momoparco
  ++ 男色家のおじいさん ++
2001年08月25日(土)  

 いきつけのお店にたまに70を過ぎた男性客がひとりでやって来る。
その人は誰がどう見ても男色家のようである。
いつも身の回りがこざっぱりと綺麗に整えられ、歩く姿はよよとして、物の話し方には大いに恥じらいがある。
消えてしまいたい風情でもないのだが、何かそこにいては申し訳なさそうな遠慮がちな立ち居振る舞いで、話す時にはにこやかに嬉しそうについつい手のひらが口元で表へ向いてしまうのである。

 見ようによっては気持悪いという向きもあろうが、この人の場合は何故か周囲に許容を促し、誰もが微笑ましく見てしまうのである。

 愛する人が人が帰って来るといそいそと泳ぐようにして出迎えるのではないかと想像してしまうぐらい可愛気もある。

 実際彼の生活など何も知らないが、あらゆる事を想像させる、この人だけの持つ独特な雰囲気があるのだ。
あれだけの色気はなかなか出せるものではない。
70を過ぎて恥じらいのあるばあさんを見たことがないので感心するのである。
あの年齢まで自分の美学を貫くのは並みの神経ではないのかも知れない。
むしろ図太いのだろうが、あっぱれなじいさんである。

 パンクのくせにセットをサボってぼさぼさの姿で出歩く人種は見習ってもらいたいものである。

ホントは家ではただの頑固亭主かも知れないけどね♪





  ++ 性同一性障害 ++
2001年08月23日(木)  

 男女の兄妹、男の子の双子一組、男女の双子一組、計6人の1歳から4歳までの子供と一緒に過ごす機会があった。みんな友人の子供たちだが、一部屋にそれだけの小さい子供がいるのはまるでワクワク動物ランドである。小さい子供は何となく小動物のようで、考えている事が分かりそうで分からず、次に何をするかも分かりそうで分からず、その動作が1つ1つ笑える。

 遊び方も男女それぞれに特徴があって、男の子の場合は太陽電池で動いているとばかりに全身を使って絶え間なく動き回り、ギリギリのところまで動いていたかと思うと次の瞬間にはもう寝ている。
 一方、女の子はぜんまいじかけで動いているように、少し動き回ってはじっと座って静かに遊ぶ。また少し動いたかと思うとまた大人しく座って遊ぶ。大人しくしている間にネジを巻いているようなのである。
 太陽電池とぜんまいじかけ。おおざっぱに言ってしまうと、動作にそのくらいの違いがあった。
 これはどうしてこうなのか、男女の性は遺伝子の配合で決まるから体つきがそれぞれ男女の特徴を持っているのは分かるとして、動き方がどうしてそうなるのか。
男とか女とか性が決まった途端にそのようなプログラムがインプットされるのであろうか?

 更にこの子たちが遊ぶのに、色んなおもちゃがばら撒かれた状態だと男の子は男の子向けのおもちゃに、女の子は女の子向けのおもちゃに吸い寄せられる。
 男の子向けというのは超合金で出来たロボットだの乗り物だので、女の子向けというと小さいお人形やおままごとなどである。まぁ、昔からそんなようなものでしょ?
 同じ日に同じ親から生まれて一緒の環境で育つ双子でも、男の子と女の子の興味は全く別方向に向いている。

 そこにいる親に確認したら、そうするようにと教えた訳ではない。
おもちゃは与えたからそれが気に入ったのではなくて、気に入ったから与えたのだそうである。
 親がこうだと教えたわけではないのに、何故興味を持つ対象がこうはっきり分かれるのか不思議である。
 おすぎとピーコのような双子もいるから、この際親や環境は関係ないのかも知れない。

 男の子の体だけど女の子の気持で、或いはその反対で生きていても何の不思議もないではないか。
 体と感情が不一致な事を性同一性障害というが、多分本人は障害を感じず、むしろ自然な事なのだ。
 ただ、渡る世間において何かとやりにくい事がある、という訳で障害と名がついたのではないだろうか。

