、希望的観測で事を進めてそれを親しいと”勘違い”しちゃうと、ちょっと違う気がする。
 本音で何でも書いて頂戴、なんて言われて、はいそうですか、と思った通りの事を書いたら、逆恨みされたりなんて事はよくあるでしょ。
 どう受け取るかは受け取る側の自由だから。
 
 更にリアル社会と混同しそうになると、ますます違う気がする。
 出会い系サイトなんかそうかな。
 これじゃ、話が終らないから、この話はまた今度にして・・・。
 
 ネットはネット、リアルはリアル。
 あ、これ、あくまでも私個人の話ですが。
 
 そうなると、どうしたら気持ち良く楽しくいられるかっていうのはね、多くを望まない事なんじゃないかと思う。
 少なくとも、こうだったら嬉しいな、というような事を、言葉にしたりお願いするのはなるべく控える。
 『 わかってくれたらもっけの幸い 』みたいな。
 なんていうのかな、あらゆる場面で望み過ぎちゃうといけないんじゃないかな?

 HPなんか作るのも、作る側は一生懸命に作っていると思うんだけどね、じゃあ他の人のページへ行く時に、そんなに『 作り手と同じぐらいの一生懸命さで拝見させていただきます 』なんて感じで見に行く人は少ないと思うのね。

 気楽にふらっと行って、気楽に見て、ってそんな感じがいいんじゃないかな。
 それでいて、何か思ったら、メッセージを残す事もあるし、そこまでじゃなかったり急いでいたら、そのままロムって帰って来ても良い訳で。
 作る側に自由な作り方が、見る側には自由な見方があるでしょう。

 どの部分をとっても、遊び感覚を忘れてあまりリキ入っちゃうと疲れるでしょ。
 
 つまりね、オマケの世界が無かったとしても、リアルな世界でやっていかれるぐらいの色んなモノを身に付けて、その上で、”オマケを楽しむ”んだという余裕を持ってネット生活を楽しんでいただきたいということなんですけどね。
 そうしないと、ただのネット依存症と言う事にもなりかねないし。
 それ、言ったら、見も蓋もないって言う方もいいらっしゃるでしょうが・・・でも、やっっぱりそうだと思うよ。
 楽しいはずなのにストレス溜めてたらつまらない。
 お互いが楽しんでいると伝わるのがいいですね。
 
 そして、ネット上のHPやら、人間関係はリセット出来るとしても、リアル社会ではそうは行かないでしょう。
 現実社会の方がはるかに血生臭いし。

 

 ついでっていうか、更に言っちゃうと、この書き込みを下さった方は学生の方なんですが、パソコンなんてその気になればいくらでも使えるようになるので、学業に必要でない部分ではあまり触らず、出来れば違う事をしていただきたいと思います。
 実生活が大して味気ないとしたら、例えば本を読むでも、映画を見るでも、スポーツをやるでも、面白そうな事は沢山あると思います。
 思いきり遊ぶのも含めて。
 今いる空間から別の空間へ、出来れば電脳空間以外の場所で浮遊してみていただきたいですね。
 有意義な学生生活を送っていただきたいと心から思います。
 これ、読んでいただけたら嬉しいですが。
 

 と〜っても長くなりましたが、これがお返事兼意見ですね。
 しかし、長い!!
 しかもいい子風な発言。(笑)
 
 
 

 ところで!!
 マイケル・ジョーダンが復活しましたね!
 嬉しい〜♪〜♪〜♪〜♪
 ’93年に引退して、’94年に野球をやって、’95年には再びバスケ復活。
 ’00引退、そして、また復活。
 なんだそりゃ?と言われそうですが、これは
 『 長嶋さんが、巨人軍のユニフォームを着てさえいれば幸せよ〜♪ 』
 とおっしゃっていた長嶋ファンと同じ心境なので(笑)
 神様復活 \(^o^)/



  ++ Cross the Moon ++
2001年11月11日(日)  

 10月28日の夜に、Moonbow(月の虹)を見た話を書いたが、この日は昼間の月に面白い光景を見た。
正確には、月に見たというより月のある空に見たのだが、夕方の5時過ぎだったと思う。

 空がまだ明るくて、地平と天空の中間あたりに浮かぶ昼間の白い月は、昇りきる前の少し大きな月。
しばらく見ていたら、その月の前を飛行機が一機横切った。
 肉眼で見えた大きさは、5ミリぐらいのかろうじて飛行機と分かるもので、旅客機特有の真っ直ぐな飛行。
ほとんど真っ白な物体で、真っ白な月に真っ白な5ミリの飛行機。
飛行機が雲の下に見えるのだから、かなり低空飛行なのだろう。
月の前を横切る飛行機は初めて見たと思う。

 この時は無意識に、あの飛行機の丸い窓からあそこにある月がどのように見えるのか想像していた。
想像の中では、旅客機の丸い窓からは目の前にその窓を塞ぐぐらい大きな月が見えている。
そして、乗客が驚く。
しばらくはあれが月だとは分からず、騒然とするのである。
シートベルト着用の区間なのに、中央の座席の乗客まで窓に近寄り月を見る。
そうして、あれが月だとわかり、素晴らしい!と拍手喝采。

 肉眼で飛行機と分かり更に雲の下を飛んでいるのだから、月との距離は私との距離とはさほど変らないのに、こちらから見ると2つの距離はかなり近く、まるでSF映画のような情景だった。
 ちょっと乗客が羨ましい気がした。

 実際に飛行機に乗っていると、そのほとんどは雲の上で、下には雲以外何も見えない。
雲の絨毯という言葉はぴったりだと思う。
長距離の場合は、雲の上にいる時は睡眠を取る時間になるので、あまりじっくり景色を見ないが、朝方の日が昇り始める時間は別である。

 勿論、太陽が窓を塞ぐほどには見えないし、そこに見えるのはオレンジ色に染まる雲と明るい光だけである。
 暗い空の中をずっと寝て過ごし、日が昇り始めるとその眩しさといったらない。
青い空と白い雲とオレンジの光。
それらが混ざり合うとこの上もなく暖かい。
帰国する時の飛行機は大抵朝に着くので、その景色は帰って来たという気持ちになる。
それから雲を抜けて地上に少しだけ近づくと、先ず海が見えてくる。
それから少しかしいだように青い山、北回りの便だから、更に地上に近づくと新潟の田んぼが見えるのだ。


 月を横切る飛行機を首が痛くなるまで見ていたら、想いがあちこちに飛んで時間が逆流してしまった。
 あの時飛行機に乗っていた乗客は、あそこにある月を見ただろうか。



  ++ 哀愁のカサブランカ ++
2001年11月10日(土)  

テレビから郷ひろみの歌声が聞こえた。
どうやら歌番組らしい。
離れていたので遠くから見ると、北島三郎がいた。
カメラが近づいて顔アップになると郷ひろみ。
遠目になると北島三郎。

キてるというのか、イッたというのか。
人間、年を取るとどんなになるかなんてわからないもんだ。



  ++ 死のうと思っていた。 ++
2001年11月09日(金)  

 今年の正月、よそから着物一反もらった。お年玉としてである。
 着物の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。
 これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
 - 太宰治 -

 
 まだ学生で二十歳になるかならないかの頃、同級生のK子にはすでに子供がいた。
 高校を卒業して就職するのと、当時付き合っていた彼Mが大学を卒業し就職するのとが同時で、就職をしてすぐにMの方が名古屋に転勤になり、Mの両親が積極的に二人の結婚を勧めたために結婚が早かったのだ。

 Mの出身した地方では、嫁は若ければ若いほど良いらしく、そうして彼は4人兄弟の末っ子であったために、彼の両親は息子を遠く名古屋へ一人で行かせるのが心配で心配で仕方なかったらしい。