 良く考えたら失礼な話かも知れない。

 
 ところでこの数日どうもページが重くて、私の所だけでもあるようだし、全体に重いようでもあります。
 特に夜10時頃からが顕著で、BBSに入れない状態。
 来ていただいた皆様、ご迷惑をおかけしております。






  ++ 今日は8月15日 ++
2001年08月15日(水)  

  8月15日の月は、旧暦では中秋の名月と言われていましたが、今年の実際の中秋の名月は10月1日で満月は10月2日になるそうです。
 今夜の月は二十七夜の月でかなり鋭利な下弦の月です。残念な事に私の所からは雲が厚くて見えませんが。

 そして、明日の明け方は木星食です。
 夜中の3時頃、木星が月に隠れて見えなくなります。


 それから今日は終戦記念日。
毎年戦争の話題が多くなる時期でもあります。
戦争については全く経験が無いので、多分に第三者的な見方をしています。つまり実感がないのです。

 先日、出先で戦争の実感について書かれたコラムのような物を(何だったか想い出せない)読んだのですが、その筆者も戦後の生まれで、(年齢はわからない)書いてあったのは、例えば戦争とは、人が殺し殺されることで、その事を想像すると恐ろしいが実際には一方的に殺された話しか聞いた事がない。というのです。

 「私は殺した。」という大人の話を聞いた事がないし誰もそんな事を話したりしない。
殺されるばかりの戦争があるわけはないのに。
 そして筆者がある時ホスピス関係者の話を聞く機会があった時に聞いた話が書いてありました。
 ホスピスとは末期がんの患者が延命治療などをせずに、残された日々を心身共に出来る限り苦痛を感じず、穏やかに過ごす為の施設ですが、若い患者もいるけれど、高齢の7〜80才の老人も多いそうです。
 そして、老人の男性はよく戦争の話をするそうです。
 中国に作られた秘密施設で捕虜たちを生体実験した話や、南の島で住民から食べ物を強奪した話など、どれにも私は殺したという告白があり、その時の苦痛、孤独、今まで胸にしまい込んで何も語れなかった苦しみが交じり、そしてそんな話をして2〜3日後に亡くなっていくそうです。

 今は平和な時代ですが(戦争はないという意味)語る自由がなかったのか、語りたくなかったのかは私にはわかりません。

 何年経っても、胸にしまい込んだままの言葉にならない「つかえ」がある、というのはどのくらい孤独な気持でしょうか。毎年この時期に、悲惨な被害を受けた話を聞く時、一体どんな気持になったのか、それもまた苦痛な事だと思うのです。





  ++ GYAKUTAI  ++
2001年08月12日(日)  

 今日もまた、恐しいニュースが入って来た。
 もう最近しょっ中こんな事ばかりで、とっても怒りを感じる。
 可哀相で耳を塞ぎたくなるような事ばかり。酷すぎ!
 こういう事に事情は関係ない。(実際に大した事情はない)

  それから無差別に他人を殺傷する事件。
 これも、事情は無い。
 犯人を追跡中であれば、プロファイリングは犯人逮捕の有効な手がかりになるだろうが、捕まった時点で、犯人の人権は無視するべき。

 ヒトを殺す事を何かのせいにするなと言いたい。
 っていうかね、そういう幼稚な水準でしか物を考えられない人間は、人間である事をやめて欲しいですね。

 今日は怒りモードが炸裂しています。










  ++ 世界陸上 ++
2001年08月11日(土)  

  終わってしまいましたね。
 毎日楽しませていただきました♪
 このような大会を見ると、日本以外の選手はとっても自由だなと思いますね。発言が♪
 「あの人がアンカーなら、私は出ない!」とか、
 「アノ人は美しくないから(他の試合に)出られなかった・・・。」とか、
 口が滑っちゃったんでしょうか?
 言う方も言う方だけど、言われた方もしっかり訴訟を起こしたりして。
 何かこう、選手である前に人間であるという感じがして、なかなか恵まれているような気がします。