 K子はその頃、別の恋愛に苦しんでいたので、そこから逃げるような形でこの結婚に同意した。
 どこを見込まれての事か、Mが彼女を熱愛していた事がMの両親を積極的にさせ、彼女の家に挨拶に来てからというもの、連日彼の父、母、親戚の叔父からの電話攻勢に、そこまで言うならと先ず彼女の両親が軟化を示し、彼女もまだ若く、結婚がどういうものだと考える事もなく、そのまま流れに乗ってしまった。

 そうして始まった結婚生活は思い描いていた物とは全く違い、若いK子には我慢を強いられる事ばかりだったようだ。
 Mを溺愛する姑は毎晩電話をかけてよこし、Mがまだ帰宅していないと、
 「Mはちゃんとご飯を食べているか」とか、
 「Mは寒くて風邪を引いていないか」とか、 K子に訊ねる。
 Mがまだ帰宅していないと、
 「私はねぇ、こうやってMの事を考えると涙が出ちゃうのよ」が口癖であったらしい。
 Mが在宅している時の姑は上機嫌で電話口に息子を呼び出し、二人で延々と話をしていたらしい。
 「本当にいいお袋だよな」がMの口癖でもあった。

 彼は自分の母親を女の鏡として敬愛していたので、K子の中に気にいらない事や未熟で不出来な事を見つけると、必ず自分の母親を例えにし、見習えという説教が始まったらしい。
 そうしてMは口が減らない男だったので、とにかく「ごめんなさい」というまでは、正座をさせ何時間でも延々と演説を止めなかったそうだ。

 もともと明るく気の強いK子も、初めの内は口答えもしていたらしいが、どこをどう言っても口では敵わない事がわかると「このマザコンが何をぬかす」と腹の中ではせせら笑いながらも、後が面倒なのでさっさと謝る事にしたらしい。
 その結果、次に何かが起こると
 「何だ、何もわかっていないじゃないか」と、前にも増して屁理屈の羅列が始まったという。
 後から後から溢れ出る彼の小学生並みのあげあし取りには理屈抜きで笑えたらしい。

 彼女は比較的すぐに妊娠したので、結婚して一年後には確かもう子供が生まれていた。
 生まれた子供は体が弱く、定期的に発作を起こす持病があったために、まだ乳児の頃にはちょくちょく入退院を繰り返し、長い時には数ヶ月もの入院生活を送ることになった。

 話相手のいない名古屋で、まだ幼い子供は病気がちで、夫は何かにつけて彼女を教育しようとし、気持ちの行き場のないK子は気が晴れることがなく、いつも鬱々と過ごしていた。

 
 当時の私はかなり遠くに住んでおり、友人間の連絡手段は手紙しかなく、その手紙も届くのに、速達で片道一週間、普通郵便だと季節によっては2週間もかかっていた。
 「元気?」
 と書いてそれが届くのに2週間、
 「元気だよ」
 と返事を書いてそれが届くのに2週間。
 一つの言葉のやり取りに1ヶ月もかかっていたのだ。
 その頃はインターネットなどないから、それが当たり前だった。
 こう書くと、ひどく大昔の話のようだが、ついこの間までのそんなに昔の事でもない。

 他の友人たちからまだ学生のキャピキャピした、学校の事、お洒落の事、彼氏の事などの手紙に混じって、K子からの手紙は
 「手紙に書こうとすると何て書いていいのかわからない」
 という言葉から始まる文面は、文と文との間の余白が多く、短い言葉で淡々と今の生活や自分の心境が綴られ、凝縮すればたったの一枚の便箋でも余ってしまうような言葉の少ないものであったが、その余白に何かがギッシリと詰まったような、重い重い手紙であった。

 その頃、まだ世の中の事も何もかも、なんにも分からず、分別もなく、状況を説明したり理解したり、そういったやり取りをするには圧倒的に経験が足りず、どこをどう書いてよいのかわからないという手紙は、そのままどう読んでどう返事をしてよいのかもわからない手紙でもあった。
 一生懸命K子の気持ちを忖度してみたが、そこに何があるのかわからない。
 表す言葉も見付からない。
 同じように短い言葉の手紙を書いて返事を送り、そんなやりとりが切れもせずに続いていた。

 
 それから数年たち、友達同士が生で会ったり電話で話したり出来るようになった頃、K子はMとの離婚調停中であった。
 家庭を壊すと決めてからは、かなり派手に遊んでもいた。

 二人の離婚話は子供の親権を巡り、どちらもその権利を主張したので話がなかなか進展せず、子供はMの策略でMの実家の兄夫婦の養子となっていた。
 K子が子供を引き取る、という事に話が決まり一見離婚間近に思えた時に、もう最後だから子供を実家の両親に会わせてくると連れて行ったきり、そのまま全ての手続きが取られ、二度と子供に会わせてはもらえなくなっていたのだ。

 初めの頃は嘆き悲しみ、そして子供を取り返す事だけに全てをつくしていたK子も、繰り返す不毛なやり取りに徐々に疲れ、そんな頃にまた新しい出会いがあった。
 離婚話がきちんとして、子供を取り戻す事が出来たら結婚しようという相手が現れたのだ。
 しかし、お互いに親権は譲らず、話は進まず。
 そんな中で、K子は妊娠した。

 私はある時期、自棄的に遊ぶK子に文句ばかりを言っていたので、
 今度も「何を馬鹿な事をやってんのよ」と言われるのを覚悟でK子から電話がかかった。
 話を聞いて私が言った言葉は
 「よかったじゃない。おめでとう」
 だったらしい。

 その時にもいつでも心底思った事しか言った事はないが、K子がそれを聞いて産む決心をした、というのは随分後から聞いた。

 私自身は、その時どんな事を言ったのか、あまりよく覚えていないが、彼女はよく覚えている。
 後々になってから、よくそんな事言ったもんだと感動したが、その時は覚えていないぐらい余裕がなかったのかも知れない。
 そしてそれから、妊娠をMに悟られて意地悪をされる前にとにかく早く離婚を成立させようと、親権はMに譲ったので意外にも スムーズに離婚話にケリがつきトントン拍子に事が運んだ。


 何かを衒ったり、受けての心中を予期しない、まったく無謀備の言葉や行動からは、出した方が予想もつかない決心を人にさせるものかも知れない。
 別に私が偉かった、などど言いたいわけでは勿論ない。

今、幸せな家庭を築いてつつがなく平和に暮らすK子と夜明かしで飲む時に、彼女の口から決まって出るのがこの話なのだ。

 太宰は結局死んだけれども、きっと夏過ぎて後、何も目的が見出せなかったのだろう。
 計り知れない事ではあるが、K子からその話が出るとこの言葉を思い出すのはこじつけだろうか。

 そうして、今より尚お互いに未熟だった昔の事を想い出し、健気で若かった頃を懐かしむのは年を取ったと言う事?



  ++ 40% ++
2001年11月07日(水)  

 日曜日にテレビのニュースでちらっと、今年結婚したカップルの40%が『出来ちゃった結婚』であると言ってましたね。
 大したニュースでもないので、どこかのカップルのキャンドルサービス中の写真と共に、ナレーションが流れたぐらいのものです。
 子供が生まれるし、結婚するしで、これはおめでたいお話なんだけど、『出来ちゃった結婚』っていう言い方が何だか『出鼻くじいたね』って聞こえちゃって、どうもイメージが良くないなぁ、と思いましたね。
 っていうか、ニュースでも『出来ちゃった結婚』って言い方をするんですね。
 最近はニュースも幼児化しています。
 
 話がソレましたが、さっきの数字は、一日に1000組のカップルが結婚すれば、10ヶ月以内に400人の赤ちゃんが生まれると言う事ですね。
 一日に2000組だったら、800人。
 これってすごい数字ですよね。
 周囲に祝福されて結婚をした両親に望まれて生まれて来るなら、すごい数字だろうと何だろうと赤ちゃんたちも幸せです。
 
 きっと、幼児虐待なんか全然縁がないお話なんだろうと思います。
 
 おめでとうございます♪



Copyright©*momo* 2001-2006 (Prison Hotel)