 日本の選手の場合は、イイコな発言はするんだけど、なかなか本音は見せませんね。
 やはり『陸連』かなぁ・・・。

 それぞれ、記録もどんどん更新されて、昨日まで夢のような事が、今日は現実になり、明日には過去の記録になったりしています。

 走り幅飛びをテレビで見て、記録を聞いてもピンときませんが、渋谷のスクランブル交差点を斜めに一回で飛んでしまうと聞くと同じ人間のやる事とは思えないです!
 棒高飛びなら、マンションの3Fに届いてしまうんでしょ?
 マラソンだって、実際には相当速いでしょうし、短距離でぐんぐんスピードを上げて走るマリオン・ジョーンズとか、ナマで見たら迫力があるでしょうねぇ。

 それにしても、実況中継のアナウンサーとかキャスターとか興奮し過ぎて五月蝿いうるさい。
 絶叫する時は、マイクをはずしてやって欲しいと思いました!
 あれって、何とかなりませんかねぇ・・・。





 





  ++ Shock! ++
2001年08月08日(水)  

 Movieseのページが消えてしまいました! あーらら。(笑)

 あのページは無料の日記帳をお借りして作ったものだったんですが、あまりにも更新をサボっていたので消されてしまったようです。

 確かにお約束には  † 2ヵ月更新されないと削除されます † と書いてありますね・・・。 
 う〜ん、それにしてもビックリ! いきなり何の前触れもなく消えるのもビックリなら、2ヵ月も何もしていなかった事にもビックリ!

  初めの頃はHPの作り方も何も知らないまま始めたので、gaiax のページを有効に使う方法も分からず、無料の日記帳にお世話になったりしていたのですが、時間ってアッと言う間なんですねぇ。

 これから復活させようと思いますが、チョット時間がかかると思います。
 もし、ご覧いただいて下さった方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい〜

 チョット待っててね♪


 と書いたのですが、何とかアップしました。
 メニューの位置が変わってしまいましたが、いつもの事だとお許しください♪

 無料のスペースをお借りしていて、このような事を言うのも何ですが、良く考えたら何の前触れもなくいきなり削除されるのも凄いですね。無情を感じました。
 管理する側にとってはいちいち構っていられませんよねぇ、確かに。
 それで放っておいたページはネットのゴミになってしまったわけですね。
 もう1つ日記帳を使っている場所があるので気をつけないと・・・。
 と言うより、ちゃんと更新しないといけませんね。
 お騒がせいたしました。でもないかな?(笑)











  ++ 綺麗な海 ++
2001年08月06日(月)  

 今朝のテレビをご覧になってご存知と思いますが、海水浴場にサメが現れて遊泳禁止になってしまいましたね。
あの映像を見て、特に上からのもの、驚きました!
何て綺麗な海!  まるでプールみたい。
今日はあの海の綺麗さが話題になりました。

 こちらの海と言ったら、サザンやチューブの曲で有名な「湘南の海」なんですが、江ノ島も葉山も逗子も鎌倉の海も海水は汚いんです。
何も中が透けて見えない。

 今朝見た鳥取県の白兎海水浴場(名前も素敵!)の海は見た人皆「うわ〜!綺麗な海!」これが第一声です。
せっかくのお休みに泳ぎに行った方や、海でお仕事される方にはお気の毒でしたが、いつも見ているものでその物に対する認識って全然違うんですよね。


 ところで、今日の朝刊の記事です。

 8500万光年のかなた 巨大ブラックホール 〜 国立天文台が確認 〜

 地球から8500万光年離れた渦巻き銀河「IC2560」の中心に、質量が太陽の2800万倍の巨大ブラックホールがあるのを国立天文台が確認、6日発表した。

 同天文台は1995年「M106」銀河の中心にも巨大ブラックホールを発見しており、ドイツの研究者が’97年に見つけた我々の銀河のものと合わせ、確認された巨大ブラックホールは3つとなった。
 
 同天文台の中居直教授のグループは、ポンプ座付近に位置する「IC2560」の中心から発せられるマイクロ波を、野辺山宇宙電波観測所(長野県)にある電波望遠鏡で観測。中心には半径約、0.22〜0.85光年(約二兆一千億〜八兆km)のガスの円盤が高速で回転していた。
ガスが拡散しない理由は、中心にブラックホールがある事意外では説明出来ないという。

 ブラックホールには、銀河の中心に位置し、質量が太陽の数百万〜数億倍もある巨大ブラックホールと、星が爆発してできるもの(質量が太陽の十倍程度)の二種類がある。(8月7日読売新聞より)

 大昔、と言っても180億年ぐらい前の昔、時刻がゼロの宇宙は何もかもがギュウギュウに詰まった無限に小さなものでした。
それがあるとき「ビック・バン」と呼ばれる大爆発を起し、物凄い高温の「火の玉」となって誕生しました。
その頃は銀河や恒星を作っている元祖の素材など影も形もなくただ裸の素粒子が光の海の中にとけ、ひしめきあっているだけでした。
その光が自由に動き回れるようになったのは、大爆発から70万年も経ってからです。
それからの宇宙は激しい勢いで膨らみ、宇宙の大きさが現在の1000分の1のころ、宇宙の温度はほぼ3000度。
その頃から宇宙が晴れ渡り、そのお蔭で原始銀河の巨大なガスの固まりがあちこちに出来、それが更に分裂を起し、数多くの銀河が集団で誕生。
それがお互いに影響を及ぼしながら、楕円銀河や渦巻き銀河へと姿を変えてきました。

 形のはっきりしない一部の銀河を除けば、銀河はどれも中心部が大変明るく輝いています。
私たちの銀河系も例外ではありません。
ブラックホールというのは、質量が集まり過ぎて空間が膨張して裂け、その中に大きな穴が出来たようなもの、といったら分かり易いかも知れません。
球のような形をしてその中へ入り込んでしまったら、どんなものも決して二度と外の世界へは戻れないという穴の半径は特別に「シュバルツシルト半径」と呼ばれています。
たとえ光でさえ、出てこれないので、直接ブラックホールを見ることは出来ないわけですがガス等が吸い込まれて行くのを見ることが出来るわけです。

 こういう事を延々と書いていると、なが〜くなっちゃうんデスが・・・。
 場所を変えて宇宙のお話しを書きましょう!
 って、興味の無い方にはごめんなさいね♪

 あ〜、海の綺麗なお話でしたね。(笑)
 うん、あの海は美しかった!
 綺麗に澄んだ海。








  ++ 銀河のへり! ++
2001年08月05日(日)  

  今朝の読売新聞に下記のような記事が!

 【銀河のへり ハッブル望遠鏡 真横から撮影 ワシントン2日=館林牧子 】

米航空宇宙局( NASA )HA二日、ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した『 銀河のへり 』の写真を公開した。
地球から役一億五千万光年離れた、うみへび座にある銀河『 ESO510−G13 』を真横から撮影した写真で、銀河の中心から照らされる光で、周囲を取り巻くチリの構造が詳細に浮かび上がった。
この銀河は近くにある別の銀河と衝突しようとしており、周囲の部分が微妙なうねりをみせている。
 今回の銀河の観測中に、ハッブル宇宙望遠鏡は、1993年の本格稼動開始から数えて
10万回目の撮影を達成した。




 ちょっとワクワクしました!!
ちょっとどころじゃないんで、NASAのサイトにアクセスしてみたんですが、失敗しています。
あー!見たいな!
という訳で、朝からやみくもにあちこちのサイトを巡っているんですが、ちょっとまだ探しきれません。
とりあえず、新聞に掲載された写真をスキャンしてみましたので、よろしかったらココからご覧下さい。
もう少し新聞の写真は綺麗です。っていうか、私のは全然綺麗じゃないけど。 ^^;

 それにしてもこの銀河のへりが見れるなんて!!
そりゃもう、ねーさんウキウキよ!! 頭の中がパニックかも!何しろ興奮しちょるけぇね!
今日はお休みで、出かける用事もあるしやる事もあるのに、こんな事をしている場合か?!
いや、違う!(自爆)
ほなね♪











  ++ Full Moon  〜  La Luna piena ++
2001年08月04日(土)  

  今夜の月は、見事な満月です!ほーんと綺麗。
何て明るいのでしょうねぇ。まるでガラスのようです。鏡かな?
月の回りに白っぽく輪が見えるでしょ?
あれは【月暈・つきかさ】と言って、水蒸気の多い夜空で満月の回りに見える輪の事なんですねぇ。
朧月だと、月そのものも霞んで虚ろに見えますが、今夜の月ははっきりしています。

 月の明るさは太陽の48万分の1しかないのに、とーっても明るく輝いていますね。
これで夜空が漆黒で人工の灯りも何もなかったら、もっと明るく感じるのでしょうねぇ。
光源氏も楊貴妃も、いつもそんな明るい月を見ていたのでしょうか。
月が見えなかったら、夜が随分違うんだろうなぁ、と思ってしまいます。

 ところで、月面から見た地球というのも満ち欠けをしています。
半地球とか、上弦の地球とか下弦の地球とか、月のうさぎが喜ぶまんまる地球さまとか♪
月が夜になる頃、地球が満ちて来て、月の20倍もの明るさで、月面を照らしているのです。
地球にいると、月に照らされている感じはしますが、照らしているという自覚(?)はないですよねぇ。(笑)
ついでに言ったら、私たちだって宇宙人なんですが、そうは思っていないし。

 かつて『地球は青かった』と言ったのは、ガガーリン船長だったと思いますが、
満ち欠けしている姿も見てみたいものです。どんなに明るいのか、興味があります!

 今夜の満月を是非見てくださいね!











  ++ ブライダルなお話♪ ++
2001年08月02日(木)  

  7月29日に友人の結婚式に出席して来ました。
式は神前式、披露宴は今流行りのレストランウェディングというもので、和気藹々としたものでした。
 
 人前式というのは、神前でも教会でもなく、従って神主さんや神父さんもおらず、
披露宴の会場で出席した来賓全員の前で結婚を誓いサインをするものです。
司会者が軽く新郎、新婦を紹介し、二人が誓約書を読み上げてサイン、指輪の交換等したら
それで式はおしまいです。晴れて二人が夫婦となります。

 ところでこの披露宴、本当にリラックスしていました。
以前、土日祝祭日に披露宴の演出をする、というアルバイトをしていた事があり、
この日の花嫁は、そこの会社の社員をしていたのです。
そんな訳で、司会者、エレクトーン、カメラマン、などスタッフは全て同社の人だし、
彼女の主賓は元上司とあって、メインテーブルのすぐ近くで同じテーブルについた人は全てその頃の仲間でした。

 披露宴の演出の仕事というのは、それぞれの披露宴の主役である新郎新婦の注文に合わせて、例えば、新郎新婦入場の際にドライアイスを流したり、ウェディングケーキカットの際にはシャボン玉を飛ばしたり、音響や照明、ビデオの撮影など、諸々の作業をする為、
披露宴会場を出たり入ったりする仕事です。
 それも一日に少しずつズレて次々と披露宴が行われるため、あちこちの部屋を駆け回わり、披露宴の進み具合に合わせて仕事をするので、かなりの件数の披露宴に立会います。
当時はまだ、バブルがはじける前の名残りで、今ほど地味婚という時代ではなかったので、結婚式、披露宴らしいと言えば言えるものでしたね。 
 
 という訳で、この日の披露宴は私達にとっては、仕事場の延長のような雰囲気で緊張感が無いのです。
中でも一番緊張感が無かったのが花嫁で、スピーチの間に司会者に指図をしたり、会場の人に目についた所を注意したりと緊張感まるで無し。(笑)

 新郎新婦が両家の両親に花束を贈呈するという、披露宴ではこれがあって初めて締まると言われているシーンですらリラックスし過ぎてまるでリハーサルの様でした。
新婦の様子を見て新郎が目をパチクリしていて、何やらこれからの二人の結婚生活を暗示するかのようでした。(笑)
きっと、そんな事を、後々まで語り合うのでしょうね。 
 
 人が幸せになるのはやはり気持の和むものですね。
 いつまでもお幸せに♪










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